お父様は畑づくりも完璧
眠ったことですっかり馬車酔いがなくなった私は、みんなと共に夕食をいただき、のんびりとした時間を過ごしていた。明日は街におでかけして観光する予定なので、クレちゃんとアイちゃんは早めに眠るといって部屋に戻ってしまう。
親友だからわかる、あれはわかりやすい嘘だ……。
私はというと、たっぷりお昼寝したので眠れるかどうか正直微妙なところ。そんな私に気を遣ってか、サレオスが散歩に付き合ってくれていた。
邸の敷地内とはいえ、さすがに夜になると庭は真っ暗。ところどころに四角いランプが設置してあるので、エリーが動力源となる魔法石に触れて魔力を流し込み、灯りをつけてくれた。
レンガで作った小路はぼんやりと幻想的な灯りで照らされていて、人工の川が流れる水の音が聴こえてくる。
のんびり歩いていると、フレデリック様が来たことなんてすっかり忘れてしまいそうだわ。
エリーは気を利かせたのだろう、邸に戻っていったので、しばらくの間私たちは二人きり。エリーは去り際に、「万が一何か起こりそうになったら、コレを投げつけてください」と言って、丸い防犯ブザーのようなものを手渡してきた。
こらこら、私が襲うことはあっても襲われることはないから。
サレオスの少し後ろをちょこちょこと歩いていると、彼が穏やかな笑みを浮かべて振り返った。
「そういえば、フレデリックから帰り際に聞いたんだが」
「え?」
「フレデリックに、もうちょっとがんばった方がいいと言ったらしいな」
あれ、私そんなこと言ったっけかな……。言ったわ、うん。言った。言ってしまってる!
「フレデリックとは子供の頃からの知り合いだ。まさかあいつに、もっとがんばれっていうヤツがいるとは思わなかった」
「知り合いなの? ……怒ってた? フレデリック様」
おそるおそるサレオスの反応を見ると、にべもなく「さぁ?」と言われた。
「フレデリック様には、明日街に行ったときに『恋が叶う石』というのをお土産に買って渡します。素敵な方が見つかるように」
サレオスから「それじゃない感」がものすごい伝わってくる。やっぱり菓子折りなの? 三つで足りる!? 誰か正解を教えて!
狼狽える私を見て、サレオスは小さなため息をついた。呆れられたのだと思った私は、さらに動揺し視線を落とす。もう何も思い浮かばなかった私は、立ち止まって指遊びをするしかない。
「ごめん。ちょっとからかっただけだ。フレデリックは怒ってなかった。だから謝る必要はない」
「そうなの!?」
「気分が悪くなって覚えていないってことにしておけばいい」
はい、ここにきて記憶障害です設定入りました! ありがたく追加しておこう!
重苦しい雰囲気から解放された私は、踊りだしたい気分だった。
ところが。
――ジリリリリリリリリリリ!
途端に庭の警報機が大げさなまでに鳴り始める。
「何!?」
びっくりして周囲を見回していると、サレオスがすぐに私のそばに来てくれた。一見して何もないように思えるけれど、張り詰めた空気に緊張が高まり、思わず彼の袖をぎゅっと握ってしまう。
しかしすぐに爆発音がして地面が揺れ、私は肩を竦めた。
――ドォォォォン!
