潔癖症の人
授業の終盤に差し掛かると魔力回復薬がなくなってしまったので、新しいものをヴィーくんに取りに行ってもらうことになった。魔力切れで白目だったEクラス女子に2本あげてしまったから、自分が使う分が足りなくなってしまったのだ。
「すぐに戻ります」
そういうと一瞬で消えてしまい、治療したばかりの長身女子がものすごくびっくりしていたわ。あぁ、普通の護衛って一体どんなのかしら?
傷を治したEクラス女子からは、過剰に感謝されて恐縮してしまった。
「マリーちゃんがいてくれて良かった!」
特に顔の傷がすぐに治るのは嬉しいらしく、私も数をこなすことで練習になった。今日一日だけで魔力量は上がらないけれど、それほど深くない裂傷なら1、2分で治せるようになったし、このままいけば順調に回復魔法が上達するかもしれないわ!
屈強な女子たちは、私のことを小動物みたいだと言ってかわいがってくれて、ケガが治ると抱きしめられて撫でまわされることもあった。これはこれでちょっとキュンだわ!
私が治療をすべて終えて女子数人と談笑していると、騒ぎ声が聴こえてきた。何事かと意識をやると、頭から血を流して腕もおかしな方向に曲がっている男子が担ぎこまれてきた。
「すみません!女子だけだって聞いてはいるんですが頭のケガがやばい状態なんで止血だけでもしてくれませんか!?」
担いでいる男子二名は悲壮な顔をしている。「こんなつもりじゃ……」ともう一人の男子が呟いているから、おそらく予期せぬ事故でも起こったのだろう。こんなケガをするなんて、E・Fクラスってどんな模擬戦してるの!?ここにいた女子は「またか」という顔をしている。
すぐにベッドに彼を寝かせてもらい、頭部の傷口をタオルで拭った。頭はたくさん血が出るけれど、実は傷自体はそれほど深くないことも多い。
昔レヴィンが木から落ちたとき、もう死ぬんじゃないかと思うくらい血が噴き出たけれど、数分で止まってお医者様を呼ぶ必要すらなかったことがあった。私が血を見ても慌てずにいられるのは、自分やレヴィンがこれまで散々あぶないことをしてきたからかもしれない。
実際にこの彼も、血の量のわりに傷は小さくてほっとした。私は手を翳し、回復魔法をかけてとにかく血を止める。
「この後、目が覚めたら念のためお医者様に診てもらってくださいね~。私は練習中なので」
「わ、わかりました」
担いできた男子もそれなりにケガをしているけれど、これくらいなら許容範囲かとひとまず放置する。彼らは先生に報告してくるということで、いったん闘技場の奥の方へ行ってしまった。女子たちも再び授業ならぬ戦場へと戻っていってしまう。
そこにちょうどヴィーくんが戻ってきたので、保健医さんを呼んできてほしいと頼んだ。「いってきます」と言って、またすぐに彼は走りだすというか消えていく。働き者で助かるわ。
そんなことを思っていると、授業が終わる鐘の音が聞こえてくる。もう授業が終わったから、治療するのもこれで最後だろう。ヴィーくんが置いて行った魔力回復薬を飲んで、寝ている彼の腕の切れた筋肉を治す。
もっとも、ありえない方向に曲がっていた腕を治したのはEクラスの女子。応急処置も習うらしく、彼の腕はすっかりまっすぐになっていた。私もコレ覚えたいな。
しばらくするとすっかり顔色も良くなってきたし、見た目にはどこにも傷なんてない。こんなものかしら、治療を終了し、片付けに入る。
私が魔法回復薬の瓶をガチャガチャと片付けていると、「ううっ」と呻き声がして男子生徒が目を覚ました。さすが体力があるというか、目覚めるのが早い。
「あ、起きました?」
「あれ?俺、頭……」
茶色い短髪の彼は、髪にまだ血がべったりついている。顔も血がついているので、元気になった分ハロウィンの仮装っぽさがすごい。そういえば治療するのに必死で、拭いている余裕なんてなかったわ。
「もうすぐ友達が迎えに来てくれますよ。今は先生に報告に行っています」
私は濡らしたタオルを渡して、血を拭くように促した。上半身を起こした彼はそれを受け取って、でも使わずにこちらを見ている。何だろう……。使い回しを心配しているのかしら、潔癖症なの?
