夜のおでかけ
夕食の後、サレオスがどこかへ連れて行ってくれるというので、私は一度部屋に戻って着替えることになった。外に行くから、とにかく暖かい格好をしてこいと言われている。
厚手のハーフコートに、髪はおろしてモコモコの帽子をかぶるとすっかり雪国の人になった。ズボンはサレオスが貸してくれたけれど、脚の長さが違いすぎて裾を何回折ったかはわからない。ええっと、同じ人間よね?
待ち合わせた一階ロビーに降りていくと、フード付きの黒い上着を着たサレオスがいた。あ、怪しい。でもカッコいい。結んでいない後ろ髪がサラサラしていて、つい触りたくなって手を伸ばしそうになる。
はっ!いけない、私ってば変質者と同じ行動だわ!ぐぐっと堪えて何とか耐えた。
サレオスは私を見つけると、小さな手袋を渡してくれた。「シルヴィアの置いて行ったもので悪いな」と言われたけれど、むしろ美女のものを借りられるなんてちょっと嬉しい……。
はっ!こういうところも変質者っぽいわね!?
外に出ると、犬ぞりならぬトナカイソリのようなものが用意されていた。
ここは街中だから雪が降っていないだけで山に行くと雪が積もっているらしい。そういえば雪って、アガルタに生まれてから一度も見たことがないわ!
「雪!?見られるのね!」
私はびっくりして興奮してしまう。サレオスは少しだけ微笑むと、私の手を引き木でできたソリに座らせてくれた。小さな椅子にはもこもこの布が敷いてあるのであったかい。
彼が私のすぐ後ろに、抱きしめるようにして座ったことで全身がビクッと跳ねた。
ぐっ……厚手の服を着ているのに、想像以上にキュンが胸の奥からやって来る!!!どうしよう、幸せだわ。すっかり暗くなった空に向かって、今すぐ大声で叫びたい気分になった。
ところが。
テンションが上がっていた私は、過去の出来事をすっかり忘れていた……。サレオスと二人乗り。それはこの世で最も幸せで最も危険な事態であることを。
街を抜け、だんだんと速くなる滑りに「あぁ、これ何となく知ってるわ」と心の中で呟く。そしてその予感は当たる。
「きゃぁぁぁぁぁ!!!」
「マリー!叫ぶと舌を噛む!耐えろ!」
あぁ、決して甘やかさないところも好き。トナカイに引かれているというよりも風魔法で進むこのソリは、山に入ってすぐとんでもない速度で滑りだした。登り坂なのにソリは猛スピードで進む。
こ、これは試練なの!?サレオスのお嫁さんになるには、この速度に耐えないといけないっていう試練なのね!?
私の人生に、きゃっきゃしながら二人乗りという夢のシチュエーションはないんだわ。わかっていた、ええ、わかっていたわ神様が恋愛ハードモードだってことくらいね!?
目も口も限界まで閉じ、手もぎゅっと握りしめて何とか耐えきった。ただひとつ言えることは、前回、馬で経験しておいてよかった。初めての高速移動が雪山だったら、私は間違いなく気絶している。
邸を出て30分ほど経った頃、山の中腹にある丘のようなところに到着した。目をつぶっていた私は、急にゆっくりになったのを感じておそるおそる瞼を開く。
そこはもう一面の銀世界で、空にはオーロラのような光の波がゆらゆらと揺れていた。
「キレイ……!」
「ルレオードでもこの山でしか見られない。あれは空気中の氷や魔力が互いに干渉してできているんだ。マリーが来たら見せようと思っていた」
大きな木がポツンと生えているところに、サレオスが黒い宝石のついた杭を打ってソリを繋げる。雪はかなり積もっていて、かまくらや雪だるまを作れそうなくらい。初めてみる風景に、私は嬉しくて身体が震えた。
「マリー、歩けるか?」
ソリから立ち上がった私は、フラつく足でぽてぽてと歩き出す。さっきまで全身が力んでいたので足元がおぼつかず、どさっと雪の上に倒れこんだ。あぁ、冷たいけれどふかふかの雪が気持ちいい。
「ふふっ……」
ついおかしくて笑いがこぼれる。ひとりで笑っていて怖いかもしれないが、どうにも止められなかった。
背中からじんわり伝わる冷たさがとてもとても懐かしい。私、前世では寒いところに住んでいたのかしら?はっきり覚えていないけれど、とても懐かしい感じがする。
「寝転んだりすると冷えるぞ」
サレオスが丸めた防水シートを持って、私のそばにやってきた。手を借りてどうにか起き上がると、新雪の上にはくっきりと私の形がついていて、またそれがおかしくて笑ってしまう。
「見てみて、私ができたわ!」
「小さいな」
「気のせいよきっと。山だもの」
「どういう理屈だ」
私たちはサレオスが敷いてくれたシートの上に寝転び、しばらくぼおっと空を見上げていた。肩が当たるくらい距離が近く、ドキドキしてしまってどうにも落ち着かない。
だ、ダメよこの距離は……!