私たちがいるところから邸を挟んでちょうど反対側で、ものすごい爆発音が。しかも煙がもくもくと上がっている。あぁ、これ知ってる。侵入者がいたときに爆発するトラップだわ。
「罠か」
サレオスはうちの邸に仕掛けてあるトラップがわかっているようで、夜空に上がる白煙を見上げながら呟いた。
エリーが走ってこちらに近づいてくるのが見える。
「侵入者みたいです。お二人とも、邸にお戻りください」
「わかったわ」
おとなしく指示に従おうとすると、突然サレオスが警戒を露わにした。前方から黒ずくめの男が三人、こちらに向かって走ってきているのが見える。もしかして侵入者の残党かしら。
私がエリーに視線を向けると、視線だけで「動かないでくださいね」と伝えられる。
「多分俺だな、すまない」
「いえいえ、テルフォード家かもしれません」
なぜかサレオスがエリーに向かって詫びを入れ、エリーも笑って軽く返事をした。私はサレオスの背中に隠されるようにされる。
「お客さんの残りでしょうね。どこに雇われたんでしょうか」
お客さんというのは刺客のことで、お父様狙いでたまにこういうことはあると知っている。
「すみませんがマリー様をお願いいたします」
「了承した」
エリーは腰に着けていた剣を抜き、やってくる三人に向かって走り出した。侵入者の二人がエリーと対峙し、一人は私たちの方にまっすぐ向かってくる。
投げナイフで一人はすぐに倒れたけれど、もう一人はけっこう強いようでエリーが真剣な表情で戦っていた。剣が交わる高い音が夜空に響く。
私も戦わなくては、そう思ったけれどあいにく手にしているのはエリーのくれた防犯ブザーのみ。何の戦力にもならない!
「マリーは動かないで」
しかもくぎを刺された。彼の背中から前をこそこそ窺っていたのがバレていたのね。
サレオスは私から距離を取ると、こっちに向かってきた黒ずくめの男に向かって右手を翳した。手のひらから一瞬で紫色の光の塊が飛び出し、男の肩を掠める。
「止まれ。次は当てる」
警告を口にするサレオス。でも片手に剣を持った男は立ち止まり、何か石のようなものを懐から取り出した。
男は石を地面に向かって投げつけると、それは白い光を放って霧散する。
「サレオス様!」
エリーが呼ぶ声が聞こえる。サレオスは少しだけ眉間にシワを寄せると、ニヤリと気味の悪い笑みを浮かべた男の剣を素手で受け止めてあっさり躱し、そして男の腰についていた剣を奪った。
「チッ……」
「魔法を封じれば勝てるとでも?」
私はサレオスの一言で、魔法が使えなくなっていることに気づく。男がさっき投げた石は魔法道具だったのだ。そういえば家庭教師の先生が、魔法を短時間打ち消すことができる道具があるって言っていたような……十分くらいしか効果はないらしいけれど、魔導士には嫌がられるって。
でも目の前で戦っている感じでは、魔法が使えなくても問題なさそう。サレオスは男の攻撃を器用に躱し、あっさりと喉元に剣を突き付けて勝利してしまった。
「マリー様、ご無事ですか~」
二人の男を捕縛したエリーが、いつものように笑顔で駆け寄ってくる。サレオスは倒した男を地面にうつ伏せに倒していて、駆けつけてきたテルフォード家の衛兵に男の身柄を引き渡した。
「クソッ……! わざわざアガルタまで来たっていうのに!」
衛兵に押さえつけられた男が、サレオスを睨みつけて殺気を放っている。どうやら狙いは私のお父様じゃなかったみたい。
サレオスは地面に転がされている男のそばに立ち、腕組みをしながら鋭い目で見下した。
「誰の手の者だ? まぁ素直に吐く気はないだろうが……この程度で俺を消せるとでも?」
怖い。イケボ過ぎて余計に怖い。私は少し離れたところから様子を見守る。
「サレオス殿下はいずれ我らの邪魔になると主人が仰せでね……イタタタタ!」
男はその言葉を最後に、ずるずると縄を引きずられて邸の地下に連れていかれてしまった。エリーも衛兵と共に、侵入者を引きずってこの場を去る。
「サレオス大丈夫!? 怪我は?」
私は彼に駆け寄って、その美しい顔や体躯に傷がないか確認する。
「大丈夫、無事だよ」
「よかった……さっきの人たちって一体」
ん? そういえばあの人、サレオスのこと殿下って……殿下!?
私はしばらくパチパチと瞬きをして、彼の顔をじっと見つめてしまった。
「サレオス、殿下?」
しんと静まり返った庭に、私に声だけが響く。サレオスは困ったように眉尻を下げた。
「やっぱりわかっていなかったか……俺は隣国トゥランの第二王子だ。」
「第二王子!?」
はぃぃぃ!? 第二王子って王子様ってこと!?
