侵入者再び
私が泣き続けてしばらく経ち、三人に優しく慰められてどうにか浮上した頃、エリーが部屋にお迎えに来てくれた。
すぐにエリーに抱きついた私は、ぎゅうっと強くしがみついた。
「エリィィィ!お父様のせいで大変なことに……!私お嫁に行かないといけないかもしれないの~」
ううっ、安心感でまた涙が大量に出てきた。私の背中をポンポンと優しく叩いたエリーは、自分のベストが涙でべしゃべしゃになるのも気にせずにいつもどおり慰めてくれる。
「マリー様、大丈夫ですよ。いざとなったらみんなで駆け落ちをお手伝いしますから」
うっ……従者に駆け落ちを勧められるって相当だわ。エリーの中で、お父様がサレオスとのことを許すという未来は見えないらしい。
「駆け落ちはサレオスが了承してくれなければできないわ」
マイナス思考が出始めた私は、暗い顔で呟く。あぁ、でももうさすがに部屋に戻らなきゃ。私はエリーにしがみつきながらみんなにお礼を言った。
「マリー様、きっと何とかなりますわ!」
別れ際も、アイちゃんが必死に励ましてくれた。なぜかハンカチまで振られて旅立ちみたいになっているけれど、2室先の部屋に移動するだけでちょっと申し訳ない。しかも靴がなかったので、情けなくもエリーに抱っこされて連れて帰ってもらった。
「こうしていると、子供の頃に戻ったみたいですね。もうご結婚の話が出るなんて、感慨深いです」
お母さん化したエリーがなにやら少し淋しそうな顔を見せる。そういえば子供の頃は、出かけた先で遊びに遊んでエリーに抱っこやおんぶで連れて帰ってもらったっけ。
「駆け落ちしたら……付いてきてくれるの?エリー」
冗談で聞いてみた。するとエリーはやや被せ気味に答えをくれた。
「もちろんどこまでもお供しますよ!サレオス様がいてもいなくても」
いやサレオスいなかったら、それもう駆け落ちでも何でもないわ。私とエリーのただのおでかけじゃないの。
「もう、エリーったらそんなこと言って、ヴァンはどうするのよ」
苦労の上に結ばれた夫婦を引き裂けないわ、そう思ったのにエリーは何てことないように「置いていきますよ~生きてれば会えますから」と言った。
さ、さすがだわ!やっぱりBL界で長年生き抜いてきた戦士はたくましい。
「私もエリーみたいに、サレオスと生きてれば会えるって考えられたらいいんだけど……」
でもダメ、お嫁さんになりたい欲求が抑えられないわ。こんなことで10年も待てるのかしら。
「例えばの話なんで、マリー様は普通に嫁いで幸せになってください」
普通に嫁ぐ、それがこんなに難しいと思わなかったわ。
「まぁ駆け落ちなんてしたら、メアリー様がもれなく付いてきますから成立しませんね」
うん、お母様なら行き先を調べて先に待っていそうだわ。しかもエレーナもばっちり付いてきそう。エリーとリサとヴィーくんもいて……って何これ、まったくもって駆け落ちにならないじゃないの。
想像したらおかしくなって笑ってしまった。
「駆け落ちは無理ね、別の手段を考えましょ」
「ですねぇ。あ、もうトゥランに亡命でいいんじゃないですか?」
「亡命……ありね」
真剣に頷く私を見て、エリーが優しく目を細めた。このやりとりにまったく意味なんてないけれど、少しだけ癒されて落ち着いたわ。
部屋に戻ると、まずはルームシューズを履き、それから一人で洗面室に向かった。顔を洗い、リサが持ってきてくれた部屋着のワンピースに袖を通して、隣にある寝室に入る。身体は私が寝ている間に魔法でキレイにされたらしく、髪もさらさらになっていたから今日はもうわざわざお風呂に入るのはやめた。
あぁ、明日からの学園はどうしよう。噂ってすぐにまわるものね。お父様とお母様の判断以前に、ノルフェルト家もオーエン家もうちより格上で、正式に婚約の話がきたら普通は断れない。どう進むにしろ、近いうちには家同士で話し合いの場が設けられるだろう。
そうなったとき、サレオスは私を引き止めてくれるかな。他の男と結婚するなって言ってくれる?
『マリーは俺のものだ』
きゃぁぁぁ!そんなこと言われたらキュン死にする!衝撃で口から血を吐くかもしれないわ。
まぁさすがにいきなりこれはないか。
『婚約か……おめでとう、マリー』
いやぁぁぁ!妄想なのに殺傷力が高すぎるぅぅぅ!私は柱に手をついてもたれかかり、しばらく動けなくなってしまう。
サレオスが私を引き止めてもくれずに、あの二人のどちらかの妻に……うわぁぁぁそんな未来は考えたくない!
だめだめ、こんなときは寝るに限るわ。また明日考えよう、今日はもうマリーはふて寝します!
頭を抱えてふらふらしながら、寝室の扉を開く。そして壁際に置いてあるランプの灯りを点けようとしたら…………背後から口を塞がれた。
「っ!!」
ぎゃぁぁぁ!こ、殺されるっ!
