リジェットの準備
「ハロックル様!! 聞いておられますか?!」
「え?…あぁ…うん。聞いてるよ…リジェットさん。ぺテルのとこに宿を建てるんだよね。」
熱心に話しているのが、自分だけということに気付いて、リジェットかはたと顔を上げると、ロイヤルブルーの瞳はそのままに…可愛らしい女の子がぼんやりと頷いた。
「ハロックル様! もう、元のお姿に戻られてもよろしいのではないですか?」
「まぁ…変身の練習がてらね…」
「…。」
卒業試験の打ち合わせは、ハロックル様の希望で、毎回、王宮殿の外のホロスウィアの喫茶店で行っているというのに、この後に及んで、ナズナ達の目を気にしているらしい。
「仕事は、ちゃんとするよ。」
学園一の優等生とも言われたはずの、ハロックル様の力ない微笑みに、一抹の不安がよぎる…。
「これが外観です。あと、まだざっとですが、エントランスと部屋の感じも、少しデザインしてみました。」
「…うん。」
パラパラと、用紙を捲り始めたと思ったら、目線がまもなく大通りに移ってしまった。
「ちょっと! ハロックル様!!」
振り替えって、彼の視線の先を追うと、ちょうどナズナと同じ背丈の金髪の女性が、通りすぎたところだった。
「え?…あぁ…ごめん。」
「…。」
これは重症かもしれない…。ハロックル様は、確かに優秀な魔術師だけれど、万が一、本番でナズナのために手を抜かれたりしたら…私の血の滲むような三年間の努力が水の泡だ。まだ立て直す時間はある…別の魔術師を探そう…。
「ハロックル様。申し訳ありませんが、今回は、やっぱり――」
「建物の装飾は、もっと細かくても対応できるし、部屋数も3倍にしても、まだ大丈夫だよ。」
「本当ですか?!」
嘘…?! これでもかなり攻めたつもりだったんだけど…
「うん、一週間だけなら、魔力も持つ。僕も、一応、魔術師の端くれだからね。引き受けた仕事はちゃんとやるよ。選ぶ土地に宿のこの感じ…君は、あくまでも王道で勝負したいんだろう?」
―――!!
やっぱりこの人に頼もう…。
「お待たせっ。」
「ホリー君! 待ってたわ。」
遅れて、やってきたのは、宮廷料理人のホリーだ。
「あれ、今日はハロックルミちゃんだ。」
「何それ…」
「僕が名付けたんだよ。この間は、2人で女装して出掛けたんだけど、そしたら大人気になっちゃってさ~。」
「うっ、ホリー君がどうしてもって言うから…」
「またまた~! ハロックル様も、最近、一人で街に出歩くナズナちゃんが、心配だったんでしょ?」
「別に、僕はそんなんじゃ…」
せっかく、仕事モードになりかけたのに…。2人の美少女が、恋話でじゃれ合う姿は、はたから見れば、休日の浮かれた女子会のようだ。
軽く咳払いをして、わざと音を立ててテーブルに資料を置く。
「ホリー君! これが、私の考えたメニューとそのレシピ。アドバイスをお願い。」
「どれどれ…宿の内装と、食器のイメージももらえる? あと、もちろん食材の産地もね。」
笑顔は崩さないものの、ノートを渡した途端に、ピンとした空気を纏ったホリー君に、ホッとしつつ…思わず背筋を伸ばす。
「う~ん…さすがはリジェットさん。メニュー構成に関しては、僕が直すところはほぼないかな。食材と細かい味付けに関しては2、3あるけど。」
「すごいわね…! 食べたことのない料理の味も、レシピだけで分かるの?」
新しく考えた料理の味は、また別の機会に試食してもらおうかと思ったんだけど…
「ふふ…それだけが、取り柄だからね。僕の一番の能力、料理で、フィ…お客様達が、笑顔になってくれるのが、何よりの喜びなんだ。」
言っている内容は素晴らしいけど、今、確実に、フィリって言おうとしたわね…
「この後、ポースタッテ国料理のお店に行くんだけど、リジェットさんも――」
「いいえ、また今度ね。今日は、もう少し街を歩いてから帰るわ。二人ともありがとう。」
2人とも、フィリやナズナの最近の様子が知りたいんだろうけど…週末で疲れたし女子会は御免だ…。
「そう…?じゃあまた。」
女の子の顔で、残念そうにされると、こっちが悪いみたいな気持ちになってくる…が、振り切って店を出た。
「上手く…いくわよね…」
二ヶ月前には、改めてメイド見習いの3年間の復習を、全て終わらせて…それから、先輩達の卒業試験の過去のデータと、スコアの分析をして…図書館で、世界の名だたる宿の情報を集めて、時間とお金の許す限り実際に泊まり歩いた…。
「でも…まだ、何かが、足りないような気がする…」
この不安はなんだろう…。
リジェットは、人混みの大通りの美しい街灯を見上げた。吐いため息は、すぐに白くなって、凍てついた夜空に舞い上がって溶けた。
久しぶりの投稿になりました。
ここまでお付き合いいただき、本当にありがとうございます。
完結済の小説『男装の悪役令嬢とキス魔な溺愛王太子』もぜひ、読んでいただけたら嬉しいです。