「アガルタには兄上の勧めで留学しているんだ。この黒髪で気づかなかったか? アガルタにはほとんどいないだろう、黒髪の人間は」
そう言われてみると、黒髪の人を見たのはサレオスが初めてだ。
「留学……そういえばお母様が隣国の王子様が留学しているって言っていたような……」
サレオスの目は「それだよ」と言っているようで、その表情はやや呆れていた。笑ってはくれているけれど、自分の鈍感さに衝撃で固まってしまう。
「みんなの王子様……」
エルリア様が言っていた言葉が唐突に思い出される。みんなの王子様って本物の王子様だったのね!? どうしよう、私ったら王子様だって知らずにかなりの不敬を働いて、しかも図々しくも恋心まで抱いてしまっているわ!
目を見開いて絶句する私を前に、サレオスはそっと右手を上げて、風に流れる私の髪に触れた。その手が優しくてドキッとしてしまう。
「……本当に何も覚えていないんだな」
「え?」
サレオスが何かを言いかけたとき、邸の方から大声でリサの呼ぶ声がした。
「マリー様ぁぁぁ!! ご無事ですかぁぁぁ!」
私たちは二人してリサの方へと視線を向ける。紺色のお仕着せでこちらに猛ダッシュしてきたリサは、私に抱きついて号泣していた。
「ああああ、なんてことでしょう! 驚かれたでしょう、怖かったでしょう!?」
「あ、リサ。えっと、怖いと思う前に全員捕縛されたわ」
はい、エリーは強いもの。サレオスもいたから、まったく怖くなかった。
「マリー様、夜は冷えます! お話をなさるなら温室の方へ移ってくださいませ」
リサの言葉を受けてサレオスに視線を向けると、かすかに笑って頷いてくれた。
温室に移動した私たちは、丸いテーブルを囲んで座る。
ここは緑の良いにおいがして、さっきまでの喧騒が嘘のように穏やかな時間が流れていた。
リサに入れてもらった紅茶を飲みながら、私はサレオスとさっきの話の続きをする。
「トゥランの第二王子様って、私はその、何ていうか色々とご無礼を……」
まず謝罪しようとすると、サレオスは優しく笑って首を振った。
「そんな顔しないで。今まで通りでいいよ」
あああ、心が広い。そして夜なのにまったく疲れを感じさせないかっこよさ。王子様みたいってたびたび思ってはいたけれど、まさか本物の王子様だったなんて。
「以前、出身地を聞かれたときにはっきりと答えなかった俺がいけなかった。知っているとばかり思っていて……俺の領地は、東にあるルレオードだ。クレアーナ嬢のところのディックホルムの隣だ。どこまでわかる?」
探り探りに話し始めたサレオスだったが、地理に明るくない私でもクレちゃんのミルドワード領がアガルタの端っこだということは知っている。そしてその隣はもうトゥラン王国だ。
「ええっと、お隣のトゥラン王国の……雪山とか鉱山とかで有名なルレオードってことで合ってるかしら?」
「そうだ。俺はトゥラン王家の直轄領の一部を持っている。邸はルレオードにあって、今は領地を預かってくれている叔父上から少しずつ領内の仕事を引き継いでいる最中なんだ。留学は、継承権争いのごたごたに俺を巻き込みたくないという兄の意向だよ」
私の頭の中にはお父様の顔が浮かんだ。お父様……外交の仕事をしているから知っていたのね。パーティーとか異国訪問が仕事のような人だもの。
そりゃそうか、娘が「お友達を連れてきます」と言って家に王子を呼んできたらそれは驚くわ。しかも自国の王子も来てコラボレーション。胃に穴が開くレベルで驚いたに違いない。
あ。第二王子って……目立つと排除されるって言ってたのはそれ!? 亡命まで妄想しちゃったけど、私の想像はそれほど遠くなかったってことよね!?
「こんなことしてる場合じゃないわっ! 準備を、準備しなきゃ!」
「は? マリー、準備って何の!?」
急に立ち上がった私に、サレオスもびっくりして立ち上がる。好きな人が危機に瀕しているというのに、こんなところでバカンスしているなんて……私ったらなんて馬鹿なの!
