トゥラン公館にて
王都にあるトゥラン王国の公館に、数台の馬車が到着し、漆黒の衣装を纏った大柄の男が降り立った。
二ヶ月ぶりに見るその姿に、建物の中から様子を見ていたイリスは主人の隣で軽口を叩く。
「うわぁ、相変わらず険しい顔で……宰相様のあの顔なんとかなりませんかね~」
冗談めかしてはいるものの切実な本音がのぞく言葉に、書机に向かうサレオスは手紙を書く手を止めてふっと笑った。
「どうにかなるなら、とうの昔に変わってる」
いつになく柔らかい態度に、イリスは少し驚いた表情をした。
「あれ、サレオス様、何かいいことでもありましたか」
「……」
問いかけに返ってくる言葉はなく、明らかに聞こえているのにまたせっせと手紙を書く手を動かし始めるサレオス。こういう場合、原因がどこにあるかイリスはわかっていた。
「マリー様、お元気になられてよかったですね」
「……あぁ」
今度は返事があったものの、何があったのかは話してくれる気がないらしい。そう察したイリスは、仕方なく別の話を切り出した。
「ええっと、マリー様に今後のお話はされましたか?」
「……してない」
素っ気ない返事は予想済みだが、イリスは苦笑いを浮かべる。そして少しため息をついた後、主人が封をした手紙を自然に受け取った。
「せめてお気持ちだけでもお伝えになったらどうですか?まさか議会で承認を得られるまで何も言わないおつもりですか」
「……」
図星と取れる沈黙に、イリスは大げさに額に手をやってやれやれという風に演出した。
「女性というのは態度より言葉ですよ~サレオス様。態度でわかるだろうっていうのは通じない生き物ですから。髪飾りを渡して、それで伝わってると思ったら大間違いですからね。だいたい……マリー様ですから。そこわかってます?」
「……それは、そうだが」
主人の眉間にどんどんシワが深くなっていくことには気づいているが、それでもイリスは話をやめない。
「宰相様をうまく丸め込めたら議会での承認もほぼ確実に得られるわけですし、もうはっきりとお伝えになった方がいいと思うんですよ。正直なところ、そろそろテルフォード家との交渉や婚約式の準備を始めたいです」
イリスにとっては、臣に降りることや婚約について議会の承認を得るよりも、マリーの父親を納得させる方が無理難題に思えていた。
サレオスもそれはわかっているようだが、小言はもうたくさんだと言わんばかりに気怠げな顔をする。
「地道な説得は苦手分野なんです。小細工と罠で何とかなることならともかく、マリー様を嫁にくださいってなるとねぇ……無茶できないじゃないですか?」
視線を斜め上に向け、思案を始めたイリスはひとり言のように言葉を並べた。
「もう早いところ気持ちを伝えて、マリー様からお父上を泣き落としてもらうのが得策かつ効率的ですね。もう明日の茶会で求婚するのはどうかと……」
サレオスは机の上に乱暴に万年筆を置き、ボソボソと呟くイリスに鋭い視線を向ける。
「おまえはすぐにそう言って#急__せ__#く……!まだ不確定なことをマリーに話せるわけないだろう」
「えええ、そうやって先延ばしにしてるうちに、土壇場で振られないでくださいよ~ってすみません、そんな怖い顔しないでください」
「兄上には手紙を出した」
イリスが持っている、今しがた渡したばかりの手紙に視線を落としたサレオスは、椅子の背もたれに身体をドサっと預けて瞳を閉じた。
「え、そんなことしたら……来ますよ?」
「だろうな」
「それならなおさらマリー様に……」
「アガルタの王家に根回しが済んでいないうちに俺が動けば、確実に揉め事になる。第一、まだバルテルス公爵家のことがあるぞ。……マリーには何の心配もさせたくない」
暗にもうこの話は終わりだと席を立つサレオスに、イリスは呆れ顔で後を追った。
「ほんっとに諦めが悪いですよねイレーア様って!とはいえ、サレオス様。マリー様の一番の心配事はあなただと思うのですが」
サレオスは扉に向かう足をピタッと止め、恨めしげな目でイリスを睨んだ。これ以上何も言うなよ、と全身から圧を放つ。
「またそんな怖い顔して、これから宰相様とお話があるでしょう?さ、笑ってくださいね~」
「くっ……!」
顔を歪ませながら扉を開け、足早に応接室に向かうサレオスの姿を見てイリスは目を細めた。
(もう少し適当に生きてくれればいいんですがね……テーザ様の十分の一でも)
宰相の来訪により途端に緊張感が高まった邸の中を、二人は無言のまま歩いて行った。




