第一章
車内のラジオからニュースが流れている。
『ゆうひ小学校で新たに3人の児童が昏睡状態で発見されました。児童らは病院に搬送されましたが昏睡状態が続いています。同小学校では夜間の施錠など安全面では問題なかったという見解を示すと共に原因の究明を…』
アナウンサーの無味乾燥な声を聞きながら、ほのかが眉をひそめる。
「イヤねぇ、これで何人目かしら」
「んっふふふ、閃いた!学園で繰り広げられる昏睡級のエクスタシー!次回のシナリオはこれだっ!」
隼人はハンドルを握っている事も忘れ、いつもの調子で天を仰いだ。車体がガクガクと揺れる。
「パパ、きちんと運転してっ!」
愛の言葉に、隼人は慌ててハンドルを握り直す。
隣では、父の運転にすっかり慣れっこになっている舞が、涼しげな顔で文庫本のページをめくっていた。
車に揺られる事、20分。辺りから振興住宅が消え、代わりに緑が増えてきた頃、車は一軒の大きな屋敷の前に止まった。
祖母『関口トキ』の邸宅だ。
敷地面積はゆうに千坪はあるだろう。巨大な門をくぐると、目の前に広がるのは雄大な日本庭園。そして威容を放つ日本家屋だ。
総檜作りの広大な屋敷は、築200年を超えているらしい。内部は複雑に入り組んだ構造になっており、かくれんぼにはもってこいだが、迷うと容易には抜けられなさそうなので、姉妹は試した事はなかった。
私達の家とは格が違いすぎる…愛は、この家に来るたびにそう思う。
以前、母に、どうしてこの屋敷で暮らさないのか聞いた事があった。その時の事は今でもハッキリ覚えている。
母は、実にあっけらかんとした表情で言ったのだ。
「離れていたほうがラクだから」。
また、こうも言った。
「私達は、必要な時だけ行けばいいの」と。
事実、両親は何ヶ月かに一度、祖母から呼ばれ、この屋敷に足を運んでいる。それがどういう用事なのか、姉妹には分からなかった。いつも、留守番を命じられたからだ。
「その時が来たら、あなた達も招かれるわ」という事なのだが、それがどういう意味かはサッパリだった。
無数の錦鯉が悠々と泳ぐ池にかけられた石橋を渡り、松の並木を抜けると、邸宅に辿り着いた。
壮麗な装飾の施された玄関を開く。
するとそこには、歳の離れた妹『関口魅衣』が三つ指を立てて出迎えていた。
今年10歳になる筈の妹。身体が極端に弱い為、祖母の家に引き取られ、外との接触を絶って命を繋いでいるのだとか。少なくとも両親からは、そう聞かされている。
久しぶりに会った妹は、確かに健康そうには見えなかった。色素が抜けた老婆のような白髪がおかっぱに揃えられ、その髪と同じくらい白い肌。触れれば折れそうな身体に和服を着込んでいる。
「ようこそお越し下さいました」
歳に合わない口調で、魅衣が顔を上げる。
くりくりと大きな目は、澄んだ茶色をしていた。
「奥の前にて、大婆様がお姉様達をお待ちになっています。ささ、こちらへ。パパ様達は、お茶の間にて待機をお願いします」
腰を上げ、するすると流れるように奥へと向かう妹に促されて、姉妹は屋敷の奥へと歩き出した。
歴史を感じさせる、黒ずんだ柱が廊下に暗い影を落としている。窓は全て閉め切られ、電球の寒々しい光だけが邸内を照らしていた。
長い廊下を進みながら、愛は歳の離れた妹に話しかける。
「あまり会えてないけど、元気してた?」
振り向かず、魅衣が答えた。
「もちろん元気です。最近は鏡が頻繁に鳴りまして、へこたれている暇もありません」
「…鏡が鳴る?」舞が、おずおずと聞き返す。
「はい。詳しいお話は、大婆様からお聞き下さい」
言いながら、突き当たりの襖をそっと開く。
そこは、二十畳ほどもある和室だった。部屋の中央に、小さな人影が背を向けていた。
「大婆様、愛姉様と、舞姉様をお連れしました」
魅衣の言葉に、人影がゆっくりと振り返る。
それは、ちょこんと正座した祖母、トキだった。
腰まで伸びた白髪を後ろ手に束ね、巫女が着るような祭事服を身に着けている。薄明かりの下、顔に刻まれた深い皺が表情に陰影を落としていた。
