サレオス視点【2】変わりゆくもの
女は面倒だ、と思っていた。茶会などで会うとあからさまに「褒めろ」という視線を送ってくるくせに、仕方なく褒めたら「心にもないことを」と非難される。
叔母なんて露骨に文句を言ってくる。女を褒めるための謎の用語集まで渡されたくらいだ。
留学前、婚約者を探すという名目で集まったどの令嬢見ても、何の感情も湧かなかった。造形が美しい者はいたが、でもそれだけ。媚び#諂__へつら__#う目と打算が透けて見える笑顔には、嫌悪感さえ持った。
兄上は妃を片時も離さず、口を開けばかわいいだの美しいだの、愛しているだの言っていて、「サレオスもそのうちわかるよ」と笑った。
わかるわけがない。そんなことにはならない。そう信じていた。
それなのに俺は最近、おかしくなりつつある。
俺がいなくて淋しいと、会えなくてつらかったというマリーをかわいいと思った。
一縷の曇りもない笑い顔も、俺の名を呼ぶ声も、小さくて柔らかな手も、ときに飛び出す意味不明な所作も。何気ないときに、無意識で触れてしまいそうになる。だから俺はかなり自制していたつもりだった。
ところが、だ。
ほかの男にやりたくない、そう思ってしまったところに「会えなくてつらかった」とそんな手紙を読んでしまえば、抱きしめずにはいられなかった。
迂闊だった。俺は絶対におかしくなってしまっている。このままではマズイ。
抱きしめたら抱きしめたで、あたたかくて柔らかい身体や、かすかに香る甘い匂いにどうしようもなく手放せなくなっていく。
イリスにも散々、手は出すなと忠告されてきた。これまで「そんなことあるわけないだろう」と鼻で笑っていた自分に氷塊を叩き込んでやりたい。
さすがにダメだ。これ以上は控えなければ。これ以上おかしくなるわけにはいかない。
「少し距離を置こう」そんなことさえ頭をよぎった。でも、できなかった。
たまたま生徒会室にマリーを迎えに行ったら、彼女の小さな体はアリソンの腕の中にあった。
全身の血が沸き立つかと思うほどに一瞬でカッとなり、苛立ちと殺意がこみ上げた。
距離なんて置いてみろ、あっという間に奪い取られるぞと脳から警告が発せられる。
クレアーナには、殺人犯みたいな顔だと言われた。しまった、もう取り繕えなくなってきている。実際に殺してやろうかと思ったなんて、絶対に言えない。
その後、自制心が薄れた俺は、寝起きにそばにいたマリーに触れてしまい、耳元に口付けた。真っ赤になった彼女はただオロオロするばかりだった。
俺がわざとこんなことをしているとも知らず、偶然だと何も疑わない。こんな隙だらけじゃ、そのうちほかの奴にあっさり奪われるんじゃないかと心配になった。
「おまえ、あんまり無茶するとテル嬢が爆発するぞ。からかいすぎるなよ?」
ジュールがある日そんなことを言い出した。
なんだこの筒抜け感は!?マリーからアイーダ、アイーダからジュールという流れによって、俺がやることはだいたい筒抜けだった。でもそのおかげで、しばらくは自制することができたのも事実で……。
そして日常は、あっという間に過ぎていく。たまにマリーがおかしなことを聞いてくることもあった。
「ねぇ、サレオスはどのヒロインが好き?」
目の前にずらりと並べられた本。どれも読んだことはあるが、というか読まされたが……どのヒロインが好きか!?何を答えればいい?
「マリーはどれが好きなんだ」
「はい、質問に質問で返してはいけません!サレオスの好きなヒロインを聞いています!」
「俺の?」
「ちなみに私は、こちらのフリーディアちゃんが好きです」
「質問で返すなといいつつ答えるんだな」
俺はつい笑ってしまった。マリーの拗ねた顔もかわいい。
「聞いたじゃない!だから答えたのに……!」
「すまない、ついおかしくて」
並べられた本をペラペラとめくりながら、俺は考えているように見せた。が、本音を言えばヒロインに好きも嫌いもない。そういう登場人物がいたな、くらいにしか思わん……。
「もし本当にいたらいいなぁ、とか。ないの?そういうの」
これは俺が答えるまで終わらないな。ヒロインのタイプを色々揃えたかったのかもしれないが、片手で飛龍を仕留める10歳の少女が候補に選ばれているのはおかしいぞ。アイーダ、なんでこんな話を書いた。そもそも俺に#幼女__こんな__#趣味はない。
「誰もいない。どの女もおもしろくない」
「誰も!?なんで!フリーディアちゃんかわいくない?」
……好きな男に小指を送りつける娼婦なんて怖すぎる。それをもらって喜ぶ男もありえん。なんでマリーのおすすめがこの娘なんだ!?
