フィリの初恋
「フィリさん!!」
メイドの卒業試験で、宿を設ける場所は、バテ様のお陰で、この上なく素晴らしい土地がみつかった。
「ホリー、ごめんなさい。待った?」
試験までは、あと一ヶ月…卒業したら、二度と王宮殿には戻らない。
「いいえっ! 全然!!…っ」
そっと触れた、ホリーの頬の、冷たいこと…一体どれくらい前から待っていたんだろう…
「突然、呼び出してごめんね。行きましょうか。」
「全然ですっ! フィリさんに会えるなら、僕は、いつでも大歓迎ですっ!!」
自然に腕を絡めると、ホリーは、ビクッと、身体を強ばらせたものの、はにかんだ笑顔で、一生懸命リードしてくれた。
「あれに、乗ってみたいな。」
少し遠くには、移動式の遊園地にしては、立派な七色の観覧車がみえる。
「ホリー、どうしたの?」
ホリーは、少し驚いたように振り替える。
「いえ、何だか、意外だなと思って。フィリさんでも、遊園地で遊んだりするんですね。」
「まぁ、もちろんよ。特に、子供の頃はよく行ったわ。ホリーは?」
「僕は、今でも大好きです!」
「ふふっ。やっぱりそうだと思ったわ! 早く行きましょう!!」
休日だけあって、通りは混んでいたけれど、手を繋いで歩く足取りは、自分でも驚くほど軽い。
七色の観覧車は、一番人気だったようで、20分ほど待ってから、ようやく乗れた。
「キレイね…」
「はい、晴れていてよかった! 空気が澄んで、ポーリンの山々まで、よく見えますね。」
少し薄い、ホリーの青緑の瞳が、キラキラと輝いている。
「…フィリさん、今日は、突然、どうしたんですか?」
「え?」
「いえ…いつも、お忙しそうだったので…」
メイドの一年生の時に、一度食事に誘われたのを断って以来、ホリーとは、デートはおろか、二人で会ったことすら一度もなかった。
ずっと、私が、わざと声を掛けられないような空気を、作っていたからだ…
「想い出が欲しかったの。」
「え?」
(子供っぽい笑顔と…愛情たっぷりのとびきり美味しい料理と…好きなことに情熱を傾ける、少し華奢な背中…その、真っ直ぐで純真な瞳が、好き…)
「ううん、何でもないわ。デディさんのお店にね、一緒に行って欲しかったの。三年間お世話になったのに、結局、今まで一度も行けなかったから。」
頂上に達した観覧車が、ゆっくりと下り出す。
「あぁ! あの、ホロスウィアの有名なお店ですね! 僕も、一度行ってみたかったんですっ。」
「ほんと? よかった…でも、その前に、今度はあれに乗ってみたいわ!」
「もちろんっ!!」
小さな遊園地は、ほとんど子供連ればかりだったが、気にせずに、思う存分ハシャいでいたら、両手は、射的や魔法迷路やらの景品で、いっぱいになり…終いには、周囲から称賛の拍手を送られてしまった。
「よかったですね! 子供達も喜んでくれて。」
景品のぬいぐるみや、玩具のアクセサリーは、持ち帰っても仕方がない。
「まさか、サインまで求められるとは思わなかったわ。」
庶民の憧れである、宮廷メイドの証であるメダイと、同じく、宮廷料理人のタイに気付いたからなのか…大人たちが、一斉に、子供達を使って、握手やらサインやらを求めてきたのだ。
「僕もです。ここまで有名人みたいな扱いをされると、照れますねっ。」
そう言うわりに、随分、慣れた手付きでファンサービスしてたみたいだけど…
◇
「フィリ! 来てくれたのね!」
「デディさん。なかなか来れなくてすみません、素敵なお店ですね。」
遊園地で遊びすぎて、デディさんのお店に着いたのは、夕方になってしまった。オレンジの壁に、白い音符が描かれた内装に…ピータ君のバイオリンの音色が、楽しげに店内を包む。
