1. 転生
「もう疲れたな。」
男は言った。
その身体は鍛え上げられ、逞しく、そして傷だらけだった。
伸びた髪はボサボサで、顔やその身体に着けた鎧は泥と血で汚れている。
「おつかれさまでした。」
感情のない労いの言葉を、女がかける。
白く滑らかな机を前に、同じ材質の椅子に腰掛けている。
手元の分厚い本に、インクと羽ペンで何かを書き込んでいる。
「それで、次、なんですけど――」
(つぎ?)
「どういうことだ。」
「次の人生、という意味です。」
その言葉に呆気にとられていると、
「別に、人間じゃなくても大丈夫ですけど。」
と、何を勘違いしたのか、付け加えた。
なんとなく理解できた。
転生。そのような信仰の人々もいると聞いたことがある。
ということは、目の前の女は、神か精霊の類か?
「で、どうしますか?」
こちらの返答がないことに痺れを切らし、女がこちらに目を向けた。
宝石のような深い、青い瞳をしている。
「選べるのか?」
女は、小さく頷いた。
◆
「平和な世界だった。」
「それは、良かった。」
感情のない言葉を、女がかける。
俺は、思い出していた。元からずっと覚えていたかのように。
以前もここに来たと。
今の俺は、薄緑色の患者用のガウンを着ている。
「そうか、死んだのか。」
残念な気持ちと、解放された安堵感が入り交ざる。
身体に付いていた、チューブや機械の姿はない。立つこともできているし、手にも力が入る。
人生に残してきた気懸かりはあるが、もう関わることはできない。
そこでも、残念と安堵が入り交ざる。
「どうでしたか?」
「俺には、平和過ぎたかもしれない。戦とは違った緊張感は、どうも性に合わなかったみたいだ。」
「そうですか。」と、女はタブレットを指で操作している。
以前の白い肌と透き通るような金色の髪は、一つにまとめた黒髪と眼鏡の似合う風貌に変わり、机と椅子も事務用のものを使っている。
まじまじと観察する視線に気付いたのか、
「時代と、その人のイメージに合わせています。」
と、黒い瞳を俺に向けた。
次に来る質問は、もう分かっていた。
◆
何度繰り返しただろう。
時代を、世界を、条件を変えて、自分は何度もその命を経験した。
動物になったこともあったが、生まれてすぐあっけなく死んだ。
大きな樹木もある。その樹齢は長かったが、他の生き物のときと、命の対する長さの感覚は同じだった。その長さに合わせて、感じる時の流れの速度も変わるのだろう。
生きているうちは、その一つの命にただ必死で、深く考えないでいられるのだが、死んでここに来ると、どうしてもこれまで経験したすべての命を思い出し、飽き飽きする。
もう、どうでもいい。
◆
雨に濡れながら、私は道のない鬱蒼とした森の中を、追手から必死に逃げていた。
息が上がる。胸が苦しい。心臓は高鳴り続ける。
裸足の足は、落ちた枝、木の根、石、で血まみれになっている。その冷たさで感覚がほとんどなく、それに構っている余裕すらない。
木々の隙間から、岩壁に開いた小さな洞窟が見えた。
洞窟は、狭く、奥行きもなかった。
薄暗がりの奥に、祠がある。
腐ちかけた祠には、大雑把に手の加えられた人型の石が祀られていた。
その石の高さまで跪き、必死に祈った。
(どうか、どうかお救い下さい!)
背後から人の気配がし、目の前に垂直な地面の光景が広がったあと、意識は終わった。
◆
「おつかれさまでした。」
人のような石、もしくは石のような人が、ノミとツチを使って、器用に石板に文字を刻んでいた。
その光景に面食らったが、直前の記憶が怒りを駆り立てる。
「どうして助けてくれなかったの!」
震える声を枯らし訴え掛ける。
「まあまあ。」とヤツは落ち着いている。
「これもひとつの経験ですよ。」
彫刻のような顔をこちらに向けて、そう言った。
頭の中にはまたこれまでの経験の記憶が甦っており、先程の燃えるような怒りは、すでに鎮まっている。
◆
どうしたら、この繰り返しから逃れられるのだろう。
夢から目を覚ます。
きっかけとなった神への無礼を詫びる。
目の前の神らしき者を殺す。
目の前の神らしき者の代わりとなる。
ここが地獄だと気付く。
繰り返しの経験から答えを見つけ出す。
すべての命を経験する。
このゲームからログアウトする。
頭のプラグを抜く。
忘却まで永遠に繰り返す。
どれも、ありきたりだ。
そんな考え込む様子に痺れを切らしたのか、目の前のヤツは言った。
「どれでもいいですよ。」