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関口さんちのフォークロア  作者: うりぼう
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序章

人間の心、それは複雑に枝分かれした広大な迷宮のようなものだ。愛情や喜び、焦りや不安…様々な感情が心の迷宮を動き回り、時には迷い、行き詰まり、抜けたと思えば入り口に戻っている。

その中で最も根源的なもの…それは「恐れ」の感情。

それは暗闇から忍び寄る猛獣への恐怖。あるいは神の怒りのような自然災害への恐れ。

悠久の昔より細胞レベルまで刻まれた先祖からの記憶は、やがて人間の行動原理となり、大きな囲みを作り、村を作り、やがては都市を作って、それらの危険を壁の外へと隔離していった。

だが、人間の心の奥底に水脈のように流れる「恐怖心」は、枯れる事を知らない。決して解けない呪いのように、心へと刻まれた暗闇への恐れ。

それはいつしか形を変え、安全を保証された都市の中で、人々は心の中の闇を「おはなし」として語るようになった…。


真夜中の校舎に、ぺたぺた、と自らの足音だけが響いている。昼間と同じ、上履きのゴムが廊下に擦れる音。なのに、夜というだけで、こうも違って聞こえるものなのだろうか。少女は、辺りを覆う静寂の中、思わず身震いした。

もう3年も通っているはずの『ゆうひ小学校』なのに、真っ暗な校舎の中を歩いていると、まるで見知らぬ場所に迷い込んだかのような錯覚を覚える。

少女は、自らを勇気づけるように、あの噂をもう一度、頭の中で繰り返した。ここ数日、友達の間で流行っている噂だ。


「『ギチギチさん』って、知ってる?」

最初にそう言い始めたのが誰かは、知らない。教えてくれたのは隣のクラスの子だが、その子も人から聞いたと言っていた。

だが、それはあたかも伝染病のように、彼女達のクラスにも広まっていった。

「夜の3時に、ゆうひ小学校の理科室に行くとね。骨格標本が動くんだよ。ギチギチ音をさせながら、追いかけっこをしてくるんだって。でもね、もし捕まっちゃったら…」

一息ついてから、噂はこう続くのだ。

「教えてあげない。勇気があるなら試してみなよ」

思わせぶりな口調に息を呑むクラスメイト達を、少女はいつも、冷ややかな視線で見つめていた。子供騙しもいいところだ、と思いながら。

だから彼女は、みんなの前で大見得をきってみせた。

よくある七不思議じゃない、馬鹿らしい。だったら私が試してあげるわよ…と。

途端、好奇の目が集中した。言い出した手前、後には引けなかった。


理科室の扉を横に滑らせると、独特の薬品臭が鼻をつく。棚に納められたホルマリン漬けのヘビやカエルが、月明かりに白く照らし出されていた。

今夜は、数人のクラスメイトと示し合わせて学校に来ている。彼らは今、少女の成果を確認する為に、校舎の外で待機している筈だ。


(とっとと確認して、あの子達に言ってやろう。何もなかったよ、って)

心の中で強がりを言いながら、恐るおそる、教壇まで歩を進める。

ふと、闇の中…目の端で、何かが動いたような気がした。ぎょっとして振り返る。だが、そこには当然ながら、何もいなかった。

(ふう、脅かさないでよね)

額に浮いた大粒の汗を拭う彼女の耳に、奇妙な声が聞こえた。

甲高い声だ。それは歌うような調子で、理科室の闇の中、どこからともなく響いてくる。

『私のココロどこかな?私のココロ、どこかなぁ?』

「誰よ!いたずらしないで!」

言葉とは裏腹に、少女の声は震えていた。


教壇横から、ギチリ、ギチリ、と、何かが軋むような音が聞こえてきた。あれはちょうど、人体骨格標本が飾ってある辺りだ。

あえて、振り向こうとは思わなかった。噂など信じていないし、信じたくもない。だが今は、余計なものを見ずに、校舎の外へと出たかった。先ほど自分が開いた入り口へと、一歩踏み出す。

