恋の代償 (2)
「随分と日焼けしているな…」
大きめの黒檀の机には一本の銀色の羽ペン…書類は引き出しに仕舞われているのかもしれない。ヴァン王子の執務室はいつかのメイド長室のようにほとんど物がなかった。
「はぁ…これは海のお祭りで…」
人払いをされた部屋は一対一の空間で何だか尋問を受けているようで逃げ出したくなった。
「そうか…ご苦労だった。」
一人だけバカンス帰りのようで呆れられるかと思ったら王子の声は思いの外柔らかかった。
「ではそれを戻してもらおうか。」
左胸の辺りを指さされるとポケットにしまってあったシーオンのバッチが宙に浮いて王子の手元に戻る。
「あ、それ…ありがとうございました。」
そのバッチのお陰で大分魔力の消耗が抑えられた…たまに勝手に光出す時もあったのが不思議だったが…
「礼を言うのはこちらだ。2ヶ月半も本当によくやってくれた。」
な…何だか怖いくらい優しいわ…
「リースが望む褒美はあるか?」
「え?」
褒美?…何だろう…欲しいもの…一生遊んで暮らせるお金…イーリス様のような素敵な恋人…それはいくら何でも無理か…いやでも条件の良い縁談だったら頼めるかも…そうだなぁ…あとは…将来やりたい城門の装飾の仕事の確約…。どれも望むものだけど…何かしら…今、目の前のヴァン王子の緊張が和らいだ親しみさえ感じる微笑みを見ているだけで何故だか胸の奥が満たされていくように温かい。
「あの…実際に書を取り返してくれたのはファルーナ姫様で…お怪我までなされて…」
最後にみた…儚げな見た目からは想像もつかないようなファルーナ姫様の優しくも力強い笑顔が脳裏に浮かぶ。
「あぁ…詳しくはイーリスから聞いている。」
王子は眉を潜めて下を向いた。
「今、外交のロゼットと息子のハロックルを至急ロデンフィラムへ向かわせている。」
「ロゼット大臣とハロックル様を…」
こんなに早急に…でも大臣はともかく何故ハロックル様まで…。
「ロゼットの妻はロデンフィラムの大臣の娘でね…本人も彼の国との友好関係には特別な想い入れを持って長年力を尽くしてくれた。今回は少々危険を伴うが…ラミドール王も公にはされていない『禁忌の書』については話題にも出せないはずだ。あとハロックルは研究生ながらも光の医術魔法に関しては既にエキスパートだからな。」
王子は視線を自分の膝に落としたまま軽くため息をついて組んだ両手を祈るように強く握った。
「あの…ファルーナ姫様は――」
ギギギィィィィィ――――
その時、まるで断末魔のようなうめき声を上げて開いた扉の向こうには可憐な微笑みを浮かべる一人の乙女が立っていた。
「殿下…」
「ルリアル様っ?!」
王宮殿でも一部の者しか入れないヘリオルス城に…しかも王太子の執務室に外部からどうやって入ってー?!
驚いて立ち上がるヴァン王子にフラフラと歩み寄るルリアル様は随分お痩せになったようで…よく見ると完璧にお化粧はしているものの…その可愛らしいお顔からはほとんど血色が感じられなかった。
「殿下…私の魔力を試していただけますか…」
掠れた声に何故だか急に胸が締め付けられるように痛む…
「ルリアル嬢…」
王子が苦しげにルリアル様を見つめ返す…
「ル…ルリアル様…」
ルリアル様の夢見るような視線はヴァン王子から全く動かない…もしかしたら私の存在は見えていないのかもしれない…
「さぁ…いつかのように…お願い―」
ルリアル様がヴァン王子の両腕を掴んで自身の細く白い首の上に沿わせせる…
「さぁ…早く…」
「ルリア…」
ガターンッ――――――!!
「きゃぁぁぁっ、ルリアル様っ!!」
王子の口がその名前を呼び終える前にルリアル様がその場に倒れた。
「っこれは…殿下!!」
床にはピンクのダイヤモンドのような粒が入った小瓶が転がる…
「…っ」
王子はルリアル様を横向けに軽く抱き起こして口の辺りに手を翳して呪文を唱えた。
「うっ…あぁぁぁっ」
ルリアル様はピンクの小さなカケラを吐き出したものの尚も苦しそうに咳き込む。
「はっ、早く医務室へ!!」
「…いや、ラスティートにところへ行く」
額に汗を滲ませた王子はそう言ったのと同時にルリアル様を抱き上げて一瞬の風の中に消えた。