「ありがとう! たくさん食べていってね。フィリには、一年生の時に何十枚パイの無料券を渡したか、覚えていないくらいよ。」
「ありがとうございます。こちらはホリー君、宮廷料理人のお友だちです。」
「あっ、知ってるわよ! コウモリのお店の子よね! ウチの主人も元王宮殿の料理人なんだけど、ホリー君の味のファンの一人よ!」
「ありがとうございますっ!」
ホリーは、少し頬を赤らめて、嬉しそうに笑った。
「ごゆっくりね。」
デディさんは、会話もそこそこに、ホリーにだけウィンクを飛ばして、厨房に戻っていった。
「おいし~! これ、一度食べてみたかったの!」
店で一番人気の、ペルソナの花のシチューパイは、絶品だった。
「ええ。とっても優しい味ですね。」
ホリーは、小さくため息をついてから、躊躇いがちにパイを口まで運んだ。
「…お腹空いてないの?」
「い、いえ…胸がいっぱいで…」
少し恥ずかしそうに微笑むホリーは、おそらく、カップルで食べると必ず結ばれるという、このパイのジンクスを意識しているようだった…こういうところが可愛い…
「あの…卒業試験の準備は、どうですか?」
「…まぁ、ボチボチね。とても良い場所が見つかったの。」
「…そうですか。」
ホリーは、様子を伺うように、黙ってこちらを見ている。
「ん? 何か気になる事でも?」
口元にパイでも付いていたかしら…
「いえ、てっきり今日は、卒業試験の献立のご相談かな、と思って…」
「まぁ、違うわよ! ホリーに相談して、リジェットと被ったら嫌だし。」
「ど、どうしてそれを…」
(わざと言ってみたんだけど、やっぱり、リジェットはホリーを頼っていたのね…別にいいけど…)
「ふふ。今日は、ただホリーと一緒に過ごしたかったの。」
「あ…フィリさん…ぼ、僕――」
(次の言葉は、言わせない…)
早口で、ホリーを遮る。
「あと、甘いのも食べたいわね。リースは、アップルパイがオススメって言ってたけど…この桃と胡桃がたくさん入ってるのも、美味しそうね、ホリーはどれがいい?」
「僕は…フィリさんが食べたいもので…」
「そう? でも、ホリーの好みも知りたいなぁ。」
自然と口から溢れる言葉は、全部本音だった…ホリーのことなら、何でも知りたい。
温かく幸せな雰囲気の店内に、目の前には大好きな人…このまま時が止まればいいのに。
◇
「今日は、付き合ってくれてありがとう、ホリー。」
本当に、楽しい時間はあっという間。すっかり陽も暮れて、幻想的な街の灯かりに照らされると、まだ夢の中にいるよう…
「こちらこそ、ありがとうございました! フィリさん。あの、よかったらこの後少し…」
「ごめんなさい、これから予定があるの。」
「そうですか…あの、ぼ、僕…僕はずっとフィリさんのことが―――んっ。」
(ごめんなさい、それ以上は聞けないの…)
軽く口づけを落とすと、ホリーは真っ赤になって目を潤ませた。
「ありがとう、ホリー。」
(大好きなホリー。この、驚いて瞬く可愛い瞳…一生、忘れないわ。そして出来れば、次の瞬間の表情は見たくないな…)
「フィリさん!」
「フォルミス様。」
街灯の影から現れた、銀灰色のローブをまとう体躯のいい男に、ホリーの表情が、みるみる内に強ばっていく。
「じゃあね、ホリー!」
出来るだけ明るい声と笑顔をつくって、隣の男に腕を絡ませると、ホリーの声が発せられる前に、背を向けてそのまま元の道を歩き出す。
「おっと、大丈夫ですか? フィリさん。」
足が縺れて、少しよろけてしまった。フォルミス様が、腰に手を回して抱き止めてくれた。
「ごめんなさい。」
(ホリー、早く私のことを嫌いになってね…今、願うのはそれだけ…)