王子のお相手 (1)
(イーリス視点)
「イーリス、何なんだあれは…」
執務室の書斎で、不快そうな表情を全面に出したヴァン王子がため息を吐く。
「どうかなさいましたか?」
何となく不機嫌な原因の予想はついているが…
「言葉遣いも妙に馴れ馴れしいし、そればかりかベタベタ身体にも触れてこようとする…本当にあれは一国の王女なのか?」
モリナダ国のイセイラ王女…もともと殿下にご執心だったと噂には聞いていたが…
「左様ですか。随分と積極的なアピールだったようで。国の文化の違いでしょうかね。」
私としたことが、少し目が泳いでしまった。
「…悪いが明後日の帰国までお前がイセイラ王女の相手をしてくれ。私は政務で忙しい。」
淡々とした口調で王子は信じられないことを言い出した。
「そっ、それではセレーネ王妃様がご納得されないのでは…!」
何としてでもヴァン王子に伴侶をと、今年のセレーネ王妃は気合いが違うようだ…
「お前、この間レリアに頼まれて私の居所を探しただろう。」
ヴァン王子の黄色い眼鏡の奥から鋭い視線が飛ぶ。
「は…」
やっぱりバレてしまったか…
「お前の主は誰だ?」
「もちろんヴァンテリオス王太子殿下です。」
「…よろしい。では頼む。」
「おっ、お待ち下さい。」
強制的に退出を促す魔術を掛けようとした王子を止める。
「これを。リースさんからです。」
彼女を監視し続けていたことは、ロデンフィラムから戻ってまもなく本人に見破られてしまった。宮廷魔術師筆頭のロド様の正式な許可が出て、リースさんの魔力制御のリングが外れたことが大きい。先ほど執務室の近くで偶然会った時に託された小さな手紙を王子に渡す。
「イセイラ王女の気配がずっと殿下のお側にあるせいで、リースさんも殿下に上手く手紙を転送できなかったようですね。」
「…。」
王子は無言で封を開こうとする手を止めた。
「…お前はもう下がれ。」
「かしこまりました。」
殿下の声が幾分固く…緊張したように聞こえたのは気のせいだったろうか…
◇
(イセイラ王女視点)
「ご機嫌いかがですか? イセイラ王女殿下。」
「どなたかしら?」
あら…確かこの庭園には護衛がいたはずなのに…
「失礼。僕は宮廷魔術師のバテと申します。お逢いできて光栄に存じます。」
「いきなり話しかけるとは無礼ではありませんか。」
その名はよく知っている。フェストリアル大臣の子息で比類なき攻撃魔法の名手。三年前、我が国の内乱で援軍を要請した際にはお父上の代理で軍という軍も率いずに現れて…確か自身で七本の稲妻を同時に空から落としてあっという間に事態を鎮圧してしまったらしいと…
「申し訳ありません。授業の合間に窓の外を覗いたら、あなた様のあまりの美しさに目が離せなくなってしまって気が付いたらここに。」
それにしても何て耳障りの良い声…容姿も全然イメージとは違う。洗練された気品漂うヴァン殿下や先ほどの妖艶な黒髪のイーリスとはまた違う…中性的な美しさの見た目に恐ろしいほど澄んだ薄水色の瞳…
「何を…わたくしはヴァン殿下の…」
「そう…あなたは殿下の婚約者。ゆくゆくはこの国の妃になるお方だ…」
「ええ…きっとそうなるでしょう…」
何故かしら…キラキラと光る銀色の虹彩から目が離せない…
「あなたは、もっと殿下に愛されて…大切にされるべきだ…」
「ええ…私は産まれながらの王女…両親にも存分に可愛がられて育って…幼い頃から欲しいものは何でも手に入れてきたわ…」
それなのに…ヴァン殿下は私にチラリとも微笑んで下さらない。大国の王太子で麗しい容姿に優れた魔力と統率力…あんなにわたくしに相応しい完璧な王子様はいないのに…
「そう…あなたのような愛らしいお姫様には殿下のような凛々しい王子様と結ばれる未来が相応しい…」
「もちろんだわ…あな…たは…」
「私が特別な魔法を掛けて差し上げましょう…目が覚めたら殿下はあなたに釘付けだ…」
脳の奥まで響くなんて心地の良い声…心なしか、庭園のバスティラの香りはより甘く…身体は羽が生えたようにフワフワと軽い…このままずっとこの素晴らしい空間に身を委ねていたい…
いつの間にか、バスティラの庭園は銀色の霧雨に包まれた。




