父、乗り込む
フレデリック様の公開告白は、瞬く間に学園中に広まった。それどころか王城まで賑わせているらしく、噂はどんどん雪だるま式に大きくなって、どうやら私は婚約申込をされたことになっているらしい。
たった二日でどエライ騒ぎになってしまっていて、渦中のテルフォード家は大慌てだ。一族から王太子妃が出るのかと、タウンハウスや外務担当室にはたくさんの親戚がかけつけているらしい。
そしてその結果、怒り狂ったお父様が学園の寮に乗り込んできてさらに事態は騒然となった。
今、男子寮の応接室には、フレデリック様とヴァン、私、そしてお父様がいる。ヴィーくんは安定の屋根裏でスタンバイ。といっても王太子を害するわけにいかず、実際のところ彼には何の仕事もない。
空気はルレオードの雪山よりも冷え切っていて、寒くもないのにときおりゾクッとする。
「一体どういうおつもりか!あなたはご自分がされたことを分かっていない!今すぐ撤回してください!」
お父様のあまりの剣幕に、血管が切れるのではと心配になる。外務担当の黒衣のままで荒れ狂うお父様は、私の知っている優しくて少し涙もろい父ではない。
誰、この人……。目は血走っているし肌はカサカサ、イケオジの風上にも置けない姿に私はとんでもないストレスを与えてしまっていることに気づく。
「これでは婚約しなかった場合、事実がどうあれマリーに至らぬところがあったからだと噂されてしまう!うちの娘を何だと思っておられるのか!」
あぁ、お父様の怒りがとてつもないわ。これはもう宥められない。私はフレデリック様を恨めしく思った。
でも目の前にいる、怒られているはずのご本人にはまったく響いていない。爽やかすぎるほどの笑みで、余裕すら感じる。怖い、怖すぎる。
「絶対に娘は王太子妃になんてさせませんからな!もしも無理にでも奪おうものなら、総力を挙げて抵抗させていただく!」
激怒するお父様は何度も机に拳を叩きつけていて、とても王子様への態度とは思えないくらいだ。私はなすすべなく、ただソファーでオロオロしていた。
「まぁ、侯爵。落ち着いてください。私に『欲しいものがあるなら手段は選ぶな』と教えたのはあなたですよ?」
「それは治世の話だ!」
「あぁ、大丈夫です。マリーの気持ちを優先したいのでさすがに無理やり婚約をとは言いませんよ。これからは月に一度、マリーを婚約者候補として城に招きたいと思っています」
「え!そんなこと聞いてません!」
私は衝撃でつい会話に割り込んでしまった。どうしよう、何だか外堀をガンガン埋められていく気がする!
フレデリック様は笑みを崩さず、私の動揺もお父様の怒りも何でもないように受け流している。「私の気持ちを優先したいなら今すぐ諦めてください」と言葉が喉から出かかったけれど、理性のカケラがそれを留めた。
「娘の気持ちを優先したいなら、今すぐ諦めてください!」
言ったぁぁぁ!お父様、言っちゃったぁぁぁ!さすがだわ、さすが世界各国の使者を相手に渡り合っているだけのことはあるわ!絶対に譲れないときは遠慮しちゃダメなのね!ステキよお父様!
「あなたが奥様を手に入れるためにやったことに比べたら、ねぇ?それに今もマリーにやってくる縁談をことごとく」
「月に一度の茶会なら許しましょう」
うそぉぉぉ!お父様なんで譲歩してるのよ!?一体何やったの!?
「ただし指一本、髪も肩もドレスも、どこも触れないでください!それだけはお約束を!」
「おや?それはサレオスにも伝えているのかな?昨日なんて膝」
「フレデリック様ぁぁぁ!月に一度の茶会はいつからでしょう?秋頃からかしら!?」
お父様の耳に決して入れたくない情報が飛び出しそうだったから、私は慌てて茶会の日程を尋ねる。
「マリー、まだ二月だよ……。さすがに私もそこまでは待ってあげられないな」
あぁ、絶望で目の前が霞むわ。私はサレオスのお嫁さんになりたいのに、なんでこんなことに……。
そういえばサレオスはこのことを知っているのかしら。昨日はずっと寝てたし、今日は午前中しか会えなかったわ。知らないのか興味がないのか、どう思ってるかはわからないけどいつも通りだった。
帰りは寮まで送ってくれて、手を繋ぎたかったから「寒い」と言ったのに、魔法で私のまわりをあったかくしてくれた。彼に才能がありすぎて、私が思ってたのと違う結果になった。やはり恋愛小説は役に立たない。
でも自分は午後からも授業があったのに、危ないからといってわざわざ送ってくれるなんて優しすぎる。寮の入り口からこっそり背中を見送ったときはキュンだったわ。せっかく帰ってきたのに、また付いていきそうになった……!