不意に、何かが後ろから、少女の肩を掴んだ。枯れ枝のような、節のある細いものが5本。それらが蠢くたび、ギチリ、ギチリと軋むような音が背後から響く。

背後から、甲高い声が聞こえた。

『あそびましょ』

振り向いた少女の口から、小さく悲鳴が漏れる。

「おはなし」がまた、始まった…。


東京都四刻市は、もともと人口4000人程の小さな町だったが、都心へ40分というアクセスの便が注目され、急速にベッドタウン化が進んでいる都市である。

主な地区は4つ。

高層オフィスビルが立ち並び、民間放送局『アサヒテレビ』本局がある事から四刻市の顔として誇られている『朝日区』。

駅近郊に位置し、各種店舗や巨大デパート『異世丹』、地元ショッピングモールなど商業施設が軒を連ねる『真昼区』。

古くからの住居が立ち並ぶが、最近は土地を切り崩しての振興住宅が目立つ、緑豊かな住宅街『夕日ヶ丘』。

そして四刻随一の歓楽街『夜帳区』。


一見平和に見えるこの都市だが、昔から度々、血生臭い事件が起こる事でも知られている。

その発端は昭和48年。夕日ヶ丘の整地工事が行われた際に、廃神社跡から『要石』と呼ばれる大きな岩が出土。これを撤去した直後から工事関係者が原因不明の熱病に次々と倒れ、数日で発狂するという事故が発生している。

近隣住人の話によれば、要石を撤去した際、それまで快晴だった空に突如、暗雲が立ち込め、天へ向かって青い光の柱が立ったというが、真偽の程は不明となっている。


それを皮切りに、市内には時折、猟奇的な事件が発生するようになった。下校中の児童がハサミのような刃物で口を切り裂かれて死亡。買い物に行った主婦が路地裏で全身の血を抜かれた状態で発見される、など、残酷かつ異常極まりない事件が発生しては、市民を震え上がらせた。

警察はその多種多様な手口から、単独犯による事件ではないと発表。しかし大規模な捜査にもかかわらず、その全てが迷宮入りとなっており、警察の捜査能力に疑問の声が多くあがっている。

だが不思議な事に、一連の事件は発生から数日で必ず終息し、それ以上の被害が出た事は、未だにない。


真っ青に晴れ渡った空から、夏の日差しが水面を照らしている。

『関口愛』は、てのひらに掴み取る水の感触を楽しんでいた。まるで身体が水に溶け込んだかのように、ひと掻きごとに身体が前へ、前へと押し進んでいく。やがて手の先端が壁につき、彼女はプールから顔をあげた。

「ぷはぁっ!」大きく息を吐き、濡れた身体を引き上げる。

タオルで身体を拭きながら、耳に入った水をきっていると、女子水泳部マネージャーの『境紀子』が肩を叩いてきた。

「また自己ベスト出したね!しかも2秒も短縮!」

信じられない、といった表情でストップウォッチを覗き込んでいる。

「やっぱ、次の県大会では愛ちゃん以外に考えられないよ」

紀子は言いながら、愛の事をしげしげと眺めた。

相変わらず、いい身体をしている。スレンダーで余分な脂肪のない、しなやかな筋肉を包み込むのは雪のような肌。水泳帽からはみ出した甘木色の髪は、普段はポニーテールに結ばれて薄茶に輝いている。挑発的にツンと立った鼻、ぱっちりとした目。まるで西洋人形のようだ、と紀子はいつも思う。

