使わない女
43日ぶりの登校を明日に控えた今、私は寮の部屋でのんびり過ごしている。
「ふふっ……」
「マリー様、嬉しそうですね」
一人でヘラヘラする私に、リサが声をかける。机の上には、トゥランで別れ際にサレオスから土産だともらったプレゼントがある。小粒の真珠のような鉱石がいくつも並んでいて、とても可愛らしいカチューシャだ。
はぁ……幸せだわ。これはもう、お嫁さんになったといってもいいのではないかしら!?
「さすがにそれは言い過ぎです」
なんで心の声がわかるのかは知らないけれど、背後から投げかけられたエリーのツッコミは聞こえなかったことにする!
『帰ったらすぐに会いに行く』
サレオスはそう言ってくれたけれど、まだ会えないままだった。
「もう今日は来ないかもしれないわね」
「サレオス様ですか?そうですね、近づいて来たらすぐわかると思いますが……って、魔力でわかるってことですよ『まさか好きだからわかるの?』って顔されても困ります」
「エリー、お願いだから私の何から何まで読まないで」
サレオスはきっと、寮に戻るのが遅くなっているんだわ。トゥランは遠いもの。淋しいけれど、仕方ないわね。
「お客さんはわりと多種多様で来てるんですけどね……」
エリーがぼそっと呟いた。アガルタに帰ってきてから、茶髪や黒髪の刺客が何人も来ているらしくエリーやヴィーくんは稀に見る忙しさなのだ。私が心配すると、エリーは「サレオス様から色々と便利なものを預かってますので、大丈夫ですよ」と笑顔で返された。そしてそれが何かは教えてくれなかった。
「疲れたでしょう?ありがとう。もう下がって」
エリーとリサにはもう部屋に戻ってもらって、私は寝巻きに着替えてランプを消そうとした。
でも。一度部屋に戻ったエリーがものすごい形相で部屋に飛び込んできた。私は一瞬で厚手のブランケットで乱暴に#包__くる__#まれ、ありえないほどの腕力で強引にテラスに放り出される。
「ちょっ……!?寒っ!」
なぜ私が閉め出されるのかと驚いていると、テラスの外からずっと聞きたかった声がした。
「マリー」
薄暗い屋根の上に、サレオスがいた。そっか、エリーは魔力でわかったのね。……にしても、突然放り出すっておかしいわよ!
私は急いでそっちに向かおうとするけれど、サレオスが軽々と柵を乗り越える方が早かった。
「あ……」
どうしよう。嬉しすぎて声が出ない。11日ぶりだわ!真っ黒いローブを着て安定の怪しさを醸し出しているサレオスは、柵を乗り越えるとすぐ目の前までやってきた。
落ち着け、落ち着け私!久しぶりのサレオスに、胸がドキドキ鳴っている。ものすごく会いたくてたまらなかった人が目の前にいるんだわ……!
私は抱きついてしまわないように、ブランケットの端をぎゅっと握りしめとにかく耐えた。
が、勢いよく走ってきたサレオスによって、ぎゅうっと抱き込まれる。
『おかえりなさい』
『ただいまマリー!会いたかったよ』
なんて甘い展開にはやっぱりならない。
「イタイイタイイタイイタイイタイイタイ!!!」
準備なく抱きしめられたことで、ドンッと彼の胸で頬骨を強打し、あまりに強く締め付けられて背中の骨がグキッと鳴るのが聞こえた。
痛い!そして冷たい!私の壮絶な叫び声に、長い腕がパッと離れる。私はサレオスに恋して初めて知ったけれど、男の子の身体は硬い。クレちゃんのマシュマロボディに甘やかされた私の脳は、抱き合ったときの防御体制が取れないのよ!
はぁ……肺と背骨が押し潰されて死ぬかと思った。圧死するって本当にありえるのね、二重の意味で心臓がドキドキしているわ!
「すまない、勢いをつけすぎた」
サレオスがものすごく気まずそうにしている。私の身体が脆弱なばかりに申し訳ない。あぁ、でもようやく会えたわ。たった11日なのにすでに懐かしい。
「お、おかえりなさい」
「ただいま」
よく見ると、背中に革の大きなリュックを背負っている。え。まさか今さっき戻ってきたの?私が動揺していると、サレオスは優しく笑った。
「寮に戻らずにそのまま来た。遅くなってしまったから」
「そのまま!?大丈夫なの!?無理して飛ばしてない?」
「だいたい単騎で飛ばすと6日ほどなんだが、今回は兄上に引き止められてギリギリまで王都にいたんだ。だから飛ばしに飛ばして、3日で帰ってきた」
えっと、馬車で行くと15日くらいかかるわよね?3日?何やってるの?新記録を出してまで王都に居たいほど、実家で寛いでたの?
あぁ、ものすごくひどいわけではないけれど、薄暗くてもわかるほど顔色が悪い。儚げな雰囲気もまたこれはこれでかっこいいけれど、美形がっ!美形がもったいないわ!
「何やってるの、寿命が縮んだらどうするの!?」
思わず一歩前に出て、頬に手を伸ばすとあまりの冷たさに私の方がビクッとなった。あんな時速200キロレベルで長距離を駆けるなんて凍え死ぬわよ!?
想像するだけで寒さに震える私を見て、サレオスは困ったように笑った。
「戻ったら会いに行くと言ってしまったからな。間に合ってよかった」
「わ、私!?」
しまった。どうやら私のせいだったらしい!
