第2話
紅茶とクッキーを潤滑油にして、滑らかに動いていた舌を止めたのは春樹だった。
「あの!!」
「「はい!」」
「話を戻してください。」
瑞生と矢島は顔を見合わせる。
「元を正せばお前が変なタイミングでお茶を持ってくるから〜」
「その上すごく美味しかったから〜」
二人は揃って右手をヒラヒラさせている。
「……」
春樹のこめかみに浮かぶ太筋の血管を見れば、彼の言いたいことはわかるだろう。
「ゴホン。何の話だっけ?」
「あれ、何の話でしたっけ?」
「確か美奈さんがどうとか言ってましたよ」
「ああ、そうだ。美奈の話だ。
実は美奈からある程度の話は聞いていて、矢島さんは魔物視えない体質だって聞いていたんですけど、一度も視えたことがないってことですか?」
「はい。やっぱり一度視えると視えやすくなるって本当なんですか?」
「まあ、ある程度はそうですね。次部屋に行ったら何か見えるようになってるかもしれないですね」
瑞生が茶化すように言う。
この男、服装は整っているものの、瞳の奥からは隠された胡散臭さがにじみ出ている。
「え?ああ、そうなんですか。ちょっと楽しみかもです。」
矢野は戸惑いつつも“ニッ”とはにかんだ。
魔物の存在が受け入れられている世界で、それを見たことがない彼女はどこか魔物というものに期待しているところがあるのかもしれない。
しかし、魔物を見慣れた人にとって魔物は日常の一部。
大きな期待を寄せられるのは少しくすぐったい。
「魔物って意外と普通だったりするので、あまり期待しないほうがいいかもしれません」
「そうなんですか」
(そんなにシュンとされると、悪いことをした気分になるな…)
「で、ですね、その怪現象を解決するためには一度その部屋に行ってみる他ないんですけど……春樹、いつなら空いてるんだっけ?」
「いつでも空いてますよ。うちは美奈さんのお陰でそこそこ依頼があるとはいえ、決して忙しいわけではないですから。瑞生さんが仕事を受けに行ったりもしませんし」
春樹はなにも書き込まれていない壁掛けのカレンダーを指で弾いている。
口調と目線からは積極的に仕事を受けようとしない瑞生に対する呆れが見てとれる。
古桐美奈からの仕事の供給がなければ、この相談所はとうの昔に潰れているのだ。
祓魔一本で生計を立てるには、あまりにも世知辛い世の中なのだ。
「全くですよ。ほんとうに」
「というわけで、こちらはいつでも行けます。だから、そちらの都合がいい日にちを教えてもらいたいんですが」
「平日は仕事があるので土日なら大丈夫かと思います」
「じゃあ……なるべく早いほうがいいと思うので、来週の土曜日でいいですかね」
「はい」と返事をした後、矢島はバックをゴソゴソと漁る。
バックの中から取り出した手帳になにかをスラスラと書き、綺麗に切り取って瑞生に差し出した。
「これ、携帯の番号と住所です」
「ありがとうございます。悪用とかは絶対にしないので安心してくださいね」
瑞生は受け取った紙を二つ折りにして春樹に渡した。
(悪用どころか善用もしないくせになにを言っているんだか...。)「詳細については明日の夕方頃に連絡を入れますね」
「はい」
少し間を開けて春樹が話しだす。
「クッキー、少し余ってるんですけど、残った分と一緒に包みましょうか?」
「ホントですか!?お願いします!!!」
花が咲いたような笑顔につられて春樹もにこやかな表情になる。
「ははは、気に入っていただけて何よりです」
先程から春樹の目には、名残惜しそうにクッキーを眺める古桐の横顔が見えていたのだ。
春樹としても自分が焼いたクッキーは、ちゃんと味わって喜んでくれる相手に渡したいのだろう。
「どこかのバカ舌じゃなくてね」
「いきなりなんなんだよ!俺はバカ舌じゃねぇって!!
一口食べただけで材料も調理法も全部わかるし、その気になればプロ顔負けの感想だっていえるんだよ!!
でも正直に褒めるのはちょっと恥ずかしいから、『うまい』とだけ言ってるんだよ!!
大体いつも俺の舌をバカにするけど、例えばあの時は…………」
この日はそのまま解散となり、カレンダーには赤い油性ペンで予定が書き込まれた(もちろん書き込んだのは春樹だ)。
かくして新年度になって初めての依頼が、沢野祓魔相談所に舞い込んだのであった。
日が少しづつ傾きだしている中、満開を過ぎた桜の匂いがした。
明日からは雨が続くらしい。
三人称の物語は難しいですね。
次話はこの世界について、多少の説明を入れたいと思っています。
1話1話が短い分、頑張って投稿していこうと思います。