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王子様とポーリンにて (3)

「降りるぞ。」


「は、はい。」


舟が辿り着いた先の林でも、王子にはたくさんの妖精達が群がっている。長い一本の下り坂を抜けると、落ち着いた青と白色を貴重にした、美しい石畳の街が現れた。

さすがに貴族の保養地の元祖というだけあって、上品な屋敷がひっそりと周囲の木々と調和するように点在している。


「思ったより静かです。」


ホーリンの麓の街を通って来たからなのか、目の前のペテルの青い噴水広場には控えめな商店が何件かと、視界に入ってきた人数は10人もいないだろうか。


「うん。自ずと立ち入る人数が調整される…ここはそういう街だ。最もメイドの卒業試験の期間だけは何倍もの賑わいになるがな。」


「そうなんですか。」


噴水の前で立ち止まった王子が、少し高い山の斜面を指した。


「あの辺りが、毎年よくメイドが宿を建てている所だ。元々はレリアが目を付けた土地だ。視界が開けて下方にはネハル湖畔とポーリンを囲む四方の山々がよく見える。それと、レリアは気付いていなかったようだが、あそこには風に乗って山頂近くのネハの源泉のエネルギーが降り注いでいるんだ。魔力の強いお前には見えるだろう?」


「はい、何となくあそこだけオレンジ色の光る粒が見えます。貴重な情報をありがとうございます、殿下!」


ここはかなりの有力候補地かもしれない。帰ったら早速ナズナに教えてあげよう。


「うん。だがな…これからもっと凄い場所を教えてやろう。」


急に得意気になったヴァンナちゃんが、ニヤリと笑う。


「が、その前にちょっと来てくれ。」


迷路のようなトンネルを抜けた先には、繊細な金属音が響いて、工房のような作業場所から背の低い老夫婦が現れた。


「頼んでおいた物はできているか?」


「はい殿下。お待ちしておりました。」


「あ…!」


隣をみると、元の姿に戻った王子がこちらをみてまた得意そうな顔をしている。


「殿下、お姿が戻って…」


「あまり人気もないし、もう戻っても構わない。」


そう言う王子の声色が、妙に優しい気がして、何だか胸がドキドキしてきた。


「こちらです。」


ビロードの青いクッションの上には、モスグリーンの縞模様が走る、銀色の八の字に連なるリングが輝いていた。


「キレイ…」


角度によって微妙に色合いが変わる。


「いつまで眺めてるんだ。ほら…」


王子におもむろに左手をとられて薬指と中指にリングをはめられた。


「わぁ!」


(サイズもピッタリ…って…え?…何これ…プロポーズ?…あれ…今わたしファルーナ姫の姿じゃないよね…ちょ…まさかヴァン王子ってばまさかまさかわたしのこと…)


「右手をリングに翳してみてくれ。」


「え? は、はい…」


サァァァァァァ―――ッ!!


「わっ」


指輪が、螺旋を描きながら宙に伸びて、先端に二つのハートが現れたかと思ったら、それらは十字に重なり中央には空気のように透明な水晶が光った。


「これは、魔法のステッキ…ですか?」


それは、妙に左手に馴染んで不思議と懐かしい感覚さえした。


「うん。魔術師は研究生を卒業してから、何かしらの魔法道具を有するのが常だが、リースの場合はこの間、ロデンフィラムに出張をしたり、実際の現場に出る機会もあるだろうから、もう持っていても良いだろう。」


「はぁ。」


(現場って…あんな命がけの仕事はもうコリゴリなんですけど…)


「わたしからの褒美だ。」


「ほうび…あ、褒美。そうですよね。ありがとうございます…」


(そうだよね…ヴァン王子が、こんな庶民でなまけものの私を好きになるなんて、あり得ない。変な勘違いして、恥ずかしい…)


まるで、プレセントした側とされた側が逆かのように、王子は嬉しそうな笑みを浮かべている。


「ステッキを、半回転させれば元のリングに戻る。」


キィィィィィ―――ン!!


確かに指輪自体は恐れ多いほど美しいけど。


「ほら、やっぱりリースにピッタリだ。」


そう言って、もう一度リースの左手をとって、店の老夫婦にみせたヴァン王子からは、この日一番の満面の笑みが溢れた。


「では、最後の場所へ行こうか。」


いつの間にか目の前にさっきの舟がフワフワと浮いている。


「あの、お姿は…」


エスコートの手をとられながら、殿下が王子姿のままだったのに気付く。


「うん、次もこのままでも大丈夫だろう。」


「そうですか…」


夕映えの空に、黄金に照らされた雲を割って、辿り着いたのは朱金に輝く水面の上だった。


「ネハル湖ですか?」


何だか視界に入る全てがキラキラと、美しすぎてこの世の光景ではないみたい。


「うん。あそこ、見えるか?」


「あっ!」


小さな畔の一角が、深いグリーンと青…それとオレンジに、僅かに赤色も混ざって輝いてみえた。


「キレイ…」


少しの沈黙の後、王子は徐に口を開いた。


「幼い頃に偶然見つけたんだが、不思議とこの場所には、この地の源泉であるアーゼの緑、山の中腹のペテルの青、山頂のネハのオレンジに、メーデ火山の赤のエネルギーまで流れてきているみたいなんだ。」


「すごい…! ここなら…」


きっと素晴らしい空間がつくれるだろう…。この国で緑は平和、青は叡知、オレンジは創造、赤は生命の象徴…絶え間なく降り注ぐ天然の光は無償であまねく人々にエネルギーを提供してくれる。


