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恋の代償(9)

「何て心が落ち着く素晴らしい庭園なのかしら。」


ラスティート邸の野原のような一見無造作な、自然に近い庭にナズナは痛く感動したようだった。


「ラスティート様、もう少し散策して来てもよろしいでしょか?」


「ええ、もちろんです。ご自由にどうぞ。」


そう言って一階のテラス席で微笑むラスティート様の顔色も、もう大分よくなった。

ルリアル様が目を覚まされない間はラスティート様もろくに食事も睡眠も取っていなかったから、点滴で栄養を送られていたルリアル様よりも、むしろ彼の方が憔悴してみえたくらいだった。


「こんな時に申し訳ありません。」


メイドの卒業試験は、フィリとロデンフィラムに出張していた関係で、二ヶ月先延しされた。

ルリアル様の看病で宮殿に出向いて打ち合わせできないので、宿の構想の参考になればと、今日はナズナにラスティート邸に来てもらった。


「わぁ、すごいわ。食べられる野草もこんなに…!」


私にはただの雑草にしか見えなかったけど…。

ともあれ幸か不幸かもう貴族のお嬢様でなくなったナズナは、出逢った当初はお伴を連れずに友人だけで外出することすら怖がっていたけれど、今では休日になると一人でどんどん外出して自由な時間を楽しんでいるようだった。

ハロックル様とのことがあってから心配していたけれど…これはこれで良かったのかもしれない。


「ラスティート様、ルリアル様のこと本当に申し訳ありませんでした。」


私がルリアル様に魔力を増大させる薬があると口を滑らせてしまったばっかりに…


「いいえ。リースさんが手紙で知らせて下さったのに、私がもう少し気を付けて差し上げていれば…」


仕事が忙しく海外の滞在も多かったラスティート様は、間接的にルリアル様のご様子の報告を受けていたようだったが、特別お変わりないとだけ聞いていたようだった。

今思うと、ルリアル様は決して周りに隙をみせるようなお方ではなかったから、きっと危ない橋を渡ろうとする時ほど普段通りに過ごされていたんだろう。

ラスティート様も同じことを考えたのかその表情からは後悔の色が強く滲んでいた。


「わたしは明日からニ週間屋敷を空けなければなりません。申し訳ありませんリースさん、どうかどうかルリアル様をよろしくお願いします。」


ラスティート様は祈るように頭を下げた。


「頭をお上げ下さい。大丈夫です、ルリアル様もお食事も普段通りに召し上がって起き上がれるようにもなられましたし、限られた者しか出入り出来ないように屋敷と庭園に結界を張りましたから。」


「なんと感謝を申し上げたらよいか…」


「いいえ。私もルリアル様とは幼い頃からずっと一緒に育って…使用人の私にもとてもお優しくして下さったお方ですから。」


本当にご無事で良かった。

ルリアル様の身に何かあれば亡き奥様にも顔向けできない。

ラスティート様は遠くの庭園を眺めて少し沈黙してから口を開いた。



「ルリアル様と出逢ったのはちょうど7年前でした。行商をしていた友人の勧めで、名のある商家で働くことになって、そこの当主にはいたく可愛がっていただきました。

その時連れていってもらったのがあのホロスウィアの裏通りのお店です。最も僕はあまり乗り気ではなかったのですが。」


「そうでしたか…。」


そういえばヴァン王子と3人で初めてルリアル様の働く店を訪れた時、あまりに女性慣れしていなさそうなラスティート様が明らかにその場所を知った風だったのがとても意外だった。


「お店の女性達は皆、今までに見たこともないような美しさで、僕のような田舎者と親しい距離感で接してくれました。ですが、それも時間が経つに連れてそれがだんだん違和感に変わっていきました。今思うとそれは僕のつまらない劣等感に過ぎなかったのですが…たまらず僕は一旦店の外に出ました。」


ラスティート様のティーカップがカチッと控えめな音を立てた。


「その時、店の裏で一人泣いていた女性がルリアル様でした。

雪でも降りだしそうな冬空の下、羽織りも持たずに可憐な白い肩を震わせて…。店内の女性とは少し…いえ明らかに雰囲気が違っていました。

泣いている姿でさえあまりに気高くて、僕とはまるで違う世界の人なんだと瞬時に気が付きました。

声を掛けることも出来ずに、ただ目線だけは外せなくて…。」


胸が痛い。私がウィンテートの屋敷で怠けている間に、ルリアル様は一人、外の世界でどれだけ辛い思いをされていたのだろう。


「その内、視線に気付いたルリアル様は逃げるように僕がさっきまでいた建物の中へ消えて行きました。

彼女が店の女性だと改めて分かって嬉しかった。また会えると…自分でも信じられないくらい浮かれていたんです。」


ラスティート様は恐らく当時のように自分に芽生えてしまった感情に戸惑ったような表情をしながらも軽く微笑んだ。


「僕は迷わず店内に戻って、すぐにでも彼女に会いたいと思いました。でも甘かった。彼女は馴染みの指名客でいっぱいで容易く会えるような女性ではなかった。僕はなけなしの貯金をはたいて、何度も何度も足を運んでようやく彼女に会えた時は涙が出るほど嬉しかった。」


