愚弟による愚行が過ぎる
レヴィンと何曲か踊った後、壁際でグラスを片手に友人と談笑していたアリソンのところに向かった。来賓として来ていたノルフェルトの叔父様のもとに挨拶をしなくてはいけないからだ。
アリソンに誰とも踊らなかったのかと尋ねると、「一人相手をするとどんどん増えて収集が付かなくなるから」とイケメンならではの理由が返ってきた。
うん、今もまわりにチャンスをうかがっている令嬢がたくさんいるわね、視線をものすごく感じてしまう。そして私の後頭部にも数多の視線が突き刺さり、いずれも「おまえ、フレデリック様はどうした」という疑問を宿している。
どうしたもこうしたも、フレデリック様はホールの中央の方で順番に令嬢たちと踊っている。もちろん私は踊らない。
ノルフェルトのおじさまの姿を見つけると、そこにはなんとうちのお父様がいた。仕事の話なのか、秘書の人とアルベルト生徒会長も控えている。
「お父様……」
私が足を止めると、アリソンは「どうする?」と一緒に足を止めてくれた。彼には私たち親子ゲンカのことを正直に話してあるから、会いたくない気持ちを察してくれたらしい。
でもおじさまに挨拶しないわけにもいかないので、無理やり笑みをつくってそのまま進むことにした。
お父様は私の顔を見るなり、満足げに微笑んだ。
くっ……!こみ上げる苛立ちをどこにぶつければいいの!?私はあまりに腹が立って、視線を逸らす。
ノルフェルトのおじさまに挨拶をすると、かわいいかわいいと褒めちぎられ、頭をぐりぐりと撫でられてしまった。私のことを一体何歳だと思ってるんだろう。しばらく撫でられていると、お父様に引き剥がされた。
「これは俺の娘だぁぁぁ!」
いや、叫ばなくてもそうだし、だいたいおじさまのところにも娘二人いるし。
冷めた目でお父様を見る私、呆れるアリソン、そしていつの間にか背後にいたヴィーくんは無表情だ。
おじさまの目的はどうやらお父様への嫌がらせだったようで、そのまま笑顔で帰っていった。宰相様は忙しいらしい。私も連れて帰って欲しかった。
絶賛喧嘩中のお父様と私の間には、微妙な空気が流れる。するとアリソンが何を思ったのか、急にお父様に向かって謎の提案をし始めた。
「侯爵、マリーがノルフェルトに嫁ぐことを前向きに考えていただきたいのですが」
「せ、先輩!?なにを」
私は目を見開いて息を呑んだ。何言ってるの!?私がサレオスを好きなこと知ってるのに……
これにはさすがにお父様も驚いたようで、秘書さんも生徒会長も絶句していた。
「そ、それは……さすがにマリーの気持ちを無視しては」
おい、誰がそれを言ってるんだ。お父様のまさかの返事に、私は思わず心の中で悪態をつく。
「ならマリーの意思にすべてを委ねていいってことですか?」
間髪入れずに攻め込むアリソンに、お父様が少し引いている。
なんですって!?私の意思に委ねるってことは、サレオス一択の未来なんですけど!私は期待を込めて、お父様をじ~って見つめてしまう。
「うぬっ……そ、そういうことになる、が、マリーは」
お父様、今すぐサレオスとの結婚を認めると言って!求婚されてないけどそこはこの際スルーしていきましょう!
しかし、お父様は私の期待の眼差しをちらりと見ただけですぐに目を逸らす。
そんな親子の無言のやりとりには構わず、アリソンは私の方を振り返ってにっこりと笑いかけた。
「マリー、今はまだ返事をくれなくていいけど、真剣に考えて欲しいんだ」
スッと私の右手が取られ、胸の位置まで上げられた。
「え?」
青い目がじっと私を見つめている。
ーーパリンッ……
会場のどこかでグラスが割れるような音が聞こえてきた。
でも正直言って今はそれどころじゃない。嫌な予感がして、アリソンの手と触れている指先が急速に冷えはじめた。
「これまで出会ったどの人よりも、マリーのことが好きだよ」
ひぃぃぃ!そんなこと改めて言わなくても……そしてお父様も他の人もたくさんいるから!
「触れたいと思う女の子はたくさんいたけど、笑ってほしいと思うのはマリーだけなんだ」
…………さりげなく過去の女関係の激しさを今言っちゃったからね先輩!
どうしよう、別の意味でドキドキしてきたわ。ちらりと見えるお父様の表情が苦い、苦すぎる。
でも、アリソンはしっかりと私の手を握りなおして言葉を続けた。
「マリーがずっと笑っていられるように、俺は生涯どんな憂いも祓い、共に在るために努力すると誓うよ」
な、なんだか求婚っぽいことを言い出している……!?
「だからどうか、俺だけの愛する妻としてこれからの時間を一緒に生きて欲しい」
「ひっ……」
やっぱり求婚だったー!!
あまりに突然のことに、息を呑んでそのまま胸が詰まってしまったみたいに苦しい。衝撃で眩暈がし始め、倒れそうになるもどうにか踏ん張っている状態だ。
当然、周囲には少なからず人もいるし、お父様も秘書さんも生徒会長もいる。背後のヴィーくんが、私が倒れたときのためにスタンバイした気配を感じた。
ど、どうしよう、ここで断っていいのかしら!?いやでも格上の公爵家の跡取りで、しかも宰相様のご子息にお断りってそもそもできるの!?