「まだ、過去ここに宿を建てたメイドはいない。ポーリンの街からはかなり外れるが、お前の魔力を使えばその辺りはどうにでもなるだろう。」


「…。」


「…なんだ? 嬉しくないのか?」


怪訝そうな顔で、王子はリースの顔を覗き込む。


「泣いてるのか?」


「う…いえ…感動しちゃって…」


「っは…」


落ちてゆく夕陽を背に、王子の胸の辺りから顔に反射した、黄金色の水面が眩しくて…笑ったその顔がよく見えない。


「リース、私の妃にならないか?」


「え?」


(今何て…)


「私の妃になって欲しい。」


「へ?」


(キサキ?…キサキって…妃?…ん?…あれ…わたし今ファルーナ姫の姿じゃないよね…)


「ファルーナ姫とは、婚約解消になった。」


「え?!」


「まぁ、姫の身代わりを立てた時から、そうなるだろうとは思っていたんだがな。」


王子は横を向いて、微かにうつむいた。


「突然、何を…じょ、冗談ですよね?」


(私を王太子妃にと?…そんなことある訳がない…一体何の目的でこんなことを言って…)


「いいや。」


思いがけず真剣な王子の瞳に、捉えられそうになって思わず目を逸らす。


「ど、どうして急に…」


(私は貴族でもないし…ましてやヴァン王子から一ミリの好意だって感じたこともないし…)


「…。」


言い淀んだ、王子の視線が左手のリングに一瞬止まった気がした。


「…魔力ですか?」


ファルーナ姫のそれと、ルリアル様のあの行動…王子が妃になる者に、ある程度の魔力を望んでいることは予想できたけれど。でも、まさかここまでとは…


「…うん。そうだな。」


「…。」


(こんなの愛していないけれど、結婚して下さいと、言われているようなものだけど…それなのに、胸が痛みながらも、高鳴るのは何故だろう…)


「私は、国の妃になれるような人間ではありません。」


「身分のことは――」


「いえ。殿下もご存知の通り、元々の私はただの怠け者の使用人です。たまたま手にした魔力のお陰で、今は王宮にいますが、中身はまだ醜いあの頃のままです。ちょうど今朝それを思い知らされました。私は…わたしは…」


青紫の空に、次第に鮮明になっていく2つの月が、夜の色を濃くした。


「…。」


「…申し訳ありません。」


(許せなかった…エミュレー様を…あんなに…あんなに傷ついていたのにさらに追い討ちをかけるようなまねをして…)


「何があった?」


(お願いだから、優しい声を出さないで欲しい…言いたくない。エミュレー様に呪縛の魔術を使ったなんて、言える訳がない。)


「…。」


「…お前は会うたびによく泣くな。」


王子の両手から、勢いよく次々にパステルカラーのハンカチが飛び出してきた。


「こっ、こんなにいりませんっ。」


顔色一つ変えずにプロポーズしてくる王子と、こんなにも心が揺さぶられている自分と…


「そうか?」


まるで、からかわれているような表情が悔しくて、小さな舟を埋め尽くそうかというハンカチを掴んで前のめりに王子に投げつけると…


「危なっ…」


重心が崩れて、王子の胸に飛び込んでしまったと同時に、大量の水しぶきが二人にかかった。


「冷たっ…もっ、申し訳ありません!!」


慌てて身体を離すと、左腕を捕まれて…


「リース、わたしはお前のことが――」


リリーッ


「ん? 今何か鳴き声がしましたか?」


「…いや何も聞こえなかった。」


ふと、王子の視線が、一瞬左手首の、バテ君から貰った貝殻のブレスレットに移った気がした。


「あっ」


(う、嘘でしょ…また王子の胸の中に強く抱き締められて…これもきっとからかわれてるんだわ…)


「リース、私は本気だ。王妃教育は受けてもらうが、お前が魔術師としてやりたがっていた仕事も、行えるようにできる限りサポートしよう。」


「それは…さっき…」


(私には無理だと言ったのに…胸の鼓動が早くて、息が上がって、上手く言葉にできない…


「返事は急がない…が、できれば、次の宴の日までに、聞かせて欲しい。」


王子の体温に包まれながら、全身に響いたその低くて澄んだ声は、きっと恋心とは別の切実さを含んでいるのに…いつまでも王子の腕の中から動けない、リースの頬を冷やす夜風が、頼りなく軋む舟を静かに揺らした。



◇◇◇


「バテお坊っちゃま、旦那様がお呼びです。すぐにお戻り下さい。」


耳元の、アメジストのピアスから聞こえるのは、屋敷の執事の声だった。この声色は本気のやつだ。


「あ~ぁ、もうタイムリミットか。さすがは父上。思ったよりも早かったな。」


リリリッ。


「おっと、ミミィちゃん静かに。…ってもう殿下にはバレてるみたいだから、まぁいっか。」


今日は、さんざんリースに逃げられて、さすがに少し疲れたと思っていたところに現れたこの鳥は、自ら近寄って来て、フワフワの背に乗せてくれた。


「殿下も見せつけてくれるね…フハッ。」


どこから気付かれていたか分からないが、さっき目が合ってしまったから間違いない。完璧に身を隠していたつもりだったのに…


「参ったなぁ~。まさか本当に王太子殿下がライバルなんて。」


(まぁ、でもリースほどの魔力があれば欲しがるのは当然か…)


「ロド様には、まだ黙っておこうっと。」


リリリリーッ


「ん? ミミィちゃん、何? 僕と別れるのが寂しいって? 大丈夫。近々また来るから。思いがけず、殿下にステキな場所も教えてもらったしね。」


名残惜しそうに、袖を引っ張る白いクチバシに、軽くキスしてから帰還呪文を唱える。

今夜は長くなりそうだ。

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