恋と結婚は別なのか
サレオスが「客」といった人影は、どう見ても遊びに来たお客さんではなかった。全身黒ずくめで顔まで布で覆い、目だけが怪しく光っている。
何だか初めて会ったときのヴィーくんみたいな人たちだな、と思って気づいた。まさかこの人たち、揃いも揃って暗殺者なんじゃ……!?
まだ危害を加えられるほど近くはないが、逃げられるほど遠くもない。すぐに立ち上がったサレオスの隣で、私はただ呆然としていた。
ど、どうしよう。私?それともサレオス?襲撃目的の人たちよね!?
「サレオスどうしよう、私、戦えない。守ってあげられないわ」
「いやその心配は絶対いらない、大丈夫だ。……昔から思ってたんだが、自分で何とかしようとするのはやめたらどうだ」
あ、やっぱり期待されていないのね。でも昔からってどういうこと?学園祭のときは「護身術とか習わなくていい」みたいなことを言われたけれど、ほんの数ヶ月前のことを昔だと思ってるの?時間の感覚は大丈夫かしら。
はっ!そんなこと考えてる場合じゃない!あぁ、もうはっきりと姿が見えるくらい近づいてきた。
男たちは立ち止まり、ターゲットである私たちと対峙する。
「マリー、下がれ」
サレオスは私のことを自分の後ろに隠すと、襲撃犯に向かって右腕を翳した。途端に重苦しい風が周囲に集まりはじめ、私は思わず身を強張らせる。
『おまえだけでも逃げるんだ』
『そんなのできない!死ぬときは一緒よ!』
みたいなやりとりはやっぱりなかった。うん、わかってた。だってサレオス最強だもの。
「そちらの女を渡し、ぎゃあっ!!!」
ひとりの男が声を上げたと思ったら、即座にそれは悲鳴に変わった。
何かが起こっているけれど、背中で隠されているからまったく見えない。というより、血とか噴き出たらさすがに怖いから、彼の上着を握りしめておもいきり顔を埋め何も見ないようにした。
「おい!どうした!?どこ行、うわぁぁぁ!!!」
「「「ぎゃぁぁぁ!」」」
上空を彩るオーロラっぽいものが優美に煌めくのと対称的に、男たちの叫喚が夜空に響く。
「正面から姿を現わすなんて愚かにもほどがある」
呆れたようにサレオスがぼそっと呟いた。それ悪い人のセリフみたいだよ!?
あっという間に私たち以外がいなくなってしまった白銀の世界は、また静寂を取り戻していた。
サレオスの背中からスッとのぞき見ると、多分襲撃犯がいたであろうところには紫色の靄だけがふわふわと漂っている。しかしそれすらも、びゅうびゅうと吹き荒ぶ風によってすぐに霧散してしまった。
「あの……?」
え、なに、幻覚だった?襲撃犯なんていたのかしら?私はこの事態についていけず、ただサレオスを見上げた。
あれほど吹き荒れていた風が、今はもうすっかり落ち着いてしまっている。
「もう大丈夫だ。怖い思いをさせてしまったか」
「え?え?え?あ、いやその、怖いと思う前にもういなくなっちゃったんだけど……何したの?」
「あぁ、王都の地下牢に飛ばしただけだ。いちいち相手をするとキリがないからな。それにマリーに血は見せたくない」
と、飛ばすって何!?消したようにしか見えないけど!?
「そんな顔しなくても心配いらない。邪魔なものはすべて吸い込んで、地下牢に吐き出すようにしているんだ。あとは兄上や従者が処理してくれる」
す、吸い込むって一体どういう……いや、いい!聞かないでおく!私が狼狽えていると、サレオスは私の両手を包み込むようにそっと握って言った。
「奴らはおそらくイレーアの差し金だ。依頼主を吐かせたとしても、証拠になるかはわからない。だからアガルタに帰ってもヴィンセントやエルリックから離れるな」
イレーア様ってあの暴れていた元気なご令嬢ね?