「お入り、3人とも」
しわがれた声で、トキが手招きする。
姉妹はおずおずと和室に入ると、トキの前に正座した。
「あの…今日は誕生パーティ…」
舞が言いかけると、トキはそれを手で制した。
「本日、関口愛、関口舞、ともに17の誕生日を迎えた。誠に目出度く、このババお祝い申し上げる」
「えっと、お茶の間にパパ達もいますから…」
愛が言いかけた言葉を、やはりトキは手で遮る。
どうにも会話のペースを乱され、愛は頬を膨らませた。
「両親は立ち会い不要。これより、そなた達には降魔の儀を受けて頂く」
トキは、ハッキリした声で、そう宣言した。
『降魔の儀?』姉妹は声を揃えて、その不可解な単語を口に出した。
背後で、魅衣がくすくすと笑いを漏らす。
「大婆様、お姉様達にはまだ何もご説明していません。最初から本題ではなく、まずはお言葉の意味からご解説を」
その言葉にトキは、そうじゃった、と呟き、かぶりを振った。
「今まで教えておらなんだな。良いか、そもそも関口家は、その系譜を陰陽師に由しておる。古くは平安の世から、令和に至るまで、歴史の暗部より守護を司っておるのが、我ら関口じゃ」
「陰陽師と言いますと、安倍晴明とか…のあれですか?」
舞の言葉に、トキは大きく頷いた。
「まさに、その通り。式神や符術を使用し、人に仇なすものを抹消するのが我らの務め。じゃが我らが通常の陰陽師と違うところは、式神ではなく、己が身に魔を宿らせる事で、その魔本来の純粋な力を使うところにある。それを関口曰く、『降魔』と呼ぶ」
愛が、慌てて腰を浮かせた。
「婆様がおかしくなっちゃた!?魅衣ちゃん、私パパ達呼んでくるね!」
しかし、魅衣は相変わらず澄んだ瞳のまま、落ち着き払って答えた。
「大婆様の仰られる事は全て真実です。パパ様とママ様も、降魔の力でご活躍されています。さ、お座り下さい」
促され、愛が座るのを待ってから、トキは話を続ける。
「さよう。そなた達の両親も陰陽師じゃ。わしの依頼にて町を守ってもらっておる」
「守る?何から?」
愛が口に出した疑問を、トキは予測していたようだった。口周りの皺が、いっそう深くなる。
「この四刻市に、人を害するものが生まれ続けておる。その昔、この地を守護しておった要石が愚か者達の手によって壊され、封じられていた悪しき気が大気へと撒き散らされた。それは悪意ある気体。導かれるは悪意ある『おはなし』」
トキは忌々しそうに眉をひそめた。
「例えるなら、影に隠れた口裂け女が人を襲う。あるいは、赤いべべを着せようという歌が深夜に聞こえる。興味本位で語られる『おはなし』が、悪しき気体にかりそめの身体を与え、それらは町を跋扈する」
「それって.都市伝説…」
舞が、ぼそりと呟いた。
「肉体を得た『おはなし』供は、その話の通りの方法で人に害をなす。それらを、我らは『怪異』と呼んでおる。それに対抗する為、己が内に魔を宿し、使役する。己の精神がしっかり固まり、使役する側、される側が逆転せぬようになる年齢が17歳なのじゃ」
一呼吸置いてから、トキがにこりと微笑んだ。
「ま、関口の一族に伝えられる誕生日プレゼントのようなものじゃ。ババの遊びに付き合うと思って、受けておくれ」
トキに先導され、辿り着いたのは屋敷の最奥。重厚な扉に守られた、神殿を思わせる板の間だった。軋む扉を開けると、得体の知れない冷気がまとわりついてくる。
調度品はなく、木製の巨大な祭壇が、まるでこちらを見おろすかのように聳えていた。
壇上に飾られた小さな丸鏡が、蝋燭の灯りに揺れる暗い室内において尚、青白い光を放っている。
促されるまま、姉妹は祭壇の前に腰をおろした。
「事前に2つ、言っておこう。まず、お主達にどんな魔が力を貸してくれるようになるかじゃが…実はわしにも分からん。今からの運次第じゃ」
「クジみたいなもの、という事?」
愛の問いに、トキは大きく頷いた。
