謎の薬
私たちは昨日の出来事はもうすっかり忘れて、予定通り夏休みを満喫しようと街へと足を運ぶ。夏らしい露店がたくさんあって、とてもにぎやかな雰囲気で気分が明るくなる。
今はおじいさまのところに遊びに行っている弟のレヴィン、妹のエレーナともよく街に来るので、このあたりは庭のようなもの。毎年来ているクレちゃんにとっても、ここはホームみたいなものだ。
馬車を降りるとまず、クレちゃんが毎年訪れるフルーツパフェの店に入る。
アイちゃんはかりっこりの痩せ型にしては、食べる量が多め。胃下垂という太りにくいタイプなんだろうか? ここでも二種類の味が楽しめるデラックスパフェを完食した。
私はというと、ちゃっかりサレオスのとなりに陣取り、スプーンの上にフルーツを乗せて「あ~ん」……とかいう展開はまったくなかった。だって同じのを注文しちゃったんだもん。本日のオススメってパフェをね!
サレオスも「じゃあ俺もそれ」っていうから、おそろいだって心の中でキャッキャしていざ食べ始めたら「しまった! 交換できない!」って気づいたわ。恋愛偏差値の低さがここにきて足枷になった。
私の後悔をよそに、クレちゃんはご機嫌でパフェを食べている。さすがの賢人も私のオーダーまでは指示をくれないらしい。
そういえばクレちゃんもアイちゃんも、サレオスがトゥランの王子様だって知ってた。
アイちゃんには、「マリー様、ご存知なかったのですか? あんなにサレオス様のまわりには人がいなかったのに?」って言われてしまった。
隣国の王子様だから、みんな近寄りがたくてあぁなってたらしい。まったく気づかなかったわ。
クレちゃんには黒髪なんだからどう考えても他国の出身だと言われ、「気づかないマリー様がおもしろかわいくて放置したの」とも言われた。
「こんなぼんやりした私とよく友達になってくれたね……」
パフェを食べながら、私はサレオスに問いかけた。彼はすでに食べ終わって、珈琲を飲んでいる。
「マリーに害意がないことくらい、すぐわかる。俺をどうこう利用しようなんてまったく考えてないだろう? そんなやつは珍しい」
そのサレオスの言葉に、私はドキンと心臓が跳ね上がった。
わ、私……めちゃめちゃあなたをどうこうしようと思っています!
色々知りたい、手をつなぎたい、抱きつきたい、髪の毛を触りたい、一緒にごはんを食べたい。そして何より、お嫁さんにしてほしいと下心だらけなの! むしろ下心しかないと言い切れる!
ぐっ……どうしよう、まさか私たちの関係が信頼で成り立っていたなんて!
私は小刻みに震えた。パフェのジェラートが全然進まない。
「寒いの? マリー様」
正面に座るアイちゃんが無垢な瞳で尋ねる。うん、もう寒いとかのレベルじゃないわ。
あぁ、珈琲の湯気が目にしみる。隣にいる彼の顔が見れない。心にやましいことがありすぎて。
「マリー様! この後、大きな書店に連れて行ってくださるのでしょう? 書店では自由にみてまわっていいかしら?」
アイちゃんが突然に話題を変えにきた。私はなんて友達に恵まれているんだろう。無言でアイちゃんの手を握り、うんうんと頷くと不思議な顔をされた。あれ、天然だったの?
スイーツ店を出た私たちは、街で一番大きな書店に向かった。四人はバラバラに行動することに決まったが、私はやっぱり抑えきれない下心からサレオスの後ろをちょこちょこ歩いた。
信頼と実績のマリーちゃん、になるのは遠そうだ。いや、そんな日は来ない。来るはずがない。
サレオスは今日、ちょっとお金持ちの商家の息子くらいに見えるラフな格好をしている。ゆるめのシャツに黒のズボン、黒の紐靴というシンプルな姿だが抜群にかっこいい。髪を縛る紐は相変わらず銀色で、黒髪によく映える。
見た目はもちろん好きなんだけど、ってゆーか好きすぎるんだけど、よく知ると性格も穏やかで優しいんだよね。私がちゃんとついてきてるかどうか、定期的に確認してくれるし、突拍子もないことを言いだしてもちゃんと聞こうとしてくれるし。
はぁ……お嫁さんにしてほしい。あぁ、見ていたら触りたくなってきた。気になる本を手にとって、パラパラとめくっているサレオスの背後に立った私は、黒い髪にちょんと指で触れる。ひとつにまとめられた毛束をスルスルと撫でるように梳いてみれば、見た目より細くて柔らかくて。とにかく無心にサレオスの髪で遊んだ。
「マリー、退屈してる?」
しばらく大人しく触られていたサレオスが、ふと私の方を振り返った。え、退屈どころか一心不乱にあなたの髪を触ってました!
「はっ! ごめんなさい勝手に!」
「別にかまわないけど、退屈? どこか別のところに行こうか?」
本を閉じた彼は、それを本棚に仕舞い込んだ。私は慌ててブンブン首を振り、退屈じゃないと否定した。まさか「こっちはこっちで楽しんでました」とは言えない!