「アガルタに帰る途中でマリーが襲われるのを避けたかった。ここならヤツらも来ると思ったんだ。イレーアがこれで諦めるとは思えんが、帰りに狙われることはないはずだ」
だから急に出かけようなんて言い出したのね!さっきの人たちは誘き出されたんだ……。
でも、私を亡き者にしてもきっとサレオスはあの子を妃には選ばないだろうに。そう思うと何だか複雑な気分だわ。
私は、ただ黙って頷くだけだった。
「俺がこの国の貴族の娘から妃を選ぶと、連中の力関係に影響がありすぎる。だから元々、国内での見合いなんてただの茶番だったんだ」
「それは、例えば……サレオスがどれだけ好きになったとしても?国内の令嬢っていうだけで結ばれないの?」
「あぁ、そうだ」
そんな悲しいことがあるのか、と私は思わず眉根を寄せた。でも同時にほっとした。お見合いをしても誰も選ばれることはないんだわ、と思ってしまった。
くっ……!やっぱり私は、好きな人の幸せを願えない女なの!サレオスが監禁したいほど好きになる、運命の人に出会う確率を下げたいの!
「マリーはどうなんだ」
え?私?
「その、すでに縁談が来ているだろう」
あれ?そういえば一度もそういう話を聞いたことがない。
「来てない」
「来てない?そんなことは……」
私は俯き、しばらく記憶を掘り起こしてみたけれど思い当たらない。
まさかお父様が全部断ってるのかしら!?
サレオスも同じことを考えたらしく、私たちは思わず顔を見合わせた。
「お父様は、私に一生どこにも嫁ぐなって本気で言う人だから……多分断ってるわ全部」
私がちょっと困った顔をすると、サレオスも同じように笑ってくれた。でもすぐに真顔になって、両の手を握る力をぎゅっと強めた。
「もしも……フレデリックが婚約者に指名してき」
「無理」
サレオスの言葉が言い終わる前に、私はその最悪な想像をぶったぎった。ありえないわフレデリック様と婚約なんて!嫌な想像を振り払いたくて、目をつぶってぶんぶん頭を振っていると、サレオスが驚いて私の頬を両手でつかんだ。
「お、落ち着けマリー、俺が余計なことを言った」
はっ!?しまった、奇行を目撃されてしまった!私は心を落ち着けるため、深呼吸を繰り返した。私を宥めるためか、サレオスが優しく抱きしめてくれるけれどこれでは余計に落ち着かない!
あぁ、厚手の上着のせいで、包み込まれている感がハンパないわ。このまま幸せを享受しようかと思った矢先に、頭の中で警鐘が鳴り響いた。
ねぇ、ちょっと待って。
私はバッと勢いよく顔を上げ、濃紺の瞳を見つめた。身長差がありすぎて、抱き合ったまま見上げると首と腰がビリビリ痛いとかは今はどうでもいい。
「マリー、どうした」
私は大切なことに気がついた。フレデリック様は以前「マリーでいいと思っている」って言ったわ。
もし好きな人に完膚なきまでに振られちゃって、何もかもどうでもよくなってしまったら。
もう面倒だからマリーでいいやってなっちゃうんじゃないの!?そんなの困る!いくらお父様でも、王命で婚約者にされてしまえば覆せないわ……。
あぁ、もう!そんなことになったら国外逃亡するしかない!
「マリー?」
未来の危うさに愕然とする私に、サレオスは心配そうに声をかける。寒さによって自然ににじむ涙を、指の背でそっと拭ってくれた。そしてするりと手をまわし、ゆっくりと私の背を撫でてくれる。
「サレオス……あのね」
声が震える。最悪の未来は私になかなかのダメージを与えていた。
「なんだ?」
「聞きたいことがあるの」
「聞きたいこと?」
私は小さく頷いた。
「ルレオードに修道院はあるかしら!?」
「ちょっと待て、一体どこからそうなった!?」
だって!修道院ならワケありの娘を匿ってくれるもの。もし国外逃亡するならサレオスの治めるルレオードがいいなって、お嫁さんになれなくてもあわよくば姿をのぞき見て生きていけるかなって思ったのよ!たとえストーカーと呼ばれようともそこは譲れないわ!