「次に、魔の使役についてじゃ。お主達は必要な時に力を呼び出す事が出来るようになるが、その代償として、魔に精気を吸収される。その辺り、ギブアンドテイクというやつじゃ」
「精気…ですか」
舞の心配そうな声に、トキは笑顔で返した。
「まあ健康には支障のない程度じゃ。一晩寝れば、使った精気程度は回復する。が、1日に使役できる回数は、無制限ではない事を覚えておくが良い」
姉妹は顔を見合わせて、お互いに安堵の表情を浮かべた。ガチャに、MP制。どう考えてもソーシャルゲームのノリだ。少し悪ノリが過ぎるが、いわゆるサプライズパーティなのだろう。あとは頃合いを見計らって、両親がプレゼントを持って登場するに決まっている。
「安心したようじゃな。ではまず、関口舞より降魔の儀を執り行おうぞ」
トキのしわがれた声に、舞は、はいはいと軽く返事をした。
「ひとふみにみつとてよにまかりとほらむ、たそかれときよりふるへ、ゆらふらとふるへ…」
暗い神殿に、重い声が反響する。高く低く、まるで肌を這い回る虫の群れのように、呪詛の言葉がまとわりつくのを、祭壇の前に正座した舞は感じていた。
どこからか生暖かい風が吹き込み、蝋燭の炎が掻き消される。暗闇の中、書物をめくるような、パラパラと軽い音が聞こえた。
「お、お姉…」
不安げな、舞の声が闇の中で反響する。
「とこしへのやみよりきたれ、よもつひらさかのはてよりきたれいでよ!」
悲鳴をあげそうになったのを見計らったかのように、トキの詠唱がピタリと止まる。と同時に、蝋燭に灯りが灯り、穏やかに辺りを照らし出した。
辺りに、弛緩した空気が流れる。
舞がほっと息をつくと、トキがぽん、と肩を叩いた。
「あれが、関口舞。お主の相棒じゃ」
その視線の先には、淡い光に包まれた一冊の本が、宙に浮かんでいた。まるで百科事典のように分厚い、和綴の本だ。手に取ろうとした途端、パラパラと音をたててページがめくれていく。絶句している舞を尻目に、本は中ほどまで開くと、動きを止めた。
「久方ぶりの現世ぞーっ!」
本の中から勢いよく、手のひらに乗るほど小さな、和服姿の少女が飛び出した。半透明なその体からは、青白い光が放たれている。腰まで伸びた髪に、人懐こそうな大きな目が印象的だ。
あまり勢いよく飛び出したせいか、本の上でバランスを崩し、両手をバタバタさせながら耐えている。
それは、ハアハア言いながら体勢を戻すと、取り澄ました顔で口を開いた。
「こほん!わらわは文車妖妃。本日より、そなたと共にあらん!」
「お、ば、あ、さ、ま?」
口をパクパクさせながら、舞は本から出てきた少女を指さした。
「まさか、本当に、ドッキリじゃなくて?」
トキはそれを聞くと、さも心外だという表情になった。
「おぬし、今までわしの言う事を信じておらなんだか?まあ良い。本日より関口舞、おぬしの相棒は、書物の精『フグルマ』。その能力は、力ある言葉の行使じゃ」
フグルマが自慢げに頷く。
「わらわの言霊、見せてやろう…例えば、この暗い部屋じゃが…」
そう言うと、フグルマは鋭く叫んだ。
『照らせ!』
途端、仄暗い室内に、閃光が走った。太陽をまともに見たかのような強烈な発光に、その場の全員が反射的に目を閉じる。が、次の瞬間には光が掻き消え、部屋の中は再び、蝋燭の炎に照らされていた。
「どうじゃ、これぞ言霊、万能の力よ!」
目を瞬いている4人の前で、フグルマが胸を張る。
「…と言いたいところじゃが、弱点もある。一つ。言霊は、破壊的なものではない。解除に補助、攪乱。それがわらわの力じゃ。二つ。言霊の力は長続きせぬ。何分単位で持続させるなら、相応の精気を頂く事となる」
そこまで言うと、フグルマは本の中へと引っ込み、ごきげんようと言ったきり、本ごと虚空に消え去った。
「降魔の力を行使する際には、その魔の名を呼ぶが良い。おぬしの場合は、フグルマ、じゃな」
トキは言いながら、愛のほうに体を向けた。
「では関口愛。次はおぬしの番じゃ」
「えーと、大婆様…今更だけど拒否権は?」
