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バテ君と氷の城で

「ぎゃっ…あわわゎっ!」


迫り来る崩れ落ちた巨大な氷の塊に、リースが叫ぶ。


「っ、リース! こっちへ!」


(魔法で氷河に入れる亀裂の位置を、微妙に間違えてしまった…)

光のバリアを張りながらバテ君が安全な場所まで運んでくれる。


「大丈夫?」


「うん、ありがとうバテ君。ちょっと背中がゾクッとして…すみませんロド様。」


「大丈夫? 悪寒がしたなら風邪かな?」


バテ君が心配そうな表情でおでこに手を当ててくる。


「リース、今日はもう危険だ。また日を改めよう。」


ロド様は表情を変えずに言った。


「いっ、いえ、まだ出来ます!」


(一緒に指導を受けているバテ君にも迷惑が掛かるし…)


「ふっ…二人ともメイドの卒業試験のサポートの日も迫っていることですし、今日はこのくらいでいいでしょう。」


「よかったぁ~。僕もちょうど疲れちゃったところです! リース!あっちでかき氷作るから一緒に食べようよっ。ロド様もいかがですか?」


急に少年みたいな声のトーンになったバテ君が無邪気に笑った。


「いや、私は結構。そう、今日はこの辺りで流星群が見られるから二人でゆっくりしてくるといい。」


ロド様が曲を奏でる指揮者のように手を振り上げると、螺旋を描く蔦の葉の装飾が見事な巨大な氷の城が現れた。


「うわぁ!」


バテ君が感嘆の白い息を吐いた。


「すごい!」


一瞬でこんな壮麗な城が築けるなんて…やっぱりロド様の魔力は計り知れない。


「ふっ、では私はこれで。」


透明になって消えていくロド様が指を弾くと、金色の弧を描いた小さな鍵がバテ君の手に収まった。


「城の鍵かしら?」


「…うん。そうみたいだね。」


バテ君は少し低い声でうつむく。


「せっかくだから、今日はあそこでデートして行こう!」


「あっ。」


強引に手を引かれて城の中に入ると、氷でできているはずの室内はとても暖かい。


「もっと内装も冷たくて固いイメージかと思ったら、さすがはロド様ね。」


透明度の高いクリスタルのような輝きは残しつつ…照明や調度品は柔らかで落ち着いたムードを醸し出している。


「ダンスホールまであるよ。」


部屋数は30くらいだろうか…メイドの卒業試験の宿もこのくらいの規模が理想かもしれない。


「本当だ、一曲踊ろうよ。」


「え? ううん、私はダンスなんて踊ったことないから。」


(ウィンティート家の奥様の、見よう見まねのフリはしたことがあるけど…)


「じゃあ教えてあげる。ほら…おいで僕のお姫様。」


「えっ」


(今日のバテ君はいつもにも増して強引な気が…振る舞いの一つ一つは至って紳士なんだけど…)


「そうそう、上手い上手い」


(な、何だかバテ君から良い香りがするわ…どちらかと言うと中性的な人だと思ってたけど…こうしてみると意外と胸も広いし長い指の骨格も男らしいのね…それにしてもキレイな顔立ちだわ…)


「リース」


「へ?」


(何かしら、また少し低い声で…)


だんだん近づくアクアマリンの潤んだ瞳に、心臓が跳ねる。


(こ、このムードは…え? キ、キスされ…)

何故か身体が動かない…


「…ディナーにしようか。最上階に天窓とテラスがあるみたいだから。」


「え? ディナー? あ、あぁそうディナー…そうだね…」


バテ君のエスコートの手は少し冷たかった。



「リース、食欲あんまりなかった?」


薄暗いディナーのテーブルに、最後のデザートにバテ君が作ってくれたバスティラの花のシャーベットからピンク色の冷気が漂う。


「え? ううん。そんなことはないけど…」


360°見渡せる天窓には音もなく大小の星が降り始めていた。


「…王宮はヴァン殿下とイセイラ王女の噂で持ちきりだね。」


バテ君はうつむいてティーカップを手に取った。


「そうだね。」


「リースはどう思う?」


微笑むバテ君にいつもの無邪気さはない。


「わたしは…お似合いだと思う。」


身分だって釣り合ってるし。ヴァン王子に惹かれていたのは事実だけど、ただの魔力目当ての人と結婚したって幸せになれない。本当に想い合える相手と一緒にならなければ、結局最後に傷つくのは自分だ。

