事の顛末は
馬車に戻ってしばらくすると、イリスさんが口元に手をやり、笑いを堪えながら乗り込んできた。うっすら涙が滲んでいるようにも見える。
サレオスはなぜこんなことになっているのかわかっているようで、じとっとした目を向けて無言を貫いていた。
今、馬車の中には私とヴィーくん、正面にサレオスとイリスさんが座っている。状況がわからない私は、二人の顔を交互に見つめた。
イリスさんは一言すみません、と言ってどうにか笑いを抑えてから話し始めた。それと同時に、馬車はゆっくりと動き始める。
「いや~、まさかマリー様がカップを入れ替えるとは思いませんでした!あ、私は給仕の隣でずっと見てたんですけどね?」
え!?いたの?あの場に!?私も驚いているけれど、ヴィーくんも目を見開いている。アサシンの目を欺くってどんな透明人間なのよ!?
「ちなみになぜカップを入れ替えたのですか?」
イリスさんに問われ、私は正直に答えた。
「お薬は食後に飲まないといけないと思ったので」
「「「は?」」」
あら、どうしよう。説明が足りなかったわ。イレーア様がご病気だって話を飛ばしてしまった!
私が慌てて説明し直そうとすると、サレオスが少し悩んだ後に代わりに説明してくれた。
「つまり、紅茶に入れられたのはイレーアの薬だと思ったのか」
「そう!」
さすが賢い人は話が早いわ~と思っていたら、サレオスの隣でイリスさんがまた笑いを堪えきれずに噴き出した。前から思ってたんだけど、イリスさんて笑い上戸なのかしら。サレオスとの温度差がすごいわ。
でもヴィーくんも咳払いしているけど、絶対笑ってるわ。サレオスは額に手をやってため息をついているし、馬車の中に私だけが何もわかっていない空気が漂う。
「ええっと、マリー様にはどこまで説明しても?」
イリスさんが隣の主人をちらっと見て確認する。何か話せないことでもあるんだろうか。サレオスは私の顔を見て、少し困ったように間をあけた。
「詳細はいらない……任せる」
サレオスの言葉ににっこりと笑ったイリスさんは、私をまっすぐに見て説明をしてくれた。
「実は、イレーアが従者を使ってある薬を入手したという情報が入っていまして。それで、誰にその薬を使うのかと見張っていました」
誰に?自分が飲むためではなくて?私の疑問に、イリスさんが苦笑いを浮かべた。
「身体が弱いなんて嘘ですよ。見るからに元気ですし、病弱ならアガルタまで来られません」
はっ!確かにそうだわ!
隣でヴィーくんが「だから言いましたよね」みたいな空気を醸し出している。ううっ、紫頭のお母さんからの視線が痛い。
まんまと騙されたわ、やるわねイレーア様……!ごめんヴィーくんの忠告を聞かなくて!私が俯いて反省していると、イリスさんが言いにくそうにぼそっと呟く。
「まぁ薬は薬なんですけど、マリー様のカップに入れた薬はその、なんていうか気分が高揚する薬でして……」
「気分が高揚?楽しくなるの?麻薬みたいなものかしら」
首を傾げた私に、隣にいたヴィーくんが容赦なく補足をくれた。
「あれは媚薬です」
「えっ」
私は衝撃で思わず声をあげた。でもヴィーくんはご丁寧に説明を続けてくれる。
「一見ただの砂糖ですが、あれを飲むと性欲が増幅して男の身体を求めずにはいられなくなります。それで行為中に精……ってすみません、まだ死にたくないです」
サレオスがヴィーくんを思いきり睨んでいるわ!突き刺さる視線だけじゃなく、物理で刺さりそうなナイフを指で挟んでるし……ってサレオスそれどこから出したの?
イリスさんは「まじめに解説しようとしすぎ」と言って笑っている。
ヴィーくんは、箱入り娘の私の前で口にすることじゃなかったと今さら気づいたみたいだけど、あいにくシーナからそういう話はガンガン入ってくるから実は私だってそんなにピュアじゃなかったりする。
でも「大丈夫です、知識だけはあります!」とも大きな声では言えないから、ちょっと恥ずかしい感じだけ醸し出しとこう。ごめんねヴィーくん。
「つまりはですね、イレーアの策略では、マリー様に薬を飲ませておかしくしてしまって、護衛とそういう関係になれば……という感じだったんですよ」
って、私に飲ませるつもりだったの!?まったく笑えないわ!だからあんなにヴィーくんを勧めてきたのね?薬でおかしくなってそういう関係になんて無茶苦茶な!そもそも自ら毒を盛るってどれだけ本気なのよ!?
私は顔面蒼白で、言葉を失った。
「あ、大丈夫ですよ?あのままマリー様が口にしそうならその場でカップごと割るつもりでしたし、解毒薬も用意してましたし。まぁでも最悪の事態になれば都合よく既成事……ってすみません殺さないでください」
サレオスが一瞬で殺気立った!イリスさんがナイフを突きつけられているわ!
ヴィーくんはなぜか私の耳を両手で塞いで聞かせないようにしているけど、これしても聞こえるからね?耳栓じゃないと意味ないからね?
そもそもあなたが妄信してるような純朴な令嬢じゃないから大丈夫なのに。どうやらまだまだ洗脳は解けていないらしい。
イリスさんは、こんなの慣れっこな様子であははと軽く笑って話を続けた。
「彼女は結局、自分が薬の餌食になったわけなんですが。私が控え室を確認してきたところ……ってこの先も聞きます?」
イリスさんが私に尋ねる、というよりはサレオスに視線を向けていた。
聞かなくてもわかる、イレーア様は従者の人と控え室に行ったんだもの。きっとそういうことになっているに違いない……。
私は首をぶんぶんと左右に振って、聞きたくないと意思表示した。サレオスはため息をついて、「もういい」とだけ呟いた。
しばらくの間、ガタゴトと馬車が走る音だけが聞こえていた。
あ、あぶなかったわ。
てっきり彼女の病の薬だとばかり思っていたから……カップを入れ替えてよかった!
万が一にもそんな薬を飲まされたりしたら、サレオスのお嫁さんになれなくなる!
身に降りかかっていたかもしれない災難にゾッとして、私は自分の体を抱きしめるように左右の腕を掴んだ。
だいたいここって乙女ゲームの世界じゃなかったのかしら。媚薬を盛るってマフィアなの?裏社会じゃなくてもそんなことが起こり得るなんてびっくりだわ。私がモブだから、乙女ゲームの枠から飛び出しちゃったのねきっと。おそろしいわ。
あぁ、窓の外を見ていてもまったく落ち着かない。寮に近づくにつれてだんだんと西陽がまぶしくなり、私は無言でカーテンを閉めた。