愛の言葉に、トキは黙って頭を横に振った。
儀式が終わると、辺りは静寂に包まれた。
気まずい雰囲気の中、口を開いたのは魅衣だ。
「出ませんね…魔」
「…出ないのぉ…魔」
トキが、怪訝そうな顔で首をかしげた。
「儀式じたいは成功しておる…筈なんじゃが。もっと工夫してみたらどうじゃ?」
その言葉に、舞がおずおずと手をあげる。
「あの…私の時は自然と出てました…けど」
「そもそも工夫の仕方が分からないんだけど」
愛の言葉に、再び沈黙が流れる。
お互いに顔を見合わせる中、魅衣が静かに口を開いた。
「ご歓談中申し訳ありません。八咫の鏡が鳴っています」
見ると、祭壇の丸鏡が、細かく震えながら、等間隔に音を鳴らしている。涼しげでいて、物悲しげな、どこか風鈴を思わせる音色だ。
魅衣が、鏡を手に取り、青く輝く鏡面を覗き込んだ。
「怪異反応あり。皆様、お茶の間へと参りましょう。関口家『陰陽会議』を開廷します」
「で、陰陽会議ってなに?」
愛は、茶の間に座ると、ぶすりとした表情で、魅衣に尋ねた。魅衣が、相変わらず淡々とした口調で答える。
「関口家に伝わる『八咫の鏡』は、ある程度力をつけた怪異が暴れ出す予兆を告げてくれます。が、私達は万能ではありません。怪異を狩るか、それとも見送りとするか。それを皆様で決定するのが、陰陽会議です」
「あの…でも、これって会議の雰囲気じゃないような」
舞が、茶の間を見渡す。
十畳ほどの和室は、まさにお茶の間だった。
ちゃぶ台が出され、その上にはチョコレートと麩菓子の乗った菓子盆。各人の前には湯呑みが置かれ、両親は静岡産だという緑茶をすすっている。
「甘いな…マイチルドレンズ」
新聞から目を上げ、隼人が高らかに言った。
「会議が終わればリラックス!会議中にもリラックス!これぞ関口家名物『お茶の間陰陽会議』なのだっ!」
「そうなのです」
魅衣も大きく頷く。その傍らには、八咫の鏡が置かれていた。
障子がとん!と音を立てて開き、トキも茶の間に入ってくる。自分用の湯呑みから茶をひと啜りし、口を開いた。
「これより、お茶の間陰陽会議を開廷する!」
「その前に」ほのかが、にこやかに挙手した。
「本日は愛ちゃん、舞ちゃんが初めてこの会議に出席しています。本題に入る前に、全員の力を見せあっておきたいのですが」
「ほのかの意見を認めます」
トキが、まるで裁判官のような仕草で、湯呑みを叩いた。
どこまで真面目なのか分からないが、表情は真剣だ。
「では、わしの使役するモノからお目にかけよう」
トキは、両手を胸の前に組み、よく通る低い声で言った。
「降魔…『白妖狐』!」
急に、室内の温度が上昇した。
こーん、と甲高い鳴き声が響く。
一拍置いて、トキの背後から、体長2メートルほどの巨大な白狐が飛び出した。その尾は、根元から9本に枝分かれしている。雪のような純白の毛並みの下から、真っ青な瞳が愛を見据えた。
「わしゃあ、ビャクヨウコ。九尾の…なんじゃっけ?」
言いながら、炎混じりの大あくびをする。その息に、部屋の空気が陽炎のように揺らいだ。
「まあ、齢千年ともなれば、モウロクもするじゃろ」
クッションのように丸くなり寝息を立て始めた狐の背を、トキは優しく撫でた。
「パパのは、近くだとデンジャラスだからね」
隼人が、縁側から庭に出る。
大きく息を吸い、右手で地面を叩いた。
「出ませい、『夜刀之神』!」
それに呼応したかのように、地中から、銀色に輝く巨大な蛇のようなものが飛び出し、庭をのたうった。
全身が鋭い金属の鱗で覆われた大蛇が体をうねらすたび、庭石がまるでチーズのように削れていく。
それは鎌首を上げると、威嚇するように牙を剥いた。
「刃物の神だ。どうだいチルドレンズ。パパのは太くて長いだろうー?んっふふふ」
隼人が、自慢げな笑みを浮かべた。
「ママの使う子を紹介するわね」
ほのかが、にこやかに手を叩く。
「いらっしゃい、『鴉天狗』」
まるで子供を呼ぶような、優しい口調だ。