緊張を和らげようと深呼吸すれば、吐いた息がとても白い。頬に刺すよう痛みをピリッと感じるし、冷たい空気に自然と涙が滲む。
「ずっとここに居たくなるわ」
「ずっと居たら死ぬ。せめて夏にしないか」
「ふふっ、現実的すぎる提案ね」
「昔よくひとりで来て、イリスに見つかるまでここに居た」
「ひとりで?」
「あぁ。こっちに移ったのは3年前だが、その頃はよく来た」
イリスさんも、雪山に逃げられてさぞ困っただろうなと思う。それでも迎えに来るあの人がイメージできてしまい、私はつい笑ってしまう。
それにしても、ずっと寝ころんでいると背中が冷たい。私は仰向けから体勢を変え、サレオスの方を向いて横向き寝スタイルになってみた。決して顔が見たいとかそういう邪な気持ちがあったわけではない、と思いたい。
サレオスは上を見たまま穏やかな表情をしていた。濃紺の瞳に上空の光の粒が映っていて、あまりにキレイでじっと見つめてしまう。
「キレイ。目の中にたくさん光が映ってるわ」
「そうか。自分で見られないのが残念だな」
……どうしよう。本格的に幸せすぎるわ。これはもう新婚旅行だと思い込んでいいのでは!?シートがもっと広かったら、私は衝動のままにゴロンゴロン転がっているはず。
はっ!?これはある意味、サレオス様見学会なのでは!?まさかこんなところで参加できるとは思わなかった!
まつ毛が長い。あんまりキレイでちょっと嫉妬するわ。触れたいけれど、触れられない、こんなに近くにいるのに勇気がないわ。
私がじっと見つめていると、サレオスは急にこっちを向いて口を開いた。
「もう明日、帰るんだな」
突然そんなことを言い出すものだから、「帰りたくない、ずっと一緒にいたいです」ってあやうく言いかけた。でも口から出た言葉は「そうね」という一言だけだった。
「サレオスは、残りの休みはどうするの?」
「俺はまた王都に戻る。煩わしいことが多すぎて、何も言わずにこっちに来てしまったからな」
そうだ、この人お見合いが嫌でルレオードに逃げてきたんだった。ってことは、戻ったらまた例のサレオス様見学会が始まるんじゃ……。あぁ、私も参加してサレオスをずっと見ていたい。
彼が運命の恋に出会ってしまわないか心配で仕方ないけれど、「私以外の女の子に会わないで」なんて言えないしなぁ。私がもやっとした気持ちを抱えていると、サレオスがじっと私の目を見つめて話し出した。
「もう、全部片づける。兄上は春の議会が終わるまで引き延ばすつもりだったらしいが、それじゃマリーが危ない」
「私?」
「色々しただろう?みんなの前で」
「ひぅっ……!」
そうだ。パーティーで、みんなの見ている前であたかも恋人のようにイチャイチャしてしまった……!あ、あれは記憶の奥底に封印しなければ。今一瞬、思い出しただけで内臓がすべて口から飛び出るかと思った!
思い出すと恥ずかしさで目を合わせられず、うつ伏せになり、足をバタバタさせて悶えてしまった。
ちらりと彼を盗み見すると、おもしろがって意地の悪い笑みを浮かべている。
「何でそんなに笑っていられるの!?」
「おもしろいからだ」
くっ……!認めた!おもしろがっていることを認めたわ!!!
「おもしろいって言われるのは嫌」
「それは悪いことをしたな」
「今すぐ何か悪口を言いたいんだけど、思いつかないから思いつくまで待って!」
「ぶっ……!」
あ、噴いたな久々に。私がものすごくひどいことを言ったらどうするつもりなのかしら。
でもサレオスに悪いところなんて思い当たらないわ!だってないんだもの!目つきが鋭いのはかっこいいし、無表情なのはたまに笑うとそれがまたかわいさを増すし……。
そうだ!スキンヘッドが似合わないわ、きっと!あれ、でもこれじゃ悪口にならない。しまった、何にも見つからないわ!
私が俯いてプルプルしていると、サレオスがそっと頭を撫でる。
「ちょっ……!考えてるのに!」
この帽子のもふもふを触りたくなったのね。これはクレちゃんが選んでくれた、うさぎっぽい毛の究極のもふもふ感触だもの!私なんてひと目見たとき2秒で触ったわ。
「悪口が思いつかないとは、随分と過大評価をしてくれたものだな」
過大じゃないんです、かっこよすぎるあなたがいけないんです。
「思いついたらまた今度教えるね?」
「いや、突然そんな報告は要らない。衝撃がすごそうだ」
あやうくただの嫌がらせをしてしまうところだった。私はまた、サレオスの方を向いた。この至近距離で寝ころんで向かい合うのはやっぱり心臓に悪い。目が合わせられない……!
「話が逸れたな」
うん、もう何の話をしていたか思い出せないわ。
「とにかく婚約者選びはすべて断る。それでいてマリーに危害が加えられないよう、速やかに処理してみせる」
また処理って言っちゃってる……処理方法については詳しく聞かない方がいいわよね?何だか不穏な予感。
「あ、ありがとう」
「なぜマリーが礼を言う。むしろ巻き込んだのはこちらだ」
よくわからずお礼を言うと、サレオスが不思議そうに笑った。そして私のおでこにキスをした。
「っ……!!!」
ひやぁぁぁぁぁ!!!なぜ今こんなことを!?アサシンですか!キュン殺しが必殺技のアサシンなのね!?
私がキュン死に寸前で悶えていると、隣で笑っていたサレオスが急にその身を起こした。一瞬にしてこの場の空気が鋭いものに変わる。
「サレオス?」
ピリッとした緊張を感じ取った私は、急いで起き上がりその場に座り込んだ。何となく不安になり、彼の黒い上着に手を添える。
「マリー……客が来た」
「え?客って?」
急に吹き荒れる冷たい風に、複数の人の足音が聴こえてくる。サレオスの視線の先を辿ると、まだかすかに見える程度の場所に人影が5つ見えた。




