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隣国のお姫さま (2)

「ごめんなさいねぇ~、ルリアルちゃぁん。」


全体的にフワフワした素材で出来た透明なパステルカラーのセレーネ王妃のプライベート離宮はとても居心地が良かった。


「我が息子ながら何を考えているかサッパリ分からなくって…いつからだったか魔法書ばっかり読み漁って…女性にはまったく興味がないと思っていたのに…今回の婚約もたいした相談もなく一人で決めてしまったようなものよ…」


深いため息を付く王妃様の鼻筋と頬の辺りはヴァン王子様のそれとそっくりだった。


「いえ…とんでもございません大変おめでたいことで…」


「わたくしはルリアルちゃんにお嫁に来て欲しかったのよぉ。でもまだ諦めていなっくてよ。ここは悪役になってファルーナ姫をたんといじめてあげるわっ!」


「王妃様…それは…」


裏表なく本当の家族のように接して下さる王妃には心から感謝している…この母親からヴァン王子のようなクールな息子が産まれたのが不思議で仕方なかった。夜の店でそれなりに色々な男性をみてきたが王妃様と同じく殿下のお心はわたしにも全く読めない。


「あっ、来た来た!」


小さな庭園を抜けて入り口に向かうヴァン王子に2階のバルコニーから王妃様は手を振った。


「いつも母の相手をしていただいて感謝します。」


久しぶりにお会いできた喜びと同時に胸がチクリと痛む。


「うふふ…わたくしは王宮に戻りますので後はお二人で…」


数人の侍女を残して二人きりにする…これはいつものパターンだったが…まだ本当に王妃様は諦めていないようだ…。


「この度はおめでとうございます。」


「ありがとう。」


わたしの気持ちを知りながら柔らかに微笑むこの男はなんて残酷なんだろう…正式に婚約してしまえばこうして二人で会うことなど許されない。これが最後になるかもしれないと思うと…傷付くと分かっているのに感情が暴走しそうになる。


「リースが2年生に編入できることになったと手紙をもらいました。」


「そうですか…魔術師筆頭の者が指導しているようですからね。他には何か?」


「ええ…何でもかつての同級生の一人がお祝いをしてくれるそうで今からとても楽しみで仕方がないとか…。」


「ほぅ…名前は確かイーリス君だったかな…」


「よくご存じで…その通りです。」


「…いつの間に」


「え?」


「いや…」


社交界を長く離れていた私に王子は色々な情報を教えてくれた。それと同じくらいウィンティートの家から王宮殿に上がったリースのことは二人の共通の話題としてよく上がった。


「殿下…殿下がパートナーに求められた条件は何ですか?」


まっすぐに見つめるとヴァン王子は少し驚いたように目を見開いた。


「…一つは魔力の強さです。王妃は一番身近な存在になりますしわたしが不在の時には政務を執り行うこともある。表向きは禁止されていますが人心を操る魔力が依然としてこの世界には存在しますから…少なくとも自分の身は自分で守れないようでは困ります。」