庭園の暖かい風に乗って二羽の蝶がナズナの肩の辺りをヒラヒラと舞っている。


「お店のルリアル様は、初めて目にした時の姿からは想像できないほど明るい笑顔で…恐らく生来の気品は意図的に抑えているように見えました。

最後に店を出る前に、僕の手の甲にご自身の小さな手をそっと乗せて微笑んだお顔に…数多の男性を虜にしてきただろう魅惑的な笑顔に…僕は心奪われながらもひどく胸を痛めました。」


ほぼ同時にうつむいたラスティート様と私が感じたことは同じだった。


「これは本来のルリアル様ではない。出来ることなら私が彼女を元のあるべき姿へ…相応しい場所へ戻して差し上げたいと思いました。

それは他ならぬ恋心ゆえだったのですが…。

私はそれからがむしゃらに働きました。世界中の成功を治めた商家を渡り歩いて教えを乞い、僕自身も結果を残すことにとことんこだわった。そうして財産も貴族の地位も得て…彼女を迎える立派な屋敷も構えました。でもそれは私の一人よがりでした。肝心の彼女の心は私には少しもなかったのですから…。

やっとのことで私が取り付けたお見合いの話を、ご自身の姉上とすり替えたのも、後々調べさせたらどうやらルリアル様だったようです。」


「ラスティート様…。」


少し肩を竦めたラスティート様は軽く息を吐いて、姿勢を正してからこちらをまっすぐに見つめた。

光が指した細い目には揺るがない意思が宿っている。


「殿下には、私ならどのような処分でもお受けいたしますとお伝え下さい。だたルリアル様にだけはどうか…」


この温かく深みのある声…これがラスティート様のお人柄そのものだと思った。


「いえ、殿下もラスティート様には感謝していると仰っておられましたし、ルリアル様にもお咎めはないのでご安心下さい。」


詳しい事情は聞けなかったけれど、ルリアル様が薬を飲んだ原因はヴァン王子に間違いない。


それを知って逆上したラスティート様はヴァン王子を殴った…。


ラスティート様は身分剥奪や財産の没収、牢獄行きまで覚悟されているようなご様子だが王宮からは一切の沙汰はなかった。

それが逆に歯痒いのかラスティート様は何とも苦々しい表情になった。


「あの―――」


「リ~ス~!」


「バテ君。」


隣の椅子に現れたバテ君の前には、もうミントの紅茶が置かれている…最近のお気に入りらしい。


「ラスティート様、いつも申し訳ありません。」


「いいえ、講義を休んでこちらに来ていただいているのですから。それより先程何か言いかけましたか?」


「あ、いえ…こちらのことはご心配なさらずどうぞお身体に気を付けて行ってきて下さい。ルリアル様のご様子は毎日お手紙でお知らせします。」


本当はエミュレー様のことを伺おうかと思ったんだけど、バテ君もいるし…今はこれ以上ラスティート様のお心を患わせるのは辞めておこう。


「本当にありがとうございます、リースさん。ではバテ様、ごゆっくり。」


ラスティート様は身分の高いバテ君に気を遣ってか、はたまた出逢い頭に魔術で身体を拘束されたことが恐怖だったのか、バテ君が現れるといつも会話もそこそこに、恭しくお辞儀をしてすぐ席を立ってしまう。


「さっ、リース! イーリス様から講義のノートを預かってきたよっ。最初は僕が頑張ってノートを取るつもりだったんだけど、あんな授業のどこをメモしたらいいかさっぱり分からなくてね。内容は全部覚えてるから、必要なら口頭で解説してあげるっ。」


「…ありがとう、バテ君。」


バテ君は頼んでもいないのに、四年生の講義に出席してくれている。正直、イーリス様のノートとバテ君の解説があれば普通に授業に出るよりずっと勉強の効率がいい。


「あとはロド様から…今日は遠方の対象物を写しとる魔法と水の装飾魔法だよ。メイドの卒業試験のサポートにも役立つだろうって。

あ、もちろん温泉の熱湯でも応用できる内容だよ。」


「…助かるわ。」


バテ君もロド様から定期的に直接指導を受けているらしく、実践の講義をそのまま教えてくれた。

始めはラスティート邸に遊びに来るって言ってたからどうなることかと思っていたけど…今は概ね感謝の気持ちでいっぱいだ。


「まぁ、バテ様。」


「やぁ! ナズナちゃんこんにちは。それイイね!」


バテ君が自身の頭上を指差して、視線を移したナズナの頭上には薄桃色の小さな花の冠が乗っている。


「ふふっ、ガーデナーの方と一緒に作りましたの。それから奥の農場でこれも下さって。」


ナズナは大きいカゴのバスケットから、黄色い花冠を取り出してバテ君の頭に乗せる。

その後に、白い陶器のポットをテーブルの上に置いた。


「何それ?」


ペンを握ったまま鼻をヒクヒクさせると少し甘い香りがした。


「絞りたての山羊のミルクよ。紅茶と割って飲むといいって。」


すかさず側で控えていたメイドが、ポットを受け取ろうとするのをナズナは断った。


「お茶の入れ方は王宮で散々習ったわ。苦手でなければバテ様もいかがですか?」


「もちろん。」


温かな春風の庭園でお茶をしていると、時間がとてもゆっくり流れていくようだった。

花冠を乗せたままのナズナやバテ君もこの空間に心地よく身を預けているようで、穏やかで少し眠たそうな顔をしている。

ルリアル様が屋敷から出られるようになったら、きっと一番にこの庭園にお連れしたいと思った。


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