この間のエミュレー様をみてそう思った。


「てっきり殿下はリースのことが好きなのかと思ってたけど。」


「何いってるのバテ君、そんなことある訳ないでしょ。それよりほら、空がすごいわよ。せっかくだからテラスに出てみましょうよ。」


勢いよく席を立ったら、バテ君は無言でふわふわのコートを着せてくれた。


「キレイ…」


流星はもちろん空気が澄んで夜空が近い。無数の星々の微妙な瞬きの違いまでみてとれて、それはまるで生き物のようだ。


「リース」


暗闇に浮かぶバテ君のアクアマリンの瞳の奥の銀色の虹彩がキラキラと光る。


「僕と結婚してくれない?」


「は?」


(いきなり何を…)


「結婚…って言った?」


「うん。」


(ヴァン王子といい、この交際0日、即プロポーズパターン…今流行ってるのかしら…)


「どうせ魔力が目当てでしょ。」


バテ君は驚いて目を見開いた後に、またいつもの無邪気さを含んだ笑みを浮かべた。


「あはっ。それはまぁ、そうなんだけどね。」


(どいつもこいつも…悪びれもせずに…)


「お断りします。」


王太子殿下に、大臣の子息でエリート魔術師からのプロポーズ…数年前の自分だったら泣いて喜んで飛び付いてただろうけど。


(本当のわたし自身を好きになってくれる人なんて現れるんだろうか…)


「リースは可愛いよ。」


「え?」


バテ君は再び空を見上げてため息を吐いた。


「だって思ったことがすぐ顔に出るだろう? 僕の周りにはそんな人はいなかったなぁ。リースの側にいると自分まで毒気が抜かれて…素直な気持ちになっちゃうんだよねぇ。最初は子供っぽいなぁと思ったけど。」


「バテ君に言われたくないわ。」


「あはっ、そうだよね。」


こちらを見るバテ君の眼差しが思いの外温かくて何だか調子が狂う…


「実を言っちゃうとね、さっきロド様からもらった鍵はお城の鍵じゃないんだ」


「え?」


「これは、君の心を僕に向けさせる魔法の鍵。」


バテ君が改めて手の平に乗せた小さな鍵にひときわ明るく散った流星の残照が映る。


「な、何でロド様がそんなものを?!」


(信じられない…何のために…)


「この国の、とりわけ王宮殿は世界一魔力が効きやすい場所だろう?」


バテ君は鍵を握りしめて、そのままポケットに手を突っ込んだ。


「ええ。」


「僕の産まれた国は滅びたけど、魔法の力も乏しいところだった。土地も財産も失って家族もバラバラになって…世界を呪いたくなったよ。なんてこの世は不平等なんだってね。」


「バテ君…」


「ただ今はね…サールサザガリ国もただ自然淘汰されただけのようなものだと思ってる。消えていくのが当然の流れ。」


バテ君は少し口角を上げて人差し指で天を指した。


「ロド様はね、強い魔力を持つ国だからこそ出来ることがあると言ったんだ。」


「できること?」


「うん。世界の統治…そう言うと恐ろしい気もするけど、要するに最高峰の魔力と叡知が集まるこの国が世界全体を正しくコントロールするということだって。」


「世界を…」


(ロド様はバテ君にそんな話を…やっぱり魔術師筆頭の後継者に考えているのかもしれない。)


「サールサザガリのような国は存在するべきではなかった。」


感情を圧し殺したようなバテ君の声に胸が痛む。


「でもバテ君、下手に他国に干渉すると返って…」


争いになる。全世界を巻き込むならそれこそ最悪の結果になりかねない。


「もちろん民を傷つけるつもりはないよ。サールサザガリのような理不尽な国家を見過ごさないようにするためだ。僕と君の魔力があればそれができる。リース、どうか僕と手を組んで欲しい。さっきダンスホールで君に術を掛けようとしたんだけど…何故かできなかった。こんなことは…こんな気持ちは初めてだよ…」


バテ君はこちらに身体を向け、距離をじりじりと縮めてくる。


「ま、待って…話のスケールが大きすぎるし、それで何で結婚っていう話になるの?」


バテ君はキョトンとした表情になった。


「う~ん、それもそうだね。何でだろ? でもロド様の言葉は絶対だからなぁ。」


困ったように笑うバテ君に気が抜ける。

(そこはちゃんと考えなきゃいけないとこでしょ…!)


