隣国のお姫さま (13)
「はい! じゃあリース、私に続いて…『この素晴らしき日に』」
『この素晴らしき日に』
『豊かな恵みを我々に与えたもうエトーナ海の神々の…』
『豊かな恵みを我々に与えたもうエトーナ海の神々の…』
『無償の愛に祈りを以て感謝を捧げ…』
『武将の愛に祈りを以て…』
「ダメダメ!! 発音が全然違う!
ここ重要なところだから…はい、もう一度…」
「あんまり喋らなくていいって言ったじゃないっ! フィリの嘘つき!」
ロデンフィラムの王宮を離れると魔力の消耗も激しくなり必然的にイライラしてくる…。
『無償の愛に祈りを以て感謝を捧げ豊漁祈年祭の開催をここに宣言いたします。』
「そう! やればできるじゃない! って…あれっ? 分身の術っ?!」
「は?」
フィリの黒目が左右に振れる。
「ほほっ、お久しゅう…フィリ。」
「ファルーナ姫様?!」
「ぎぇっ!!まさか…」
すぐ横には服装まで全く同じドレス姿のファルーナ姫が座っていた。
「そなた達にも迷惑を掛けてすまなかったわ。」
ファルーナ姫は申し訳なさそうに肩を竦めた。
「姫様…」
フィリの隣にはいつの間にかロデンフィラムの侍女が一人座っている。
「それにしても馬車の中とは好都合でした。殿下もここまで正確な場所に送り届けて下さるとは…あぁ…それのお陰ですね…」
「あ…」
左胸の内ポケットに潜ませたシーオンのバッジがほのかに白く光っている。
「あ、あの…」
「はじめまして、リース…。全く見事な変身ですこと…でももう戻ってよくってよ。」
フィリの方をチラリと見ると表情は固いままだがしっかりとした瞳を向けて頷いた。
ボワンっ
背中に羽が生えたように身体が軽い。
シュッ!!
ファルーナ姫が口笛を吹くような息で空気を振動させるとリースのドレスは一瞬でロデンフィラムのメイド服へと変わった。
「わぁっ」
すごい早業…これがこの国の魔法の掛け方かしら…
「早速ですが今晩『禁忌の書』をあなた方にお渡しします。ただしお父様には知らせずに…」
「え?!」
…この展開は一体…信じていいものだろうか…ファルーナ姫はあくまでもロデンフィラムの人間だ…
「これがヴァン殿下の書簡です。」
青白く光るそれには確かにファルーナ姫に従うようにという指示と王子直筆のサインが見て取れる。
「これからこれを留学生のお二人にも転送します。」
ファルーナ姫が人指し指と親指を立てて空を切ると書簡が小さな竜巻と共に消える。
「わゎっ!」
可愛いお顔ですごい魔力…。
「到着したようだわ。」
僅かな潮の香りが漂ってきたかと思ったら馬車がゆっくりと停車した。
「ふふ、大切な行事だから出席できて嬉しいわ。リースとフィリもぜひお祭りを楽しんでいってね。」
2ヶ月前に怯えて王宮から逃亡したとは思えない程生き生きとした表情のファルーナ姫様は雲一つない青空の下、優雅に馬車を降りて圧倒的な人々の歓声の中へと消えていった。
◇◇◇
「フィリ! 波っ! これが波だわ…あっ、みてみて! ピンクの魚がいるっ!」
陸続きのアルシェンバーユに海岸線は少なくしかも一年を通じてほぼ凍っているため、もう一生見ることもないだろうと思っていた海の美しさに感動もひとしおだ…
「よく楽しんでいられるわね…」
フィリは今晩のことで頭がいっぱいのようで立ち並んだ芳しい香りの露店には見向きもせずに誘っても海にすら入ろうしない。
「もう自分で変身しなくてもいいのが嬉しくって仕方ないわ。」
もちろん不安はあるけれど…何かしら…ずっとお城に閉じ込もって緊張していた分、今の水平線の元での解放感ったらない。ちなみに今はファルーナ姫の魔法によってロデンフィラムの侍女の一人に姿形を変えてもらっている。
「ねぇ、あっちに貝殻のアクセサリーが売ってるから見に行かない?」
裸足に真っ白な砂を膝下の辺りまで纏って、歓迎の赤と黄色のハイビスカスを頭に咲かせたリースがパイナップルジュースとたこ焼きを持ってフィリの元へ走る。
「…私はここで休むから一人で行ってきて。」
そういうフィリも大きな紺色の天涯の下でサングラスを掛けつつ月桃とローズマリーの香油でフットマッサージを受けていた。
「つまんないの…」
お祭りのムードの中で単独行動だと自然とテンションも押さえ気味になり思う存分ハシャぐ勇気が出ない。
「わぁ…!」
素朴なアクセサリーを想像していたら並んでいたのはそればかりでなく精緻な細工の宝飾品まである。
「ロデンフィラムで頑張った記念に一つ買っていこうかな…」
ファルーナ姫はあぁ言ったものの、今晩にはこの身もどうなるか分からない…思い残すことがないようにと思うと自然と財布の紐も緩む。
「メイド様…失礼ですが一桁違います。」
「えっ?!」
ほ、本当だ…予想外の値段に手に取ったの薄い水色のグラデーションが掛かる貝殻のブレスレットを慌てて戻そうとすると…背後から長い影が近付いてリースの視界を一段階暗くした。
「これを。」
貝殻と同じ薄水色の髪と瞳を持った青年は店主に銀貨を渡すとリースを見てふわりと上品に微笑んだ。
「…まさか…殿下ですか?」
「…殿下?」
王子様のような爽やな笑顔から一変して子供のようにきょとんとした表情をしたのでヴァン王子ではなかったのだとすぐ悟った…よく考えれば一国の王子がいきなり国境を越えてこんなところに現れる訳がないではないか…リースは急に決まりが悪くなって誤魔化すようにヘラヘラと笑った…
「…ロド様から伝言です。国に戻ったら33番教室に来て下さい。」
何て美しく澄んだ声…どことなく中性的に見えるのは彼がまだ少し幼いせいなのだろうか…左の瞳に混ざったダイヤのように透き通った銀色の虹彩がキラリと光った。
「ロド様が…」
男はブレスレットに紫色の粉を吹き掛けるとリースの左手首に結んだ。
「あ、あのっ…」
「それと…あなたならきっと無事に戻ってこれるから大丈夫だと…僕もそう思います。」
そう言いながらシーオンのバッジが仕舞ってある左胸の内ポケットの辺りに興味深そうな視線を向けた後にフッと笑う。
「またいずれ…」
お祭りムードには場違いな何とも涼しげな笑みを浮かべて美青年は一瞬の蜃気楼の中に消えた。