全身の血の気が一気にひいて、鼓動が急激に早くなる。
「んんんー!ひうぅ……んぐぅ……」
助けてー!死ぬぅぅぅー!
まだサレオスのお嫁さんになってないのに死ねない~!クレちゃんの結婚式を見届けてない~!
あぁ、こういうの知ってるわ。このまま連れ去られて異国に売られるか、身代金を要求されて最終的に殺されるの……!
「……リー、……だ」
何か言ってるー!怖いよー!
ジタバタ暴れるけれど、犯人の左腕が私の身体を強く押さえていてまったく抵抗できない。
それに知らない男の人に拘束されていると思うと、さすがに怖すぎて全身が震えだした。
「マリー、俺だ」
脚の力が抜けてガクンと身体が沈みそうになったとき、私の耳に聞き慣れた低い声がはっきりと届く。
「落ち着いてくれ、俺だ、大丈夫だから」
私はピタッと動きを止めて、ゆっくりと首を回してその人の顔を見た。
そういえば私の身体を支える手も、口を塞いでいる手にも覚えがあった。
あれ?サレオスだ……
おもいっきりサレオスだわ。
口を塞いでいた手が下がり、拘束する腕が緩められる。ゆっくりと彼の方に向き直ると、薄明かりの中に見慣れた均整な顔立ちがあった。
しばらくの間、じ~っと見つめるだけで無言の本人確認を行ってみる。私が何も話さないからなのか、サレオスも一言も発しなかった。ただただ無音の空間で向かい合う。
「……」
ほ、本物だわ。賊じゃない、こんなにかっこいい賊はいないわ。黒いローブが安定の怪しさだけど。
いやいやいや、なんでこの登場の仕方?もっと他に方法はなかったのかしら。え、どこから入ったの?
まじまじと濃紺の瞳を見つめてしまう。サレオスは何も言わずにおもむろに私の背中に腕を回した。
ふわっと優しく腕の中に包まれて、時間が止まったように感じる。
「すまない、驚かせるつもりはなかったんだ……」
「……」
会いに来てくれたんだ、と思うと嬉しかったけど、混乱していて何を言っていいかわからない。まだドクドクと脈打つのが身体の内側から聴こえている。私は硬い胸にくてっと寄りかかり、彼の上着の裾を掴んでただじっとしていた。
はぅ……サレオスの匂いがする。ドキドキするけど、ここにいたら大丈夫と思える安心感があるわ。サレオス成分を補充しようと、瞳を閉じてしばらくの間このままでいた。
彼は何も言わず、私が落ち着くのを待ってくれてるみたい。ときおり頭や背中を撫でてくれて、ますます居心地が良くなってここから抜け出したくなくなってしまうわ。
深呼吸してどうにか落ち着いた私は、ヒールがないからいつもより遠くなったサレオスの顔を見上げる。
「あの……」
どうしよう、何て言えばいい?「何しに来たの?」じゃ怒ってるみたいに思われそうだし、「とりあえずお茶でも」も違う気がする。
こんばんは、ごきげんよう、ようこそいらっしゃいました、どれも違うな……。
私が思い悩んでいると、ふいにサレオスが屈んでおでこに柔らかい感触がやってきた。
「ひゃっ!?」
キスされた部分を手のひらで押さえ、俯く私。な、なんか自分の部屋でコレは照れる!
「マリー、今から少し出られるか?」
彼はそういうとするりと腕を離し、椅子にかけてあったブランケットを取り私に巻きつけた。
「きゃあっ!」
ぐっと身体が持ち上げられて思わず悲鳴が漏れる。サレオスは私を抱きかかえると、そのままテラスの方に歩いて外に出てしまった。
出られるかって疑問形で聞かれたはずなのに、そこに私の答えはいらないのね!?
あれ、エリーは?ヴィーくんは!?有無を言わさぬこの連れ去り、これは世間でいう拉致というものなのでは……!?
私が狼狽えているうちにも、サレオスはテラスから階下に飛び降りてしまった。
そして屋根を器用に上ったり下りたりしながら、人を抱えていると思えないスピードで走っていく。遠くの方から花火が上がる音が聞こえてきて、そろそろパーティーが終わる8時頃なんだなと意味もなく思った。
真っ黒なローブを着て、私というブランケットでぐるぐる巻きの荷物を抱きしめて夜道を急ぐこの人は、どこからどう見ても不審極まりない。え、目的地に着く前に警吏隊に捕まる可能性はないのかしら。
はっ!それに誰にも何も告げずに出てきてしまった。今頃エリーが気づいて心配してるかも!
「あ、あの……エリーが心配しちゃう」
私がそういうと、サレオスは前を向いたまま答えた。
「あいつらは無能じゃない。俺と一緒にいることくらいすぐわかる、大丈夫だ」
「でも何も言わずに出かけたらびっくりするよ……?」
頬を冷たい風がすり抜けるけど、サレオスは平然としていて先を急ぐ。
「問題ない。それに少し焦るといい、警備が甘すぎる」
えええ……こんなに簡単に侵入できるのあなただけだから。お母様の呪詛札や結界があるから、普通は入ってこれないから。
私は建物から飛び降りるときの浮遊感が怖すぎて、ずっと目を閉じたままサレオスにしがみついていた。




