隣国のお姫さま (5)
「大丈夫ですか?」
今までの人生の中でこんなにも一時間が遅く過ぎたことはない。
「ええ…まだ少し目眩が…」
できるだけ具合の悪い作戦でいくようにフィリから指示を受けている。
王子の手を取りステップを降りると目の前には四方を山で囲まれたポーリンの街と、それを眼下に臨む白亜の城が現れた…。
「うわぁ」
想像よりも遥かに大きな街…城の背後の一番遠くの山からは勢いよく噴煙が上がっている。
「驚かれましたか?」
「ええ…すごい迫力で…」
「メーデ山は活火山ですがここは心配は入りませんよ。」
馬車を降りて一歩ポーリンの土を踏むと具合が悪いどころか力がみなぎってくる気さえする…。周囲の木々の緑は濃く、赤くクルクルと光る玉は…火山の妖精なんているんだろうか…。
「失礼」
「へっ?」
ちょっとフラつく演技をしてみた直後、フワリと宙に浮いたかと思うと王子はそのまま城へと歩き出した…これぞ憧れのお姫様抱っこだわ…本当にお姫様になったみたい…なってるんだけど…ってバカ…気を抜いたら終わりよ…侍女みんなの人生がわたしに架かってるんだから…。
入り口の扉の向こうには多くの使用人達が恭しくお辞儀している…もうちょっと少ないかと思ってたのに…。
「無理をさせて申し訳ありません。」
ソファーベットに横たえながら今までに聞いたことのないような優しい声色でそう言うと王子は部屋を後にした。
「アイーラさん…殿下はもう行った?」
「ええ…大丈夫です。それと『さん』は止めて下さい。」
ボワンッ…たまらず元の姿に戻る。
「あっ、お待ちください! 今カーテンを閉めますから…あと元の姿に戻るときはベットで布団を被ってからにして下さい!」
「すみません。」
そうだった…念のため姫に用意されていたものと同じ寝巻き姿でベットに横たわる。
「魔力はともかく精神的にキツいです。ずっと緊張しっぱなしで…。」
フカフカのベットに横たわりながらやっと生きた心地がする。
「ええ…なるべくお部屋で休んでいられるように取り計らってみますから…明日のポーリンの街への訪問はキャンセルしていただくとして…明後日ここから一キロほど先のネハの源泉の湯に浸かるのはさすがに避けられないかと…。」
「源泉に浸かる? どうして?」
むしろポーリンの街の方へ遊びに行ってみたかった…。
「婚約の儀の前に身を清めるのがしきたりなんです。」
「き、清め…」
「大丈夫…男女は別々の場所ですから。」
そ、そういう問題じゃあ…というか明後日まで見つからなかったら…どこまで魔力が持つか…。
◇◇◇
「お食事です。」
「ありがとう…。」
今日は一日具合が悪い作戦決行中のためアイーラさんが部屋に夕食を持って来てくれた。念のためゆったりしたドレスを着たファルーナ姫の姿で食べ始める。
「使用人の数が明らかに減っておりました。恐らく姫の侍女が私だけだったので殿下も気を使われて最小限にしたのでしょう…まさにこちらには好都合…フィリさんの読み通りです。」
そう言うアイーラさんの目は据わっている。
これまたフィリの予想通り、ちょうど食事が終わった頃にヴァン王子が現れた。
「あぁそのままで…具合はいかがですか?」
起き上がろうとするのを遮って王子はベットの隣の椅子に座った。
「ええ…まだあまり良くなくて…」
うわぁぁぁ~心配そうなお顔が近い近い…!
「では明日のポーリンの街への訪問は取り止めましょう…」
ちょっと噂のポーリン名物の温泉まんじゅうが食べてみたかったな…チラッと壁際に立つアイーラさんを見ると何度も頷いていた。
「申し訳ありません。」
都よりかなり標高の高いポーリンのヒンヤリとした夜風がカーテンを揺らす。椅子に掛かったガウンをフワリと羽織らせると王子は姫を安心させるように優しく微笑んだ。
◇◇◇
「フィリ…早く…」
結局入れ替わるのに一番都合のよい夜間にフィリからの連絡は一切来なかった。昨晩は極度の緊張と疲れのせいかずっと胸がドキドキして朝方まで眠れなかった。
「このまま体調不良でいつまで通せるかしら…。」
今朝訪問した医師にも異常はないと言われてしまったし…昼食を運ぶアイーラさんの瞳にも多少焦りが見て取れた…相手は一国のお姫様なのだ。
「食欲もあるようで良かったです。」
「う…」
しまった…ついわざと残すのを忘れて完食してしまった。
「よかったら少しだけ庭園を歩きませんか? 今日は天気も良く比較的暖かいですから。」
チラッとアイーラさんを見ると激しく首を横に振っている。
「も、申し訳ありません。まだ気分が優れなくて…。」
この時はじめて王子が一瞬訝しげな表情をしたので、部屋を去った後にアイーラさんと相談して顔色が悪くみえるメイクを施してもらった。
◇◇◇
「アイタタタタ…」
いくら怠け者でも一日中ベッドで布団にくるまっているのも楽じゃあない…。朝寝して昼寝して…夜はさすがにあまり眠くなかった。それでも無理矢理目を瞑ったが一向に眠れず…時計を見ると深夜の2:00を少し回ったところだった。
「少し身体を動かそうかな…」
深夜だし使用人も最小限だから大丈夫だろう…椅子に座ったまま眠るアイーラさんに毛布を掛けてから、はじめて自室の扉を開いた。
薄暗い長い廊下の先は何も見えない。
波のようにうねる手すりは所々青白い光を湛えて消えているはずのシャンデリアからは音もなくぼんやりとした白い光の輪が時々振り降りてきた。
恐る恐る歩くと…使用人部屋だろうか…等間隔に並ぶ開け放たれたドアを覗きながら歩を進めると使われていない白いベットが次々に浮かび上がってみえた。
「何だか気味が悪いわ…」
しばらく歩くと階下へと続く螺旋状の石段があらわれる。
「階段を少し登り降りしてから帰ろう。」
わずかな好奇心も手伝ってリースは静かに階段を降り出す。10分くらい進んでも別のフロアに一向に辿り着かないので引き返そうと向きを代えた瞬間―――
ギィィィー…遠くで扉の開く音がした。
「ん?」
ふと振り替えると氷のような鉄の扉が開いたのは目の前だった…。
ごくりと唾をひと呑みしてから一歩部屋の中へ踏み入れると…中央には黒雲で覆われ濁った雨粒が降り注ぐ不思議な天涯の大きなベッドが置いてある…恐る恐る近付くと…
身分が高そうな中年の男性が眠っている。
「これは…」
魔法で小さなあかりを灯すと…手入れは行き届いているが何年も使用されていないような豪華な調度品にはシーオンの紋章が掘られていて…奥に掛かった肖像画には…セレーネ王妃とまだ幼い頃のヴァンテリオス王太子殿下…そして――
――――――――!!
目の前で眠っている男性は年を重ねてはいるものの確かに肖像画の面影を残していた…
「…国王…陛下…」
ガタンッ
一歩後ずさると側に活けられたブルーマロウの花瓶が音を立てて傾いた。
「いけない!」
慌てて魔法で花瓶を元に戻すと逃げるようにリースは部屋を飛び出した。