あぁ、目の前で美しい笑みを浮かべる悪魔が憎い……。
そもそもサレオスは私と結婚してくれる気はあるのかしら。国に連れ帰りたいと思うほど好かれているとは、残念ながら思わないわ。
あれ、これってやばくない?
よく考えてみれば、どこの世界に王太子と張り合ってくれる人がいるというの!?いくら私に侯爵家ブランドと多額の持参金があったとしても、王太子に婚約を申し入れられるなんて面倒なものを背負わされたら、嫁に欲しいなんて言ってくれる人はこの世にいないんじゃ……!
なんてことなの!まさかそれも計算のうち!?震えながらフレデリック様を見ると、にっこりと微笑んだ瞳がすべてを肯定していた。「今ごろ気づいたのかな?」とでも言うように。
結局、フレデリック様との話し合いはもつれにもつれ、公開告白から派生した婚約申入れに関しては撤回してもらえなかった。
そしてお父様は私を寮に送り届けた後、「行くところがある」と言って足早にどこかに出かけて行った。目が据わっていたのでどこで何をするつもりなのかは聞けなかった。お母様はすでに領地に発ったというから、さらに恐ろしくて何しに帰ったのかなんて聞けない。
私は自分の部屋に戻ると、疲労感でソファーに倒れこむように座るとしばらく動けない状態に。リサが温かいハーブティーを淹れてくれて、クレちゃんを呼んできてくれた。
「マリー様、大丈夫?」
「大丈夫だと思いたいけれど、ショックで生きた心地がしない」
クレちゃんは隣に座り、背中を撫でてくれている。私は次第にふわふわボディにもたれかかって、そのまま眠ってしまいたいと思っていた。でもそこに、さっき会ったばかりのヴァンがやってきた。
「すみませんねぇ、うちのバカ、じゃなかったフレデリック様が」
言葉とは裏腹に、まったく緊張感のない顔で笑っている。私は無言で、睨みつけるように見つめていた。
「あはは、怒っておられますね。止められなかったのはさすがに罪悪感がありますので、こんなものをお持ちしました」
ヴァンが取り出した紙には、少しの文章と王家の紋章、そしてフレデリック様のサインがあった。
「何ですかこれは」
クレちゃんが私の代わりに内容を確認してくれる。ヴァンはそれを当たり前のようにクレちゃんに渡し、さらっと内容を伝えた。
「簡単に言うと、『マリー様が何か言っても不敬に問いません』っていう誓約書です」
「「え?」」
私とクレちゃんの声がハモる。
「フレデリック様がマリー様と仲を深めたいというものだから、言ってみたんですよ。とにかく王族ってことをいったん忘れてもらって、何でも話せるようにならないといけませんよって。それで俺がこれを提案したら、まんまと、じゃなかったすぐに納得してくれまして」
誓約書をよく見ると、確かに不敬に問わないという内容がしっかり書かれている。
「ねぇ、これって追加は可能かしら?」
私は誓約書を見つめながら、ヴァンに提案した。彼は快諾してくれて、フレデリック様に新しい誓約書にサインをもらってくれるという。
誓約書の不敬に問わない人物の対象に、エリーとリサ、ヴィーくん、クレちゃんたち友達の名前、サレオス、そして家族の名前も追加してもらった。
どんどん名前が増えていくのを、ヴァンはおもしろがって見ている。
「これ、通るかしら?」
「通します」
そして翌日、ヴァンは本当に私が希望した誓約書通りの内容で許可をもらい、証書を複数枚持ってきてくれた。仕事が早いぞヴァン!さすがエリーの夫ね!私はまだ何も解決していないのに、とりあえず不敬に問われないことに安堵してストレスが少しだけ減った。




