不気味なライバル (3)
翌朝、リースはカーテンのないキッチンで朝陽をもろに顔に浴びて目覚めた。
「まぶしい…でもやっぱり住み慣れたところが一番だわ。」
久しぶりにウィンティート家に戻った安心感からか昨日はぐっすり眠れた。
毎日ここから出たいとばかり願っていたけれど、結局都に行ったところであの粗末な宿の部屋がせいぜい自分のたどり着ける末路なのだと思った。
それならばここで仕えていよう。
いじわるなエミュレーはもうすぐ嫁ぐだろうし、本命のルリアル様は来月王宮で素晴らしい伴侶を見つけるに違いない。なんとしてでも侍女としてお連れいただかなくては。
昨日は床に敷布一枚で寝たため背中が少し痛かったが、希望に満ちた気持ちで朝食の準備を始める。
「おはよう」
ターネット、ルリアルの順にダイニングに現れる。
「おはようございます。エミュレー様は…。」
「まだ寝ているみたい。昨日のマッサージが効いたのかしら。」
ルリアルが笑顔でいう。
「ご苦労様だったわね。これからもお願いね。」
珍しくターネットが労いの言葉をくれた。
何だかラスティート様が現れたせいかターネットまで優しくなったような気がする。
結局、昨晩ルリアル様はマッサージを遠慮されてエミュレーだけにすることなった。ルリアル様にこそご奉仕したいのに…。しかも負担が減るかと思いきやエミュレーに当初の予定の2倍の時間させられた。
マッサージの間に寝てくれることを願ったが、ずっとラスティート様の自慢話ばかり聞かされてもうげっそりだった。
それでも上手くいかないお見合いの八つ当たりをされるよりはマシだったけれど。
ほどなくしてグリーミュが現れる。眼鏡の奥の表情は相変わらず読み取れない。
「おはようございます。」
丁寧にお辞儀するとさっと席に付いた。
「エミュレーは寝かせておいていいわ。リース、起きたら食事を出してあげてね。」
「かしこまりました。」
ターネットの言葉にリースが頷く。その時、
「これは昨日の…」
グリーミュが小さな声で呟く。
「えっ?」
リースは良く聞こえず聞き返すと
「いいえ…失礼いたしました。」
と言ったっきりグリーミュはそれ以上言葉を発っさなかった。
◇◇◇
午前中、洗濯物をしていると、今までなかった衣服がいくつかあった。どちらかというと控えめなデザインだか肌触りはとても良く、きっとラスティート様からの贈り物だろうなと思った。
プレゼント攻撃に少し怖くなるくらいだ。
その日の午前中、結局エミュレーは起きてこなかった。
昼食はターネットと起きてきたエミュレーとリースの3人でとった。
ルリアルは外出中で、グリーミュは朝と晩の2食しかとらないそうだ。
いつもはルリアル様がいないとエミュレーにいつイビられるが不安で仕方なかったが今は不思議と不安感はない。
男性に想われるということはここまで女を優しくさせるのかと思う。ラスティートさまさまだ。
◇◇◇
夕食の時間になってもルリアル様はまだ帰らなかったが、これは以前からよくあることだった。
ルリアル様は男女問わず貴族のご友人が何人もいて、ご夕食もその方達と外で済ませてしまうことが多かった。財産を失ってもルリアル様は生粋の貴族…いやお姫様と言った方が良いだろうか、どんなお召物を着ていてもそのお姿からは匂いたつような気品が溢れていた。
一見近寄り難い気高さと産まれ持った容姿の愛らしさが何ともミスマッチで、それが彼女の魅力を一層高めていた。
きっと一時的に財産を失ったからといって友人であること辞める者は少ないだろう。
夕食のテーブルにターネットとエミュレー、最後にグリーミュが遠慮がちに姿を現す。
最近の話題はほぼラスティート様のことだった。殊に今まで無口だったターネットは人が変わったようによく喋る。
「ご苦労されて今の家を一代で築いた方よ。たいして実力もないのに親の威光を傘に威張っている人達より断然良いわ。」
「王室もきっとラスティート様の財力を頼りにしているだろうし、宮廷でもそろそろ重職を得るのではないかしら。」
まるでエミュレーを洗脳しているかのよう。
エミュレーはエミュレーでニマニマしながらも最終的には
「来月の宴で運命の方と出逢うかもしれないから、それまでは結婚は決められないわ」
と言って少し顔を赤らめるのだった。
プレゼント攻撃を受けて自分がモテると勘違いしているようだが、エミュレーが求婚されるなんて奇跡2度とないだろう…リースは冷めた目でこの不毛なやり取りを眺めていた。