愛は、そんな紀子の羨望を知ってか知らずか、屈託のない笑顔を見せた。

「私なんか、まだまだだよ。県大会に出るレベルじゃない」

笑いながら、更衣室へと足を向ける。

「あれ?今日もう上がるの?」紀子は慌てて声をかけた。

部活の時間はまだ終わっていないし、今日は愛の17歳の誕生日。本人には内緒で、ささやかな誕生祝いの企画を立てていたのだ。

「うん、今日はちょっと家の用事があるんだ。午後4時までに、婆様の家に行かないと」

「あ、でも…」紀子は少し迷ってから、続けた。

「今日ね、愛ちゃんの誕生日でしょ。実はみんなで、カラオケ行こうと思ってたの。内緒だったんだけど…ね、行かない?」

愛はそれを聞くと、ちょっと迷ったような表情をしてから、首を横に振った。

「ごめん…今日は家族の集まりだから」

「南条先輩も、来るよ?」

その言葉に、愛の頬が薄く染まったのを紀子は見逃さなかった。

男子水泳部の『南条和俊』は、いかにも爽やかなスポーツマンといった精悍な身体つきと甘いマスクで、女子生徒の人気の的。愛もその先輩に密かに心を寄せているのは、紀子ならずとも知っている。

「あー…南条先輩、来るのかー…」

顎に手をやり、空を見ながら難しそうな顔で周巡する愛。

それを見ながら紀子は、美少女はどんな格好をしてもキマるものだなと心の中で感心した。

自分が同じポーズをしたら、喉を詰まらせたサルくらいにしか見えないかも知れない。


プールサイドから、男子達の笑い声が聞こえてくる。振り向くと、ちょうど噂の主…南条和俊が、部員達と一緒にこちらへと向かってくるところだった。

測定が終わったばかりらしく、肩からタオルをかけている。逞しく締まった身体は、夏の日差しを浴びてキラキラと輝いて見えた。水も滴るいい男、という表現がピッタリだ。

他の男子達と冗談を言い合いながら歩いていたが、愛の姿を見るや、その場で足を止めた。

「どうしたの?相談事してるのかい?」

白い歯を見せながら、こちらに微笑みかけてくる。

「そうなんですよ先輩。愛ちゃんったら、今日のカラオケ来られないって」

言いながら、ちらりと愛の顔を横目で見る。

思った通り、愛は耳まで真っ赤にしながら、南条から目を逸らしていた。おそらく、水着姿の南条を前にして、目のやり場に困っているのだろう。あまりに分かりやすい反応に、思わず吹き出しそうになった。見れば、南条の取り巻き連中も苦笑している。

「今日のパーティは先輩が企画したのに。残念ですよねー」

「えっ!南条先輩が、私の為にっ!?」

声を裏返している愛に、南条が優しく話しかける。

「ああ、関口をビックリさせようと思ってな。でも用事があるなら仕方ない。黙っていて、こっちこそ悪かった」

「そそ、そんな事はありませんよっ」

胸の前で手を振る愛の脇腹を、紀子が軽くつついた。

「ほらほら、行かないと先輩ガッカリするぞー?先約なんか、すっぽかしちゃいなよー」

その言葉に、愛は少し悩んでいたが、やがて

「やっぱり駄目。婆様と約束しちゃってるし。今日は家族で特別な行事をするらしいの。残念だけど…先輩、ほんっとーに済みません!」

「分かったわかった、気にしないから安心して。でも来週は付き合えよ?俺の誕生パーティ、部員の皆でやるんだから」

「大丈夫です先輩!来週は本当、予定ありませんから!」

一礼すると、後ろも振り向かずに更衣室へと走り去ってしまった。

(まったく、分かりやすいなー)

紀子は、愛の後ろ姿を見送りながら、ぼそりと呟いた。

今日のパーティは、主役抜きだ。でも、ご本人様の都合が付かないのなら仕方がない。

代わりに私が、先輩の隣で歌っちゃおう…紀子はそんな風に考え、一人頬を染めた。


制服姿に着替え、髪をポニーテールにまとめた愛は、校内の図書館を散策していた。待ち合わせ時間になってもまだ妹が来ていないという事は、考えられる場所はここだけだ。立ち並ぶ長机を抜け、辺りを見回しながら書棚の奥へと進んでいく。