「そっかぁ。じゃあまた今度違うの持ってくる……」
まだ続くのかコレ。一体何がしたいんだ。なぜかしょんぼりしているマリーを見て苦笑した。
そもそもマリーは俺に懐いているだけで、それが恋情でない可能性だってある。
昔だってそうだった。六歳の夏、アガルタからトゥランに来たときも、にこにこ笑いながら俺の後をついてまわった。今だっておそらく、その類だ。
でなければ、無防備に隣で昼寝なんてできるわけがない。
そう頭では思っているのに、俺のマリーへの気持ちは形を変えていく。
マリーが学園祭前に風邪をひいたとき、もういっそ当日まで休んでしまえと少しだけ思った。そうすれば、夜のパーティーで着飾った姿を誰にも見せずに済む。おかしな男たちに惚れられずに済むんじゃないか。そんなことを思ってしまった。
でもさすがに体調を崩しているのは心配で、少しだけ様子を見に行くことにする。
「サレオス様?今日は何のために行くんですか?」
イリスがニヤニヤして尋ねてきた。今日もパンだと言ってやろうかいっそ。
「花」
「は?」
俺はそれだけ行って部屋を出た。話せなくてもいい、ほんの少し姿が見られればと思っただけだった。理由なんてない。
屋根をつたって行けば、マリーはなぜかテラスにいた。
「風邪引くぞ」
何食わぬ顔で忠告すると、マリーは驚いて全身をビクリと跳ねさせる。こんなに無防備で、大丈夫なんだろうか?俺の姿を見ると、マリーは嬉しそうに笑ってくれた。あぁ、だから俺は彼女を手放せない。
俺を見てここまで嬉しそうに笑う者はいない。自分が特別なんじゃないかと、そんな気持ちすら抱いてしまう。青いバラを渡すと、初めて見たと思うくらい幸せそうな顔をした。
「あ、ありがとう。大切にする。家宝にする」
「いや別にそこまでは」
マリーの価値観がイマイチわからない。たかが学園祭の小物を家宝にする意味は何だ。流行りか?でもあまりに嬉しそうに、幸せそうに笑うから。抱きしめてその唇を奪いたいと思ってしまった。
柵の外にいたのは奇跡だろう。おかげで手に少し触れるだけで済んだ。
大丈夫だ、まだうまくやれる。不用意に近づかなければ、まだ自制できる。
落ち着けば何とかなるはずだ。父や兄のように、いや、代々の王族のように女に狂うわけにはいかない。
そう思っていたのに、翌日、やってきた叔父上には一瞬で見抜かれた。
「随分と柔らかい表情になったね」
普段はヘラヘラしているくせに、こういうところは鋭い。昔からそうだ。熱が出たことを隠していたり、言いたくても言えないことがあったりしたときは、いつも叔父上が俺の顔色を読んだ。
今だって表情なんてないはずなのに、一体何をどう見てそんなことを言うのか?
「何が言いたいんですか?」
「くくくっ……!何もないなら『そうですか』って受け入れてのらりくらり躱せばいいのに、ホント真面目なんだから。そんなんじゃカイムにもすぐバレて遊ばれるよ?まだまだお子様だね、好きなら好きだと伝えればいいのに。そしたら、きっとラクになるよ?」
「何の話ですか」
「あれ?いいのかい?グズグズしていたら取られちゃうよ?あの子は王太子妃には向かないけれど、妻にするにはなかなかいい。家柄・容姿、性格も申し分ないし、あぁそれに背の割に胸も」
「もういいです!叔父上はクレアーナのことを考えてください!」
クスッと笑った叔父上は、そこから本当にクレアーナへの愛を語り出した。
長い。
もう30分は経ったぞ。考えろとは言ったが、語れとは一言も言っていない!
俺はその日、叔父上の惚気にとことん付き合わされた。そして疲れ果て、そのままトゥランの公館に泊まった。
 