「でも今は相手がリースで良かったと思ってる。」


「え、あの…あっ!」


抱き寄せられたバテ君の胸の中は思いの外温かかった。


「僕と結婚して。リース。君に術は掛けたくない。そのままの君と一緒にいたいんだ。」


(全身に響く胸の鼓動は、バテ君の…いや、私のものかも…)


「ごめんバテ君…その…世界平和?…には協力するから…あの…ロド様にはわたしから言っておくから…」


「結婚するって言うまで離さない。」


「ちょ、ちょっと…」


(く、苦し…)


「今は殿下を好きでもいいから…」


――――――――――!


「な、何言ってるの? ね、ねぇバテ君…このくらいに…」


しばらくの沈黙の後にバテ君の腕の力が多少緩んだ。


「…じゃあさ、まずは僕と付き合ってよ。返事はその後でいいから。」


「え?!」


「ねぇお願いリース…僕は君が好きみたいなんだ。」


「…バテ君。」


(君が好きだと…殿下が一言でも言ってくれれば私はヴァン王子のプロポーズを受けただろうか…)


みたい(・・・)って何よ…」


バテ君の身体を押し返して半眼で睨む。


「だって、たぶん初恋なんだもん。よく分からなくって。でもほら…胸の鼓動が聞こえたでしょ?」


向かい合わせのまま両手を握られて…照れ笑いをしたバテ君が不覚にも可愛くみえてしまった。


「たぶんて…そういえばフィリとはどうなの?」


思わず目を逸らす。


「…嬉しいっ。まさか嫉妬してくれてるの?」


「違うわよっ」


握る力を強めた手を弾いたら、バテ君は少し名残惜しそうにしながら正面に向き直って軽く自身の腕を組んだ。


「フィリには想う人がいるみたいだね。僕としてはそちらを応援してあげるつもり。」


「え? あの気の多いフィリに?」


(てっきり今はバテ君にロックオンしだと思ってたけど…)


「彼女は一途だよ…まるで大衆劇のヒロインの典型みたいにね。」


「へ~、驚いた…。」


(一体お相手は誰かしら…)


「で、リース付き合ってくれる?」


「…。」


「どうしたの?」


「ううん。バテ君なら女性を口説くとき詩の一つでも歌いそうなのに…意外にストレートだなぁと思っただけ。」


「…じゃあ今から歌うね!『星降る夜に~氷の城で~固く閉ざした~君の心を~僕がぁ~溶かして~あ~げ~る~から~』」


「ブッ…何そのダサイ歌詞っ!! ふっ…無駄にいい声だし…」


(こんなにロマンチックな夜なのに可笑しいったら…)


「ひどいいなぁ、自分から言っておいて。これでも僕の美声は数多の女性を虜にしてきたんだけどなぁ。ねぇリース、ちょっと笑いすぎじゃない?」


「あははっ、ごめんバテ君! 何だか笑ったの久しぶりで…」


緊張の糸がほぐれたみたい。


「…やっぱりリースは可愛い。」


「は…」


「もっと気楽な気持ちでいいからさ、付き合ってみようよ。」


「…。」


「リース。」


「…バテ君を好きになれなかったら?」


「構わないよ。」


「本当に?」


「うん、もちろん。僕の心は君のものだけど君の心は自由だよ。」


「じゃ、じゃあ…とりあえず3ヶ月だけよろしくお願…っ…ん!」


「ごめん、つい…嬉しいよ…リース…」


急に口許にキスされた驚きと…バテ君の声色がまた変わって急に男性の色気を放つから…怒るタイミングが掴めなくなってしまった。

そっと肩を抱き寄せられるがまま、願いごとも探せずに流れる星をただぼんやりと眺めた。

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