はっ!?でもサレオスは私の妄想を図りかねて少し動揺しているみたい。やっぱりいきなり飛びすぎたかしら。
「それだけは……やめてくれ」
しまった、私の追い人化を心配をしてる?私に付きまとわれると……!?こんな悲痛な声で嘆願されるなんて、まさかそこまで怯えられるとは思わなかった!
あぁ、何かフォローしなきゃと思うのに、何も言葉が浮かばないわ!「大丈夫です、遠くから見るだけで邪魔しません」じゃ逆に怖いわよね!?
でもいつかサレオスが結婚して、奥さんやこどもと幸せそうにしているところなんて目撃した日には……
「くっ……!そんなもの見せつけられたら困る!」
思わず妄想のカケラが口から漏れる。
「いや、今困っているのは確実に俺だぞ」
サレオスの声が聞こえるけれど、私は俯いたまま妄想の国にどっぷりハマっていた。
黒髪の美人とかわいいこどもを優しく見つめるサレオス……かたや私は一生独り身!建物の陰から涙ながらにその姿を見守るのよ……!あああ、妄想だけでダメージが積もる。
「マリー」
私が考え込んでいると、突然頬をつかまれて唇が重ねられた。
「んうっ!?」
ひゃぁぁ!お願い予告して!するときはするって予告して、準備してない!!!準備が何かもわからないけどいきなりは対応できないぃぃぃ!
もう何度もキスしてるのに、まったく慣れないしスキルが上達しないのはなぜ!?
長い口づけの後、ぎゅっと抱きしめられた私は息も絶え絶えで、また気絶しそうになっている。
くぅ……!やっぱり離れたくないっ!
「修道院にはいかないと約束してくれ」
え?今すぐ誓約を取りたいくらいに、私をルレオードに来させたくないの?あわわわわ……どうしよう、ストーカー疑惑でお嫁さんへの道のりが後退したんじゃないかしら!?
とにかくルレオードの修道院入りは諦めるしかないわね。サレオスを怯えさせたくないもの。
私は顔を上げると、「わかった」と素直に承諾した。
「本当にわかってるのか?」
あら、念押し?そこまで警戒しなくてもいいのに。
「え、ええ、ルレオードの修道院はダメだってことでしょう?」
サレオスがものすごく苦い顔をしている。眉間のシワが深い。私は指でそれをグリグリ伸ばし、美形保全に尽力した。
あぁ、それにしても自ら墓穴を掘るなんて……クレちゃんにお説教されちゃうわ。私は後悔から、サレオスの胸にポスッと勢いよく頭を埋めた。
「前途多難だわ」
「……俺だろう」
帰りはそれほど速度を出さずに、下り坂をゆっくり降りていった。ただ、途中で急にスピードを上げ、「マリーはここへ」と毛布のようなもので#包__くる__#まれたとき、ものすごい衝撃音がして悲鳴みたいなものが聞こえた……。多分というか、絶対サレオス何か轢いた。また黒ずくめの人たちがいたっぽい。
でも私は、見て見ぬ振りができる子なの。震えていたのはきっと寒いからだわ、ええ、そうに違いない。
私たちが邸に戻ると、にこにこ顔のイリスさんとエリーが出迎えてくれた。私は色んな余波で、フラつきながらソリを降りる。
エリーが腕を支えようとすると、サレオスの過保護が発動して部屋まで抱っこされて運ばれてしまった。
あぁ、優しすぎる。やっぱり私はこの人と結婚したい。




