隣国のお姫さま (8)
「はい、白桃とラズベリーの紅茶よ。姫はこれがお好きだったの。」
飲み物までお姫様みたい…。
リースは15分の休憩中に巨大なマシュマロクッションに身を沈めてバスティラの花びらが浮かぶ甘い香りの紅茶に手を伸ばす。
「ファルーナ姫の姿で大股広げないでよ。」
振り返ったフィリが思わず吹き出す。
「ナズナは大丈夫かな…。」
昨日のナズナの大粒の涙と…厳格そうな父親の怒り狂った顔が頭をよぎる。
「ええ…今はさすがに牢にいるみたいだけど…。」
フィリはため息をついた。
「まさかこんなことになるなんて…」
フィリは窓際に立って小雨のアベリアの庭園を眺めた。
「ファルーナ姫様は…出逢った頃のナズナに雰囲気がよく似ていたから良い話し相手になんるんじゃないかと思って…」
「フィリ…」
湿った雨の匂いが重苦しい空気の室内に流れる。
「はじめましょう。」
颯爽としたヒールの音と共にあらわれたレリア様はロデンフィラム語でそう言って各国の大量の歴史書を机の上に置いた。
「うぇっ…は、はい…。」
それからあっという間に二日間は過ぎ…婚約の儀の当日になってもファルーナ姫は見つからなかった。
◇◇◇
宴が行われた大広間と長い回廊で繋がった白い祭壇のある鋭いドーム状の青白い天井が美しい儀式の間は、通常は神官が毎日の祈りと国の祭事を行うために使用する部屋で通常の立ち入りは禁止されていた。
銅鑼と水琴の音色が響いてゆっくりと開く銀色の扉に黄金のルルイの弦が走って青紫の光を放った時、輝くオレンジ色の芳香が辺りを包んだのを合図に婚約の儀ははじまった。
ヴァン王子の衣装は濃紺のグラデーションに銀の刺繍が施されいてその白銀の髪がいつもより美しく映えて見えた。
自分でいうのも何だがファルーナ姫も白地にピンクオレンジの煌めくベールが掛かった衣装がふんわりとした容姿の彼女にピッタリで…大変カワイイ。姫のためにデザインされた透明感のある水色のサファイヤを中央に配した丸みを帯びたティアラもよく似合っている。
会場にはロデンフィラムのラミドール王と姫と同じ髪色のイハンナ王妃…仏頂面のセレーネ王妃と両国の一部の近臣達が数人参列していた。婚約の儀自体は少人数の厳かな雰囲気の中で行われるが…それが返って緊張感を煽る。
『おい。』
しまった…誓約書の記入欄に「リース」と記してしまった。ヴァン王子が私にだけ聞こえるように囁くのと同時に紙が破り消えて何事もなかったかのように新しい紙が現れる。
『リース…。』
今度はどうやらファルーナ姫のスペルが違ったらしい…。
あ、あれ…どう書くんだっけ…二日間で色々詰め込まれ過ぎたせいで頭がパニックに陥っていた。
『F・A・R・R…』
脳内にヴァン王子の声が響いてその通りに書き記す…神官が婚約の誓約書を手に祝詞を唱えるとシルバーホワイトの用紙は金粉を纏いながら宙を舞って祭壇の中央に消える…と、同時に会場からは拍手が沸き起こった。
ヴァン王子につられるように懸命に笑顔を振り撒いてそのまま大広間に移動すると会場には名だたる貴族や役人、高位の魔術師までが集まっていた…リハーサルとは違い圧倒的な人数と歓声の迫力に中央の壇上に上がる足がすくむ。
「大丈夫、私が側にいる。」
王子の右腕に組んでいた左手を反対の手で優しく撫でられながら向けられた甘い微笑みに余計心拍数が早くなる…。そのまま腰に手を回して鮮やかなリードで姫を壇上にエスコートする王子に会場のご婦人方からはため息が漏れた。
(なんて態度の変わりにようなの…普段はあんなに無愛想で命令口調のくせに…。)
やっとの思いで席に着くと随分と会場の人との距離が遠く感じられた。
給仕をしているだろうフィリやリジェットがいないか目を凝らしても全く姿は見当たらない。婚約の儀の後の宴は夜の12:00までで明日の昼にはこの国を経たなければいけない。急に心細くなってきたが…次々に挨拶に訪れる来賓にそんなことを感じる暇もすぐになくなった。
無事に婚約の儀とその後の祝宴を終えてマシュマロ部屋に戻ったのは深夜の2:00だった。これも練習とレリア様とフィリに夜着に着替えさせられてから髪をすかれつつバスティラの足湯でマッサージを受けた。
最後の方で眠気に襲われた時にヴァン王子に踏まれた足の甲が少し赤くなっている。
「あの…レリア様…」
フィリが恐る恐る口を開いた…姫がいなくなった時すぐに報告しなかった侍女達とレリア様の間には、まだ少なからず張り詰めた空気が残っていた。
「何かしら?」
レリア様はリースの固まった足首を的確にほぐす手を休めずに返事をした。
レリア様ほどのお方を使用人として扱わなければならないのは相当な勇気と演技力がいる。
「三年前の宴は…やはり…」
フィリの髪をすく手が一瞬止まる。
「…そうよ。あの宴はファルーナ姫のご成人に合わせて開かれた。」
「え?!」
リースが思わず身を乗り出す。
「けれど…各国がこぞって出席する中…何かと理由をつけてラミドール王はファルーナ姫の出席を拒んだ。」
レリア様はため息をつく。
「余談だけど宴の後すぐにでも伴侶をと望まれたセレーネ王妃様を押さえるのは大変だったわ…。」
「ではなぜ今?」
再びフィリの手が動き出す。
「外交のロゼット大臣がかなりご尽力なされたということも大きいけれど…実際のところはよく分からないわ…。」
レリア様は話しながらも王子に踏まれた足の甲に薬を塗ってくれている。
「リース、フィリ。」
レリア様は立ち上がる。
「殿下はああおっしゃたけど危険を感じたら魔力が残っている内にすぐに戻ってきなさい。ナズナのことは私に任せて。心配しなくていいわ。」
一見感情を感じさせない澄んだ声に…少し細めた真剣な瞳からは確かに深い優しさが読み取れた。
部屋を後にする時の凛とした佇まいの美しさ…はじめてグリーミュやリジェットの気持ちが少しだけ分かったような気がした。