「淋しいと泣かれたら困る」
「はっ!?な、泣かない!泣かないと思うわ!自信はないけど!」
サレオスは私の手をきゅっと握り、頬に当てたまま「そうか」とだけ言った。
くっ……!なんてことなの!?しつこくてジメジメした女だと思われているのね!?でも正解だわ!多分、というか絶対泣いていた。だって会いたかったんだもん。今も握られた手を引っ込められないでいる。
それにしてもサレオスは頬も手も冷たい。私の手なんかじゃ暖をとれるはずないわ。私がくるまっているブランケットで暖める、よりも早く帰ってもらうのが一番なことは明らかだった。でもそんなことを考えていると、すっかり熱を奪われてしまった左手がするっと離される。
「すまない、冷たくなってしまったか」
サレオスはまた眉を寄せ、私の手を気遣ってくれた。あなたのためなら体温なんて!たとえゼロ度になっても差し出しましょう!!!ぐっ……気遣いが萌える!
感極まった私は、初めて自分から抱きついてみた。突然飛び込んできた私に、彼は驚いた声をあげた。
「どうした、マリー。何かあったのか」
冷えているんじゃないかと思ってローブの下に手を入れてみれば、ものすごく薄い生地の服しか着てない!そして細い!背中をさするけれど、やっぱり冷たくなってしまっていて命の心配すら出てきた。これはキュンとか好きとか思っている場合ではない。
「サレオス……死なないで!」
背中をさすって温めようとしてみた。最悪の事態を想定した私は半泣きだ。
「ちょっと待て、なぜそうなった」
私がものすごい勢いでさすっているから、サレオスがちょっと引いている。でも死なれたら困る!
「……夜は寒い。もう部屋に戻れ」
いやいやいや!あなただから、寒いのに薄着で200キロオーバーしてきたのはあなただから!しがみつきながら顔を上げた私は、きっとものすごく苦い顔をしていたんだと思う。サレオスは私の顔を見下ろすや否や「なんだその顔」と言って笑った。
「戻ります。じゃないとサレオスが帰れないから」
私が泣く泣く腕を離すと、冷たい唇が頬に押し当てられた。ちゅっという軽い音がひんやり感と共にやってくる。
「ひゃっ……!」
油断した。サレオスの命の危機に、何も考えてなかった!
私が頬を押さえるよりも先に、唇にもキスをされてしまう。一瞬のことに目を丸くした私は、身体が硬直してしまっていて何もできない。
「マリー、部屋に戻って」
普通ぅぅぅ!キスしておきながらいつも通りすぎて衝撃だわ!
私が動きを止めていると、肩に添えられたサレオスの手によって強制的にくるっと反転させられた。こうなると私はもう部屋に戻るしかない、けれど大事なことを思い出して進みかけた足を止めた。
「あの、ありがとう!かわいいカチューシャ」
「あぁ、勝手に贈ったものだ。礼などいらない」
「飾る。大事にする。毎日拝むわ!」
「……つけないのか」
つける!?その選択肢はなかった!私は目を見開いて、「え?」と声を漏らした。栞と共に、永久保存するつもりだったのよ。
「もしかして気に入らなかったか?」
ひぃぃぃ!!!違う、そうじゃない!私にとっては国宝級なだけ!でも明らかにしゅんとしている顔がかわいすぎる!うぐっ……胸が痛い!
私はサレオスの方を向き直し、顔をブンブン横に振りまくった。
「違うの!もったいなくて……。とても使えないわ。大事にしたいだけなの!」
あなたがくれたものなら、例えドクロがいっぱい散りばめられた黒魔術的な髪飾りでも大事にします!変なキャラクターが描かれた服でも家宝にするわ!!!
「壊れたら、と心配してるのか?」
「え、ええ。壊れたら、汚れたらって思うと……」
あぁ、私の気持ちはわからないでしょうね。サレオスにもらったものを身につけたりなんかしたら、周囲を歩く人全員が世紀末のギザギザベストを着たモヒカンな敵に見えるわ……!
心労がたたってキュン死にするかもしれない。とても恐れ多くて外に行けないわ!
でもサレオスはふっと柔らかに表情を崩して「大丈夫だ」と言う。
「もし壊れても直せる。だからそのうち着けてくれると嬉」
「着ける」
早っ!私の意思、よわっ!!!あぁもう、どこまでも都合のいい女だわ。私にとってはサレオスの一挙一動、一言が正義なのよ。逆らえるわけがなかった。
テラスの扉に、ガンガン頭を打ち付けたい気分だわ。どうして私はこんなに煩悩が過ぎるのかしら……!
「また明日。おやすみマリー」
部屋の中に押し込まれ、名残惜しいけれど手を振った。
「おやすみなさい。無事に帰ってきてくれて嬉しかった」
どうかゆっくり眠って、またキュン死にしそうなくらい悶えるかっこいいサレオスに戻してね。
私は暗闇に消えていくサレオスの背中を見送っていた。
◆◆◆
マリーが眠った後、廊下ではリサがエリーを呼び止めていた。
「あの、このブレスレットなんですが……」
「あぁ~。これ何の糸かな。キレてるし、この鉱石ちょっと欠けたね」
「そうなんです。マリー様がさきほどお着替えされたときに、糸がプツッと切れてしまって。せっかく、クレアーナ様たちとお揃いだと喜んでらしたのに」
「明日、直せばいいよ」
「そうですね……。でも悪魔祓いがどうとかおっしゃっていたので気になって」
「えええ、そんなの迷信だろう?ほら、領でも売ってるじゃないか、『恋が叶う石』。あれと一緒だろう?」
「そうですよね?私ったら気にしすぎですよね!」
「そうさ。さ、もう遅いから休もう」
「はい」
二人は、使用人部屋に向かって歩いて行った。