そうだったのか…二年前の宴ではヴァン王子が魔法に並々ならぬご興味を抱いているという情報を得て急いでグリーミュを雇ってドレスに魔法を掛けさせた。

リースには悪いと思ったが当時は将来を考えても使用人としてのグリーミュの存在は絶対に外せなかった…。


「ファルーナ姫はそれをお持ちだっったということですね…」


「ええ。隣国の姫君の中では群を抜いています。」


冷たい風が吹いて鮮やかに色付いた紅い葉の一枚が青磁のカップに落ちる。


「殿下…わたしの魔力を試してみて頂けませんか?」


「ルリアル嬢…」


王子は眉を潜めて少し身を乗り出した。


「お願いします。」


何でこんなバカなこと言っているんだろう…理知的な王子はきっと呆れている…涙が出そうだ…。


「…わかりました。」


しばらくの沈黙の後、王子は何かを圧し殺したように小さく呟いた。


◇◇◇


「リースさん、次はどこに行きましょうか?」


こんな夢のようなことがあっていいのだろうか…ロマンチックな劇を観て気分が盛り上がった後は…


「それじゃあ…デディさんのパイのお店に行ってもいいですか?」


「もちろんです。」


幸せ…。


「やはりロド様の指導力はすごいですね。私では力及ばず申し訳ありませんでした…」


注文を待つ間にイーリス様が頭を下げた。


「とんでもないです! イーリス様が去年教えて下さったお陰で筆記は何とか乗り越えられたんですから…あっ、貸していただいたノートもお返ししなければいけませんね。」


アン先生が二週間前に突然実施したテストが進級試験だったなんて…今思うとあのノートがなければ本当に危うかった。


「もしよろしかったらそのまま差し上げますよ。」


イーリス様は微笑みながら紅茶をすする…幸せ…。


「お待たせしました。」


やるじゃない…という表情のデディさんが持ってきてくれたのはアップルパイだった…一昨年にヴァンナちゃんことヴァン王子と来た時に頼んだものが予想外においしくてたまに一人でも食べに来ていたのだ。


「これは…この間殿下も…」


「え?」


「いえ…」


イーリス様は今殿下と言っただろうか…。


「そういえば殿下のご婚約は突然でしたね。」


「…ええ。」


「てっきりメイドのみんなも王太子妃はレリア様だと思っていましたからビックリです。」


「…そうでしょうね。」


「え?」


「いえ…」


何だかまた微妙に胸がモヤモヤして…王子のことなんて別に今話題にしなくてもよかったのに…。


「そ、そうだ! 今日は私に全てごちそうさせて下さい! 地下迷路から助けていただいたのにちゃんとしたお礼もまだで…」


イーリス様は少し驚いた表情をした後に、目線を左下に逸らした。


「殿下ですよ…。」


「へ?」


「殿下がその美しいコートをシーオンに命じて届けさせ…いえ…地下迷路の入り口から投げ入れたんです。」


「!!」


まさか…あの時暗闇で突然現れたコートは王子が…。


「きっとリースさんにとって大切なものだったんですね。」


「…はい。」


イーリス様はそれからロド様の補修の内容について詳しく知りたがったので、もしかしたら将来は魔術の指導者になりたいのかもしれないと思った…。甘いものは少し苦手だったようで、ホールのアップルパイは3分の1くらい残ってしまった。


◇◇◇


「ルリアル様、お加減はいかがですか?」


心配した侍女が水差しを持って来てくれた。ソファに仰向けになったまま目尻から流れる涙が少し乾きはじめた頃だった。

命を落とすかと思った…ヴァン王子の唇と指が微かに動いたかと思ったら透明な何かで首を締め上げられて身体ごと宙に浮いて…息が止まった…あの時の王子の瞳の黄金に輝くの虹彩の美しさ…。

このくらいの呪縛を自分で解けないようでは話にならない…王子はそういった内容のことをいいながら咳き込んで床に倒れた私をソファーに運んだ。

『申し訳ありません。』と囁かれた言葉を残して去った王子の背中を追いかけたとて彼を繋ぎとめる要素を何も持たない自分のこの身が恨めしい。


◇◇◇


「あれ…」


夕闇の中、ピンクのアベリアの庭園をヴァン王子が歩いている…今まで外にいるところなんてほとんど見たことがないけれど…頭と肩には白いコスモスの妖精がたくさん乗っかっている。


「珍しいな…。」


それはこちらのセリフですよ…と思いながらも礼をとってお辞儀する。確かにこのところ授業や補修やらであまり外に出ていなかった。歩きながらフワフワといくつかの白い光がこちらに移る。


「そうだ…殿下…あの…地下迷路に落ちた時は助けていただいたようでありがとうございました。」


「今さらだな…」


王子は少し疲れた様子であまり機嫌が良くないようだった。


「…デートは楽しかったか?」


「は…」


何故それを…ちょっと気合いを入れすぎたフェミニンな服装とメイクが何だか急に恥ずかしくなってきた…。


「は、はい…まぁ…あ、そうだ…! これデディさんとこのアップルパイです。よろしかったら…残りものですが…。」


王子は呆れた顔をして振り返った。しまった…いくら好物だからといって王子様に食べ残しを渡そうとするなんて…。


「…明日はここを案内する予定なんだ。」


「え?」


あぁ、そうか…明日はファルーナ姫が宮殿に到着する予定になっていたっけ…その下見ということか。


「リース」


「は、はい…」


「修練は疎かにするな…助けた甲斐がない。」


いつの間にかアップルパイの包みを手にした王子は一瞬で風の中に消えた。


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