サレオスは周囲を見渡し、私が好きそうな本があるコーナーを探してくれているみたい。
ぐはっ……こういうところが好きなの! もうやめて! これ以上好きにならせないで! 私は平気ですから! あなたの髪の毛さえ提供してくれれば、あと五時間はひとりで遊べますから!
「サレオス、私は楽しんでるから気にしないで? ここにしかない本もあるだろうし、私のじゃなくて、自分が好きなのを見てほしい」
超絶オブラートに包みまくって原形をとどめていない言葉を繰り出した私。少しは本音だが、本当に願っているのは「もう少し髪で遊ばせてください」だ。自分で自分の顔は見えないが、今、心の内を見透かされまいと渾身のキメ顔を装っている。私は悪い女なの……。
あ、どうやらうまくごまかせたみたい。彼はまた本棚に向き直り本を探し始めた。
私も本を探している風を装って、今度は新婚奥様ごっこを密かに楽しんでいた。夫と共に書店にきた妻設定である。はうっ!! 毎日一緒に暮らせるのね……! 同じ家に帰るとか絶叫しそう。
手にした本をぎゅうっと抱きしめ、妄想の中の幸せに浸る。そして、本を立ち読みするサレオスを視界に入れる。やばい。幸せすぎて、お腹の奥底がなんか痛い。
「……マリー? それを買うのか?」
「へ?」
私が抱きしめていた本は、『愛される女になる五万のテクニック』だった。お買い上げした。
◆◆◆
楽しい夏休みはあっという間に終わりを迎え、明日からは新学期が始まる。
しかしその前にやることがある。夏の間にやらかした失態を、万事丸く納めなくてはいけない。そう、謝罪という方法を用いて。
新学期前日、学園に着くとすぐに男子寮に向かった。すでに先ぶれを出して、許可はもらってある。男子寮には王子様専用の応接室があり、私はエリーを引き連れ、本気の菓子折りを携えてそこへ向かった。男子寮は初めてで、ここにサレオスもいるのか~ってついほんわかしてしまった。これから戦に出向くというのに我ながら呑気なことだなと思う。
応接室に着いてしばらくすると、フレデリック様がやってきた。ヴァンも一緒だ。私は挨拶もほどほどに、菓子折りを渡して謝罪した。
「お見送りもできず、すみませんでした」
平謝りする私に、心の広い上司のようなフレデリック様は優しく微笑む。
「かまわない。身体がつらかったんだろう?」
不敬にもお見送りできなかった私を、王子様はとがめたりしなかった。案外いい人なのかもしれない。そんなことを思って油断していると、忘れていた会話を掘り返されてしまった。
「ところでマリー。君がもっとがんばれと私に言ったから……これからはそうしようと思うんだ」
馬車の中でうっかり口走ったことを蒸し返され、私は絶句する。
「だから私と、友人として親交を深めてくれないか? もっとマリーを知りたいんだ」
え、何この有無を言わせぬ雰囲気は。笑顔が逆に怖い。
あ、そうか! フレデリック様の婚活のために、女性側のネットワークが必要ってこと!?
でも私、社交面が死んでるんだけど……。
「あの、私はご存知の通り社交の場に出ていなくて、あまりお役に立てないかもしれないんですけどそれでもいいですか?」
おずおずと訪ねた私に、フレデリック様はキラキラした笑顔で頷いた。
「あぁ、だから今後は少しずつ社交場にも出てもらうよ? 来月には十六歳になるだろう? パーティーには顔を出すようにしてほしい」
これは断れない圧を感じる。「私たち友達よね」っていう言葉を信じちゃいけない典型的なパターンだ! やっぱりこの人は悪魔だった。騙された……あとでクレちゃんに言いつけてやるっ!
私は渋々、その申し出を受け入れて応接室を後にした。
どうやら、フレデリック様とは友人関係になったらしい。あぁ、サレオスに会って癒されたい。
帰り道、ばったり会わないかな~とキョロキョロしながら廊下を歩いていると、逆光で陰を纏った人物が階段の踊り場で私を待っていた。
「久しぶり。夏休みはどうだった?」
私の前に立ちはだかったのは、水色の髪をさらりとなびかせた先輩だった。あ、ここにも謝罪案件が残っていた。テンションが一気に下がる。ついでに体温も下がった気がした。
前世でいうなら、夜にきた上司からのラインを既読にし、後で返そうと思っていて翌日出勤したときに会っちゃったくらい動揺している。
エリーは私の前に出て、少し警戒した。うん、どう見てもチャラ男だもんね先輩。私はエリーに小声で知り合いだと告げ、隣まで下がらせる。
「お久しぶりです、先輩」
にっこりと笑った私は、次の瞬間、潔く頭を下げた。それはもう、全力で。
「ごめんなさいっ! あの本、一冊だけ返すの一日遅れました!」
「え?」
「あぁ、例の方ですか……」
エリーは瞬時に理解したようだった。私は先輩に後頭部を見せつけながら、お叱りの言葉を待つ。しかし待っても待っても、先輩から声はかからない。
ちらりと頭を上げてみれば、先輩がエリーに「これ何の謝罪?」とヒソヒソと聞いていた。エリーには事情を話していたので、先輩に速やかに説明が行われた。
「あぁ、そういうこと! いいよいいよ、元々俺の払った口止め料なんでしょ? 一日遅れたくらいで連絡なんて来ないよ。あ、それで街で会ったときに逃げたんだね」
ぐふっ! 覚えていたか! もう菓子折りを何個積めばいいの?