お父様は……だめだ、ほぼ白目だわ。私との喧嘩の果てがこんなことになって驚いているのね。うわぁぁぁ、どうしたらいいの!
パニックになってただおろおろする私の前に、さらに追い打ちをかけるまさかの人が現れた。
「アリソン、おまえだけに抜け駆けさせない」
突然に私の前にずいっと入ってきたのは生徒会長だった。アリソンから私の右手を奪い、ぎゅっと強く握る。
あれ、治りかけとはいえこんなに強く握って大丈夫なの?赤くもなってないけれど発作が起きたりしないのかと気になってしまい、一瞬だけ私は正気に戻った。
「マリー嬢」
「はい?」
喉から振り絞った私の声は震えている。
「君のおかげで、長い間苦しんできた僕の体質が治りかけている。……運命の女性だと思ったんだ」
はぁぁぁ!?いやいやいや、治したのはキャサリン先生72歳です生徒会長!運命の女性はキャサリン先生ですよぉぉぉ!私じゃないですよぉぉぉ!
顔面蒼白の私の後ろに、「どうしたの」とレヴィンが楽しそうにやってきた。でも正直言って、弟にかまっている暇はない。ヴィーくんがこっそり説明してくれているから任せよう。
小刻みに震える私の指を握る生徒会長は、凛々しい表情でまっすぐにこちらを見つめていた。自分の体温がどんどん下がっていくのがわかる。脚なんてガクガクと震えている。
「僕が助けてもらった分、一生をかけて君の幸せを守っていきたい。何が起こっても、生涯君だけの盾になろう。どうかこの手を取って、妻として共に歩んではくれないか」
ひぃぃぃ!!この手を取ってもなにも、あなたが私の手を勝手につかんでいます、これ以上どうしろと!?
ーーガシャン!
会場のどこかで何か大きなものが割れる音が聞こえた。
でも私は意識が朦朧とし始め、ヴィーくんによって背中を秘かに支えられる始末。
ところがそこに、お父様がようやく口を挟んでくれて私の手は解放される。
「ちょっと待てぇぇぇ!おまえら勝手にうちの娘に求婚するな!いったん父親である私を通せ!」
お父様の絶叫に、周囲の人がみんなこちらに注目した。
あわわわ、なんでさらに注目を集めるような止め方するの!?
ところが私の絶望をよそに、アリソンと生徒会長は二人ともお父様に対してすぐさまにプレゼンを始めてしまった。
「侯爵、ノルフェルト家との縁組は一見そんなに利益がないように見えますが、これ以上の不要な諍いを招かないためにも『利益がないことが利益』だと思いますよ。他からのやっかみを防ぎ、円満な関係を築くにはぴったりだと思いませんか」
アリソンの話に、お父様は腕組みをして真剣に考え出した。ちょっと、何悩んでるの!
「むぅぅぅ……それは確かに」
何を流されかけてるのお父様!
「しかも俺と結婚すると基本的に王都住まいになるので、会おうと思えばすぐに会えますよ!それに、マリーに子供が生まれたら会いたいでしょう?」
子供!?話が進みすぎ!ってゆーかそれ誰の子供!?サレオスの子じゃないと産まないわよ私は!
ガクガクする脚で必死に立つけれど、もう限界は近い。
するとそこに生徒会長が自信満々に割って入った。アリソンはめずらしく顔を顰め、生徒会長に迷惑そうな視線を向ける。
「大臣、私はあなたの部下ですし、この先は出世してみせます!それに何より……」
「何より?」
お父様が期待の目で見つめる。
「僕なら、婿に入れますよ」
「むむっ!?」
あわわわわ、お父様の目が光った!しまった、生徒会長は次男だった!!
自分の結婚の話なのに、私は一歩後ろでただ動揺して棒立ちになっている。お父様は生徒会長としっかり手を握り合い、「その話はもうちょっと詳しく詰めよう!」と意気込んでしまった。
嘘でしょぉぉぉ!?
も、もうイヤ、なんでこんなことに……親子喧嘩がとんでもない事態に発展してしまったわ。
周囲の人たちが騒然とする声が聴こえる。ドクドク鳴る心臓と破裂しそうな血管と、もう何だかよくわからないけれど節々が痛い。え、この数分で風邪ひいた?
額を押さえて俯く私に、ヴィーくんが心配して顔を覗き込んでくる。紅い瞳が私を案じて曇っていた。ものすごく同情されている。いっそ気でも失えれば楽なのに、私を気絶させられるのはサレオスだけらしい。なまじ強い精神力が仇になっている。
「あぁもう、気絶したい」
私が呟くと、今度は視界の端にレヴィンの藍色の髪が入り込んできた。
「姉上ってば気絶したいの?しょうがないな」
「え?」
まさか独り言に返事があるとは思っていなかったので、びっくりして顔を上げる私。が、その瞬間、みぞおちにとんでもない鈍い痛みが突き刺さった。
--ドンッ……
「うぐっ」
私は前屈みになり、その場に膝をつきそうになる。視界が端からどんどん真っ暗になっていき、自分がお腹を殴られたことに気づいた。
嘘でしょレヴィン、どこの世界に弟に殴らせて気絶を演出する令嬢がいるの!?
「マリー!?」
アリソンの声が聴こえた気がした。でも痛くて気持ち悪くてそれどころじゃない。グラリと身体が倒れ、私は意識を手放した。