一陣の風が、茶の間に吹いた。壁にかかったカレンダーが、パラパラと捲れる。
飛び散る麩菓子を押さえようと、舞が慌てて菓子盆に手を伸ばしかけた時、ほのかの背後から立ち上がった影が、一足早く盆を押さえた。
目を上げると、そこに立っていたのは、大正時代から抜け出した書生さんのような格好の青年だった。足元まで覆う黒い外套を羽織り、学生帽を目深にかぶっている。きちんと襟元まで閉めた制服は、この時期に相応しくない冬服だった。履き物はというと、一本足の高歯の下駄だ。
「…どうぞ、よろしく」
言葉少なく、その場で一礼する。
「照れ屋さんなのよ、この子は」
ほのかが、微笑ましそうに言った。
皆の視線が、愛と舞に注がれる。それは…特に両親のそれは、期待の眼差しだった。
「あ…では、お姉より先に私が〜…」
気を遣ってくれたのか、舞が名乗りをあげた。
「おいで、『フグルマ』!」
舞の目の前に、和綴の本が現れた。パラパラとページが捲れたかと思うと、小さな女の子がちょこんと飛び出す。
「フグルマか、これはマーヴェラス!」
隼人が喝采を送った。
「そんなに良い子なんですか?」
舞の問いに、ほのかが頷いた。
「今まで、うちには補助系の子がいなかったのよー。本当助かるわ」
皆の拍手を受け、舞とフグルマは、目を合わせながら微笑んだ。
愛は、期待の眼差しの中、プレッシャーに耐えながら懸命に念じていた。家族が当たり前のように出せるのに、自分は呼び方さえ分からないのだ。
「愛ちゃん、大丈夫?」汗まみれになる愛の姿を見て、ほのかが心配そうに声をかける。
「大丈夫、呼べる…声かけないで…」
目をギュッと閉じ、愛は一心不乱に集中した。
(来い…出てこい…出ろ…)
ほとんど無意識のうちに、愛は叫んだ。
「来いッ、『私の相棒』ッ!」
途端、愛の脳内で、何かが弾け飛んだ。
愛の背後から、人影のような黒いモヤが立ち昇っていた。揺めきながら形を変える中、マグマのように輝く赤い双眸が、周囲の全てを見下すかのように、嘲笑の形に歪んでいる。
愛は脳が焼けるような痛みに襲われていた。やけに時間の流れが遅く感じる。ノイズの酷いラジオのような、ザーザーという雑音と共に、頭の中に声が流れ込んできた。
(ま✖️か、こやつが✖️に降りてく✖️とは…)
祖母の声だ。
(考えうる✖️り最悪の✖️✖️だ)
父の声だ。
(愛ちゃ✖️にこれ✖️✖️わせられな✖️)
母の声だ。
(怪異よ✖️も数倍✖️✖️の悪いもの✖️)
魅衣の声だ。
(お姉…何、✖️の怖✖️の✖️)
舞の声だ。
脳内を駆け巡る家族達の声と共に、頭痛が加速度的に酷くなる。気の遠くなるような痛みと吐き気の中、地の底から響くような重低音で、なにかが語りかけてきた。
『主よ…我に命じよ…絶対的な否定を…我が名は…』
愛の意識が、プツリと切れた。
家族達が心配そうな顔で見ている中、愛は目を開いた。
何分にも感じた苦痛の時間だったが、どうやら、一瞬の事だったらしい。痛みと吐き気は、嘘のように消え去っていた。大きく息をつく。
「パパ、最悪のって、私の力の事?」
愛が尋ねると、隼人は一瞬、目を泳がせた。
「パパは、何も言ってないぞ?それより、酷い汗だけど大丈夫かい?」
「魅衣ちゃん、怪異よりもどうとか言ったよね?」
魅衣は、その問いに、静かに首を横に振った。
「私、確かに聞いたよ?雑音凄かったけど、皆が…」
愛が言いかけたのを遮るように、トキが、湯呑みをちゃぶ台に叩きつけた。
「確かに、誰もそのような事は言っておらん。が、おぬしには聞こえたのじゃろう…それが、愛、おぬしの能力の一端じゃ。じゃが…」
トキの表情が曇る。
「おぬしの能力は、飛び抜けて危険なものじゃ。よって、使役は原則として禁止とする。これは家長の命令じゃ!」
「ご歓談中のところ申し訳ありませんが…」
魅衣が、八咫の鏡を覗き込みながら言った。
「そろそろ、会議の続きをしても宜しいでしょうか?」
その声は、いつにも増して感情が篭っていなかった。