「あのときは本当にすみませんでした。すぐに謝るべきでした」
「大丈夫だよ。気にしないで」
にこっと微笑む顔がまた妖艶! 色気がダダ漏れです先輩!
シャツのボタンをなんで三個も開けてるんですかね。もはやそれ、留め忘れじゃない?
「マリーはなんでここにいるの? 応接室に行ってたみたいだけど」
「え、先輩、私の名前知ってたんですね」
「知ってるよ、マリーは有名だからね。一年でプラチナブロンドのかわいい子知らないかって聞いたらすぐわかった」
青い目を細めて、ふふっと笑う先輩はなんというかキレイ。中性的な雰囲気で近づいて、数多の女子を落としてきたんだろうな。この儚げな見た目で肉食系ってやばい。
「またまた~お上手ですね! 私は応接室に用事があって……ところで先輩のお名前、教えてください」
「俺はアリソンだよ。アリソン・ノルフェルト。うちの父親はマリーのお父さんの親友だよ」
「もしかしてノルフェルトのおじさま!? うわぁ、懐かしいです。昔はよく遊んでもらいました」
世間って狭い! ノルフェルトのおじさまは、世界イケオジ名鑑がもしもあったら表紙を飾ろうかというくらいの美しいおじさんだ。そういえば華奢なところとか、雰囲気が似てるなぁ。筋肉好きとしては物足りないけど、絶対的に支持層はいるだろうな。
「うちの父親は、昔から『マリーちゃんをアリソンの嫁にくれ』って言ってテルフォード様によく殴られてたからね。また今度遊びに来てよ」
「ふふふ。おじさま、お忙しいのでは? どうぞよろしくお伝えください」
あまり長い間立ち話するのはマナーが良くない。私が笑顔で立ち去ろうとすると、先輩の前を通り過ぎる瞬間、ふっと肩に手が伸ばされた。
チュッと頬に軽いキスをされ、私はあまりの衝撃に階段から転がり落ちそうになる。
「またね、マリー」
軽快に歩いていく先輩の後ろ姿を見ながら、私はエリーに縋り付いていた。な、なんてチャラいの!? この世界でもさすがに挨拶で頬にキスしたりしない! 手の甲ならまだしも、頬はない!
あれだけ女子と絡んでおいて、まだ欲求不満なの!? なんておそろしい!
「エリー、私もう絶対先輩に近づかないわ」
「そうしてください、マリー様!」
崩れ落ちそうになる膝を気合いで立たせ、私はすぐに寮に戻った。
そして頬をめっちゃ洗った。乾燥して粉がふくほどに。
次の日の朝、教室で会ったアイちゃんに私のかぶれた頬について尋ねられた。
「どうしたんですの? マリー様、そのほっぺ」
ゴシゴシこすって石鹸で洗いまくったため、じんわり痛みを感じるほど右の頬がかぶれている。
アリソンに(軽蔑の意味を込めて呼び捨て)チューされて、嫌すぎて洗いまくったことを説明すると、アイちゃんは涙ながらに怒ってくれた。
ちなみにサレオスはまだ来ていない。私は傷ついた心を妄想で慰めようとした。
『どうしたんだ、それ』
『実は……かくかくじかじかで』
『かわいそうに。俺が上書きしてあげるよ』
傷ついた私にサレオスがほっぺにチューしてくれる……なんてことは、私がヒロインである限り絶対に起こらない。
「イタタタ! 痛い! アイちゃん、力強い!」
なぜなら今、アイちゃんによって塗り薬がこれでもかってほど擦り込まれていっているからね!
これ何の薬!? ものすごく滲みる!! 箱に書いてあるトカゲとラクダの絵が怖いよ! 何なの、紫のキノコとか毒でしょ!? パッケージの文字が読めないよ、どこの国の薬それ!?
アイちゃんに頬を捕まれ、痛い痛いと悲鳴をあげる私にクラスの視線が集中する。
わかってるもん。少女漫画みたい展開があるわけないんだよ。知ってますよ、わかってます!
「マリー様、こんなの蚊にかまれたようなものです! 元気出して!」
「ありがとうアイちゃん」
私がアイちゃんに抱きついていると、サレオスがやってきた。
おはよう、と言葉を交わし、彼は私の隣に座る。
「「……」」
アイちゃん、その薬すごいよ。かぶれてるの消えた。サレオス、気づかなかったわ。あとで謎の薬、分けてもらおう。