もうすぐサレオスがこっちに来るだろうから、帰る準備をしてちらりと彼の様子を伺う。一向に動く気配がないのは調子が悪いんだろうか、でもじっと見られているのが居心地悪い。タオルがきれいかどうか聞きたいけれど聞けないのね……!ここは私から教えてあげよう。
「あの、今、保健医さんを呼んでいます。ちなみにソレ、濡らしただけで新品です」
せっかくきれいですよアピールしたのに、彼はまったく反応を示さない。
「あんた名前は?うちのクラスじゃないよな」
「あ、はい。マリーウェルザ・テルフォードです。今日は回復魔法の練習で来たので」
「そうか、それで俺はケガが治ってるんだな……あぁ、俺はランスだ」
タオルを握りしめてこちらを睨むように見つめる彼は、特に異常はなさそうだった。でも、起きてからずっとこっちを睨んでいる。
「「……」」
沈黙が気まずい。やっぱり潔癖症なのね、絶対にタオルを使おうとしないわ。でもきれいなタオルだと証明する方法がない。鋭い視線が落ち着かないけれど、私は片づけを続ける。
荷物をすべてかばんに詰め込んだとき、ランスさんが突然に声を発した。
「マリーは次、いつ来る?いつ会える?」
「は?」
ランスさんは何を言っているんだろう。もしかして私に戦えって言ってるの?いやいや、それはないわ、きっとまたケガをしたら治療をしてほしいっていうことね。
「予定は決まっていませんが、また自分の授業がない時間に来ます」
私がそう答えると、彼はベッドから立ち上がりこちらに近づいてきた。おおっ……立ち上がるとジュール並みにデカいな!圧倒されて、私は一歩後ろに下がる。やっぱり睨んでいるのが怖い。
「タ、タオルは新品ですので使いまわしていませんよ?」
狼狽えた私は必死で弁明する……が、そこへヴィーくんが戻ってきてくれた。
そしてその隣には、保健医さんじゃなくサレオスがいる。私はほっとして、つい二人に縋るような視線を送ってしまった。そのせいで、ランスさんに対して二人が一瞬で警戒したのがわかった。
「マリー?誰だその男は」
サレオスが私の肩越しに見える巨人を見て殺気を放つ。血だらけで私を睨んでいるから警戒しているのだろう。
「ランスさん。ええっと、悪気はないんだと思うの。潔癖症の人なの」
「「はぁ?」」
あ、彼がここに担ぎ込まれてきたことを説明するのを忘れてしまったわ。サレオスとヴィーくんが首を傾げている。でも私が説明する前に、ヴィーくんが状況を察してくれた。
「ケガを治した、ということでよろしいでしょうか主様」
「そう!初めて私の言いたいことがわかったのね!」
「初めてってことはないでしょう!?あれ?主様、髪に何かついてますよ」
ヴィーくんは私の前髪に何か糸くずみたいなものがついているのを発見し、それをすぐに手で払ってくれた。最近この人にまでエリーの世話焼きが移っているみたいで、護衛兼お母さん化しつつある。
サレオスは自分より過保護なヴィーくんを見て呆れているのか、何とも言えない苦い顔をしていた。
マズイ……自立してない娘だと思われる!一人で何もできないと思われる!
しかもヴィーくんは私の懸念など知らぬまま、私の指に小さなささくれを発見して例のドス黒い薬まで塗りこんできた。過保護!!!
「ちょっとヴィーくん、ささくれ程度に薬なんて塗らなくていいから!しかもそれ、私の回復魔法よりも役に立つ薬だから」
私はお母さん化したアサシンに注意する。髪色が紫の短髪なお母さんってどこのナニワおかんなのあなた!?