少し前は機嫌が悪いと、わざとスプーンを何度も床に落として拾わせたり、嫌いではないはずなのに、ラ二ャという細かいゴマのような野菜を今日は食べたくないといって一時間以上かけて取り除かせたり…かといって完璧に取り除くことなど不可能なので、この役立たず!と吐き捨ててリースの顔面にそのままスープをぶっかけるという所業をくり返すのだった。
最初の頃は部屋でメソメソ泣いていたが、不思議なもので慣れてしまうと頭だけはやけに冷静になってくる。
別に命まで取られる訳じゃない。スープで顔を火傷する訳じゃない。
エミュレーもいつかは嫁いで私の人生から消えてくれる日が来るだろうと。けれど…あれだけとっとと嫁いで出ていって欲しいと願ったがいざ輝しい未来を持つ男性との縁談がまとまりそうになると腹の底からそれを壊してやりたいという衝動が沸き起こる。
それでも自分にはそれを実行に移すほどの覚悟もないこともよく分かっている。ならば行き場のないこの憤りを1ヶ月くらい我慢してやろう。それよりもきっと素晴らしいお相手をみつけるであろうルリアル様に侍女として連れていって貰えるようお願いしておかなければ…と気持ちを切り替えたあたりで、
「リースさん、ちょっと…」
グリーミュに顔を除き込まれた。
眼鏡の奥の瞳は想像以上に細く、お世辞にも美人と言えないことが決定した。
しかし真っ黒な瞳には意志の強さのような光が宿り、ただの控えめなイメージがいくらか違うものになっていた。
ドレスの制作が順調なので明日から家事を手伝ってくれるらしい。
◇◇◇
「イタたた…」
翌朝、相変わらず固い床を背に目覚めると、既にキッチンにはグリーミュの姿があった。
「おはようございます。」
こちらをちらりとも見ずに黙々と朝食の準備をしている。何とも良い匂いがするので朝食のテーブルを覗いてみると、
「っ!!これは、どうしたの?!」
いつもはスープとパンに、せいぜい市場に行った日に野菜を添える程度だったのに、今日はそればかりか肉料理や新鮮そうな果物まで並んでいる。
「まさかこれもラスティート様?!」
「…いいえ、ターネット様のお許しを得て市場に行って参りました。」
「で、でもこの家の何処にそんなお金が…」
「いただいたお金はリースさんがいつも預かっている金額と変わりません。」
「で、でもそれじゃあこんな、こんな豪華な食事なんて…」
「あ~、いい匂いがしたから今日は早くから目が覚めてしまったわ。」
エミュレーが一番に現れる。
「まぁこんな食卓何年ぶりかしらね」
ターネットがため息を付いている。
「うわぁ! たっぷりのサラダが嬉しいわ。」
ルリアルは目を輝かせている。
一体どうしたことだろう…。
いつもの金額ではこんな食材そろうはずがない。訝しげな顔をしているリース余所に、ターネットを中心とした軽い祈りの後、三姉妹は当たり前のように朝食をとりはじめる。
少し遅れてグリーミュも食べ始めるが、リースとグリーミュの分は三姉妹と比べてると質素な内容だった。それでもサラダや果物があるだけいつもより大分ましだったが。
目の前でもくもくと朝食をとるグリーミュは相変わらず分厚い眼鏡のせいで表情が全く読み取れない。まさか買ってきた食材をこれで全部使いきってしまったんじゃあないか。でもそんな浅はかには見えないし…。なぜ三姉妹は何も言わないんだろう。相変わらず楽しそうに来月の宴の話などしている。何だか気味が悪い娘だわ…ちらりとグリーミュを覗きみる。
「お昼はパスタ用のソースを作っておきましたのでよろしくお願いします。」
「なっ…」
グリーミュは呆然とするリースを気にも留めない様子で朝食を食べ終えるとさっさと裁縫部屋へ消えてしまった。
◇◇◇
「あれ?!」
大量の洗い物をするためにキッチンに戻ると、リースがずっと継ぎ足して使用していた大きなスープ用の鍋が消えてることに気付く。
「まっ、まさかあの娘が捨てたんじゃあ…」
嫌な予感が走る。
あの鍋のスープはほぼ毎日具材を変えながら食卓に出していた。料理を怠けていると言われればそうとも言えるが、貧乏なウィンティート家にとっては安く済んでお腹も膨らむので欠かせないものだったのに…。
断りもなく捨てるなんてひどい。リースはエミュレーにいじめられた時とはまた別の怒りがふつふつと沸いてくるのを感じた。と同時にターネットに当分近づかないように言われていた裁縫室へ自然と足が向かった。