逃走者たち
フレデリック様を置き去りにして、私は広い庭園をとにかく走って逃げた。ふわふわと揺れるスカートとペチコートがものすごく邪魔だわ。
途中、木陰でいちゃついていた使用人カップルの横を通り過ぎ、鉄製の扉をくぐり、水路の橋を渡って……くらいまでは覚えているけれど、ここがどこなのかまったくわからなくなっている。王城ってものすごく広いのね!?
明るいことが救いだわ。冬だけれど日傘を持って来ればよかったと後悔するほどの陽気だから、迷っているけれど焦りはない。
「はぁ……」
これからどうしよう。夜会で迷子になったときはサレオスが迎えに来てくれた。でもきっと今頃、トゥランと交流を持ちたい貴族の人に囲まれているだろうし、どこかの令嬢に迫られているかもしれないわ。あぁ、私がいない間に、運命の恋に出会っていたらどうしよう。
はっ!だめよ、これくらいひとりで何とかしなきゃ!サレオスに頼ってばかりじゃいけないわ!「自分でどうにかしようとするのやめたらどうだ」って雪山でサレオスには言われたけど、護衛と弟がポンコツコンビなんだから仕方ないわ。
私は来た道を懸命に思い出しながら歩いていく。
水路にかかる橋まで戻ってきたとき、どこかで見たことのある後ろ姿が目に入った。彼も歩いてきた私に気づき、驚いた顔をしたけれどにっこり笑ってくれた。
「生徒会長、ここで何を?」
茶色の髪が光に透けて、きらっと光る。彼は困ったような笑顔を浮かべ、茶会が行われているであろう方向を一瞥した。
「ここなら誰もいないと思って……」
あぁ、逃げてきたんだ。私とは理由が違うけれど、この人も逃走者なんだわ。互いに愛想笑いで向き合うと、そのまま近くの木陰に移動した。本のお礼を伝えると、苦笑いで「レポート受け取ったよ」と言われた。熱い思いを書き綴りすぎたかしら!?
「そういえばなぜこんなところに?」
不思議そうな顔をする生徒会長。私がフレデリック様から逃げてきたことを話すと、「それは大変だったね」と同情してくれた。本当にいい人だわ。
「茶会の場所に戻るなら送るよ」
しかも自分はそこから逃げてきたのに、私のことを連れて行ってくれるとまで言い出した。どこまでいい人なの!?
神様だ、神様がいる。
「ええっと、それは一体何のポーズかな?」
神様かと思って、両手を合わせて拝んでいたら怖がられてしまった。私は何でもありませんと言い、お言葉に甘えてみんながいる場所まで連れて行ってもらう。
「あの、そういえばどうですか?その、女性恐怖症の改善は……」
「あぁ、随分良くなったんだ。治る兆しが見えたというか、本当にマリー嬢には感謝しているよ」
生徒会長は爽やかな笑顔で、本当に調子が良さそうだ。まだ茶会などで囲まれると逃走するけれど、一対一なら平気になりつつあるらしい。かなりの進歩だわ、と私がびっくりしていると、何度もお礼を言われた。
「あの先生、すごいね。紹介されたときはお医者様と思っていたけれど、精神融解を専門にする魔術師だったなんて」
「え?心療内診の先生じゃないんですか?キャサリン先生」
あれ、てっきりお医者様だと思ってたのに。私は数年前に会った、ソバージュのおばあちゃん先生を思い出した。確かに言われてみれば、魔術師というか魔女っぽい。
「あれ?知らなかったのかい?すごく有名な魔術師らしいよ」
私の疑問に、生徒会長も驚いていた。そうね、紹介したのに知らなかったんだって驚くわよね。
キャサリン先生は、私の中ではカウンセラーみたいなイメージだったんだけれど実はまったく違うらしい。生徒会長の説明によると、本人の記憶の層を魔法で入れ替えることによってトラウマなんかを奥底に封じ込めるんだそうな。
「じゃあ生徒会長は、女性が苦手になったきっかけをキャサリン先生の魔術で記憶の底に押しやったってことですか?」
「うん、簡単に言えばそんなところだね。キレイさっぱり封じ込めると、魔法が使えなくなるくらい魔力が減るらしいからそれはさすがに仕事に支障が出るからね。他にも色んな弊害が起こるらしいから、少しずつって感じかな。でも随分違うよ、だってほら……」
生徒会長は私の左手をそっと掴むと「ね?」と笑ってみせた。
まったく赤くなってない!私は驚いて彼の手と顔を何度も交互に見比べた。
「すごい!ここまで治ったんですね!すごいですよ生徒会長!神様はいい人の味方ですよ!!!」
あんなに赤面していた人が、そして険しい顔をして逃走しようとしていた人が……!私は興奮して叫びながら詰め寄った。何だかお母さん気分で泣きそうだわ!
「あ、あの、ちょっと、ごめん」
「え?」
しまった!感動と興奮のスペクタクルすぎて追い詰めすぎた!また前みたいに赤くなってしまった生徒会長を見て、私は大慌てで飛び退いた。
「薬っ!大変、死なないで生徒会長様!」
動揺して誰かを呼びに走ろうとするが、今度は逆に慌てた彼に「大丈夫だから!これは違うから!」と手首を掴まれた。そんなこと言われても、倒れられたら私には運べないわ!
そしておろおろする私たち二人の間に、さらにこの場を混乱させるうちのアサシンが現れた。
ーーチャキッ
短剣を生徒会長の首もとに突きつけたヴィーくんは、完全にターゲットを仕留めにかかるアサシンそのもの。最近のんびりしてたから忘れてたけど、やっぱりこの人、裏の世界の人だった!殺気が凄まじい。
「主様、ご無事ですか」
「ちょっとヴィーくん何やってるの!?やめて!」
私の制止も聞かず、首元に当てられた短剣は生徒会長の皮膚に突き刺さる寸前だ。
「俺の目の前で主様を拐うとは、恐ろしいほどの手練れだな!」
「「は?」」
ひぃぃぃ!恐ろしいほどのおバカ!
あなたよそ見してたわよね!?私がフレデリック様に追い詰められてたとき、レヴィンと呑気にバズーカ談義してたわよね!?
どこまでもおバカなアサシンは、苦悶と後悔の表情を滲ませながら訴えた。もう紫の髪がコントにしか見えない。
「申し訳ありません……!斯くなる上はこいつを始末した後、この命で償いを!」
「重い重い重い!生きて!私は自分で逃げたから!そしてその人まったく関係ないから、ただのいい人だから!」
私は必死で説明する。ヴィーくんの手首を掴み、短剣を少しでも生徒会長から離そうとがんばった。
「あははは、その言われ方は複雑だなぁ」
あぁ、こんな状況でも生徒会長は落ち着いているわ!苦笑いだけど。
誤解が解けたヴィーくんは、生徒会長に謝罪をして許してもらった。これが別の人だったら、こんなに優しく許してもらえないわよ!
私はヴィーくんを叱り、三人で茶会の行われている庭園へと戻った。