「主様、俺はエリーさんから責任を預かっているんです!」
大げさ!私は逃げようとするけれど、腕力では絶対に勝てない。
「おい、ヴィンセントやめろ」
私の腕をつかんで離さないヴィーくんは、サレオスにまで注意される始末。だいたい、護衛に薬塗られる令嬢ってどう考えてもおかしいでしょ!?周りに「それくらい自分でやれよ」って思われるじゃないの!私はヴィーくんの手を振り払って訴えた。
「もう本当にやめて、すぐに治るから!ささくれ程度で責任とか言われるの重いから」
むしろ私がサレオスに薬を塗って治療したいわよ。ケガまったくしないからそれは無理だけど。
私たちがひと悶着起こしていると、すっかり放置していた血まみれのランスさんが突然声を荒げた。
「そいつは誰だ!まさかマリーの恋人か!?」
「は?」
ランスさんはヴィーくんに鋭い視線を向けている。潔癖症だから恋人がいるとか許せないのかしら?
「違いますよ」
即座に否定すると、彼は私の目の前にズイッと近づきまさかの一言を放った。
「マリーに恋人はいないんだな?なら俺と結婚してくれ!」
「「「は!?」」」
突然の求婚に三人分の声がハモる。
きっと頭をケガしておかしくなったんだわ……!病院に連れて行かなきゃ!でもランスさんはタオルを握りしめたまま、叫ぶように訴えた。
「さっき目が醒めたとき一目惚れしたんだ!俺は絶対に騎士団に入って出世するから、嫁になってくれ!」
私が愕然としていると、ヴィーくんが私と彼の間に割って入り、次の瞬間にはランスさんの首に短剣を突き付けていた。
「殺すぞ」
「ちょっとヴィーくんだめ!学園内で殺傷はだめ!」
「結婚してくれないと死ぬ!頼む!」
ランスさんの声とほぼ同時に、私のすぐ隣を長く黒いものが走った。
――ドガッ
「え……?」
「なら今すぐ死ね」
ヴィーくんとランスさんが重なるようにして闘技場を転がっていく。私が隣を見ると、無表情で冷めた目をしたサレオスがいた。
え、今あなたヴィーくんを蹴ったの!?なんで!?
サレオスに蹴られたヴィーくんに重なって、ランスさんは飛ばされたらしい。ヴィーくんの短剣がかすって首から血が出ていて痛そうだ。前から思っていたけれど、ちょっと護衛に厳しくない!?
私が唖然としていると、サレオスは倒れている二人のもとに近づき、手のひらに紫色のバチバチと鳴る光を集め始めた。いやぁぁぁ!何かものすごく怒ってる!このままじゃ殺傷事件になる!
「それはダメ!死んじゃう!」
ヴィーくんはさすがの素早さで、すでに遠くに逃げていた。うん、あの子はできる子だわ。
ーーダンッ!
仰向けでひっくりかえっているランスさんに近づいたサレオスは、彼の顔面の真横に足を踏みしめた。
「二度と近づくな、次は殺るぞ」
こ、これは足ドンの一種ですか……!?やってることがマフィアの所業なんですが……!?
ランスさんは震えながら何度も頷いていた。
なにこの恐怖による制圧、高レベルのバイオレンス空間だわ。でも頭をもう一度打ったことで正気に戻ってくれるといいな。
私がそんなことを考えていると、こちらに戻ってきたサレオスが私のことを荷物のように肩に担ぎあげた。
「帰るぞ」
「ちょっ……!なんで!?歩けるから降ろして!」
このまま帰るの!?絶対に誰かに見られるじゃない!こんな姿見られるわけにはいかないとジタバタするも、やっぱりがっちりと捕まれていて逃げられない。
闘技場の外まで運ばれた後、もう絶対に模擬戦の授業には行かないということを条件に、私は肩から降ろされた。