こうなったらお母様とお母様のご実家に全面協力してもらって、何としてもサレオスを守らなければ!! お母様のご実家は軍の幹部をたくさん輩出している、戦闘狂の親戚筋。きっと何か武器とか防具とかやばい道具とかいっぱい知ってるわ!
背後からリサの「それじゃない感」の視線が突き刺さってるけれど、私はとにかく慌てていた。
「大丈夫! ちょっとお母様のところで交渉してくるわ! サレオスを無事に寿命まで守るのは私だから!」
勢いよく温室を飛び出そうとした私。しかし追ってきた彼に肩を捕まれて止められてしまう。
「待てマリー! 話が飛躍しすぎだ! もう大丈夫なんだ、父上に継承権を放棄する手紙を送っておいたから!」
……あれ? 私はサレオスにほぼ背中を預けた状態で、ぐりんと上を向く。
「え?」
「王族でなくなれば狙われることもないし、派閥争いも収まる。王子でなければ兄上の手伝いができないこともあると思ってこれまで躊躇ってきたが……違う支え方もできるんじゃないかって思ったんだ。だから休暇に入ってすぐ、従者に手紙を持たせて国に帰らせた」
「それは……もう安心ってこと? 寿命まで生きられるのね?」
「マリーは寿命にこだわるな。そこまではちょっとわからないけど、とにかくこれまでよりは安全なはずだ」
両の肩に置かれた彼の手が、私の身体をまっすぐに戻してくれた。ちょっとだけ冷静になった私は、次なる考察に入る。
第二王子が王子じゃなくなる? ということは、どういうこと? クレちゃん説明して!
私がお嫁さんになれる可能性はあるんだろうか。隣国との力関係がわからないから何とも言えないけれど、国際結婚は可能かしら? わからない、わからなさすぎる。
でも本人に面と向かって「私をお嫁さんにできますか?」なんて聞けない! 恥ずか死ねる!
だいたい「法律的には可能だけれど気分的に可能じゃない」と言われたらショックだしね。
頭を抱えて悶えていた私の前に、サレオスが静かに回り込んだ。突然、影が落ちたことで私はふっと我に返って彼の顔を見上げる。そこには、優しく目を細めて笑っている彼がいた。
「マリーがいるとおもしろいな」
うぐっ……! やばい、好きすぎて惚れそう。あ、もう惚れてるのか。
なんだろう、急に動悸がしてきた。
「マリーと会ったことで、色々と考えることができたんだ。だから俺は―」
――ガガガガガガガガガ
「「ん?」」
突然、温室に地鳴りのような機械音が響き渡った。あ、これは土を耕しながら水を撒く、新型の農耕機だ。前に庭師の人が使っていて乗せてもらったことがある。爆音はするが、とても便利な機械だとみんな言っていた……けれど何で今!?
「マリー! これから作業をするから早く部屋に戻りなさい! サレオス様もね!」
ええーっと、なんでお父様が農耕機に乗っているのかしら!? 温室のまだ何も植えられていないスペースを、お父様がガンガン耕していっている。
私はお父様に、なぜこんなことを今しているのかと尋ねた。
「明日マリーたちが街に遊びに行くっていうから、ちょっとばかし掃除をしたんだよ。そしたら意外に色々と、ねぇ。危険人物を三人ほど確保したから、せめて肥料として役立ってもらおうと思っただけさ。あぁ、さっき来たお客さんも一緒に処理するから大丈夫! 心配いらないよ!」
いや、心配いらないってそれは無理があるわ。
「お父様、肥料は十分に足りています! うちにホラースポットを作らないでください!」
「あの、余計なお世話かもしれませんが、血抜きをしてから埋めた方が臭いが少ないかと」
隣でサレオスがなんかやばいこと言った! お父様も「ふむふむ」とか言わないで!
平和な温室に夏の怪談なんて不要よ! 死体が埋まっているところでお茶なんてできない!
(サレオスに殺人一家と思われたらどうしよう……)
隣をそっとチラ見すると、彼は意外にも楽しそうに笑っている。何がおもしろかったんだろう、怪談のプロローグだったのに。大きなため息をついた私は、明日こそ挽回することを胸に誓った。