難しそうな本を熱心に読んでいる姿は、ほどなく見つかった。

「舞!もう時間だよ」

言われて、ビックリしたように顔を上げたのは、双子の妹『関口舞』だ。

姉と同じ顔形をしているが、こちらは甘木色の髪を肩の位置で切り揃えている。

屋外で身体を動かすのが好きな愛と違い、室内で本を読むのを好んでいるが、かといって運動神経は決して悪くない辺り、やはり姉妹だ。

「あれ、お姉〜。もうそんな時間ですか?」

のんびりとした声に、愛は多少いらついた。

「もうー、私なんか部活を早々に切り上げてきたんだからね。早く帰るよ!」

「もう少しで、この本読み終わるんですけどね〜…」

名残惜しそうにしている妹を引っ張るようにして、校門を出る。


『夕日ヶ丘高等学校』それが関口姉妹の通う高校だ。

ランク的には中の上、スポーツに優れるわけでもなければ進学校でもない。いわゆる普通の、どこにでもある高校。

そんな「どこにでもある」高校前のバス停から、バスに揺られて30分。「どこにでもある」ような振興住宅街の一角に、「特に目立つふうでもなく」建っている青い屋根の二階建て住宅に、『関口』と書かれたプラスチックの表札がかけられている。

築20年、夕日ヶ丘のなかでは比較的古株の家だが、大きさではその辺に建っている振興住宅のほうが遥かに広い。

玄関をガラガラと開けると、すぐ右手の書斎…といっても5畳ほどの広さの洋間から、父『関口隼人』が飛び出してきた。

「おかえり、マイ・ラブリー・チルドレンズ!」

大仰に、かぶりを振ってみせる。

たくわえた口ヒゲ、ひょろりとした体つきに青白い肌。オールバックに撫でつけた黒髪は、肩から少し下まで伸びている。

その飄々とした風体から、第一印象はどこかの遊び人だが、隼人はゲーム会社のシナリオライターを務める、れっきとした社会人だ。ただし、年頃の娘が友達に誇れるようなゲームは手掛けていない。代表作は『モンスタっ娘ハンター』シリーズ。モンスター娘を追い回してパンツを剥ぎ取る、最悪なゲームだ。


ただいま、という娘達の声を遮るように、隼人がペンを振り上げる。

「んっふふふ、さあ語るがいい、君達が学校で体験した日常を!」

「…部活で泳いだ。あと授業受けた」

「…本読んでました。あと授業受けました」

娘達の憮然とした返事に、隼人は大仰に両手を挙げ、その場で天を仰いだ。

「違うんだよ…もっと高校生にしか体験できないような、甘酸っぱいネタが欲しいんだよ!仕事のインスピレーション欲しいんだよぉっ!」

「パパ…私達を変なゲームの題材にしないでくれる?」

愛が思わず父の頭を引っ叩きそうになった時、奥ののれんが、しゃらりと爽やかな音をたてた。

「あら、お帰りなさい愛ちゃん、舞ちゃん」

台所からエプロン姿で出てきたのは、母『関口ほのか』。

歳はもう40をとうに超えているが、加齢は彼女の美しさを奪う事が出来ないかのように、きめ細やかな白い肌には張りがあり、身体もスッと引き締まっている。20代後半と言っても充分に通用するだろう。後ろ手に束ねられた豊かな黒髪が、艶やかな輝きを放っている。

いつもにこにこと笑みを絶やさず、関口家の家事を一手にこなす働き者の母だ。


「そろそろお時間よ。お婆様のお宅に伺いませんと」

鈴を転がすような声で、ほのかが3人に促す。

「しかしだね母さん。今まさに私の脳髄にインスピレーションの神が…」

「それはあとで妄想して下さい。今日は大事な日じゃないですか。さ、車の用意を」

ほのかの声に、隼人はしぶしぶとガレージへと消える。

その姿を見送りながら、愛はほのかに言った。

「じゃ、私達も着替えるね」

「制服のままでいいわよ。遅れると大変だから。すぐ行きましょう」

「…誕生パーティなんですよね?」

有無を言わさぬ母の態度に、舞がおずおずと尋ねる。

ほのかはそれを聞くと、にこやかに答えた。

「一生の記念になる、特別な誕生祝いをするのよ」



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