隣国のお姫さま (1)
「ら、落第…。」
「当然ですわよ。退学処分になっていてもおかしくない事態でしたからね。」
アン先生は青いハイヒールに足を組んで厳しい態度と取りながらも、こんがりと日焼けしてしかもつやつやのお肌からは、恐らく自分のお陰で充実したバカンスを満喫していたんだろうということが伺えた。
「授業は去年とほぼ同じレベルの内容なので今日から参加して下さい。ちなみに今年一年間は無給になりますからね。」
「え?! そ、そんな…。」
我ながらなんて情けないんだろう…イーリス様とデートできるかもしれないと張り切りすぎたばかりに…自分から地下迷宮に落ちて…結局進級もできず…一年間無給…。
「…よく戻ったわね。リース」
アン先生はじっと顔をみた後に、異国のお土産のお菓子をくれた。
◇◇◇
「今年は個室は諦めよう…。」
そしてイーリス様にも改めて謝らなければ…去年はあんなに補修をしてもらったのに…。
「リース」
「げっ。」
廊下の小さなシャンデリアが伸びたてきたかと思ったら宙吊りのロド様がくるりと身を翻して目の前に現れる。
「進級は残念でしたね。でも無事で何よりです。」
「は…いえ、ご迷惑をお掛けして申し訳ありませんでした。」
「やはり今年の補修はわたしが行いましょう。」
「…。」
どうしよう…確かに今までイーリス様に甘えてばかりで…これ以上ご迷惑も掛けたくない。
「では…週末だけお願いできますか? 毎日の復習は自分でやります。」
「そうですか…」
ロド様は何かを少し考えたような顔をした後にニッコリと微笑んだ。
「ふっ、ではそういたしましょう。楽しみにしていますよ…リース。」
消えるロド様の向こうに見える一年生の教室には一人で向かったが…不思議とあまり心細くはなかった。
◇◇◇
「イーリス様…とゼダ君?」
夕食後に図書館で復習をしていると葡萄茶色のローブを纏った二人が背後から現れた。イーリス様より少し背が低く線が細い…黒淵眼鏡にハロックル様より暗いブルーのおかっぱ頭のゼダ君は、何とあの忍者姿で一ヶ月と6日間も隠れることに成功して、総合でもイーリス様を押さえてトップで進級したらしい…。
「リースさん」
イーリス様の変わらぬ微笑みはいつ見ても心が潤う…。
「お身体はもうよろしいのですか?」
ゼダ君はそう言いながらもちょっとつまらなそうな顔をした…ん? 何だろうこの感じは…。
「どれ…」
イーリス様が後ろから身を乗り出して開いていた本を除き込むと、ふわりと漂う良い香りにまたクラクラときてしまった…。が、微妙に横から殺気めいた気配を感じるのは気のせいだろうか…。
「イーリス様、わたしがあちらで調べて参ります。」
そう言ったゼダ君に今一瞬睨まれたような…まさか…いやこれは間違いなく嫉妬……というかイーリス様は男性がお好きなんだろうか…そういえばこんなに格好いいのに今までも特に女性の影というものが全くといっていいほどなかった。私は密かにゼダ君が実は美形ということを知っている…。今思うと女性にモテないようにわざと地味にしているのかもしれない。イーリス様とゼダ君…くっ…悔しいけど妙に絵になる…。
「どうかしましたか?」
「いっ、いえ。」
そ…そのドアップ辞めて欲しい…艶っぽい低い声で囁くのも…久しぶりで鼻血が…。
「あの…わっ、わたし…! 今日はここまでにするのでっ。これで失礼しますっ!」
いかん…せっかく一人で頑張ってみようと思ったのに…。
今日は調べ物はあまりないからあとは部屋で勉強しよう。次の言葉をイーリス様が躊躇った隙にちょうどゼダ君が数冊の本を持って来たのでそのまま席を後にした。
◇◇◇
「信じられない…。」
フィリの魔力が漏れ出してテーブルのワイングラスがカタカタと揺れる。
秋も深まりメイドのカリキュラムもあと半年で終了するという頃だった…ヴァンテリオス王太子殿下の正式な婚約者が隣国ロデンフィラムの姫に決まったという知らせが国中を駆け巡った。
「信じられない…この忙しい時に…」
そしてそれは異例中の異例の大抜擢だった。
「まさかフィリさんがファルーナ姫様の侍女の一人に選ばれるなんて。」
ナズナは躊躇いながらも少し興奮した様子で呟いた。婚約の儀も兼ねて姫はこの国にニヶ月ほど滞在するらしい…その時の一時的なお世話係だ。
「あぁ…それでリジェットは…」
最近のリジェットは妙にイラ立っていて話しかけるのも憚られるほどだった。仕切りのカーテン越しにも伝わってくるピリピリとした空気に耐えられず寝る以外はほとんど図書館に避難していたのだ。
「リジェットは直接レリア様に直談判に行って…逆に叱られてしまったみたいですけど…」
「…。」
実際リジェットは二年生の進級試験もフィリを抑えてトップで通過していた。何でもミバーレの美しい糸で施された細かい刺繍に王妃様は痛く感動されて、一度でなく何度もリジェットのドレスをお召しになっているそうだ。
「無理もないです…まだメイド見習いのような私達の中からベテランの先輩達を差し置いてまさかいきなり王太子妃殿下の侍女に…」
「も…もういいわ…」
フィリがナズナに渦を巻いたお米の前菜を食べさせて遮った。フィリはこのところ特に食事に誘っても断られることが多く、ナズナの話だと何人かの男性とお付き合…会っているようだった…あと半年でお相手を見つけて本当に宮廷メイドは辞めてしまうのかもしれない…。
「みなさんお待たせしました!」
いつもと変わらない笑顔で出来立ての料理を自ら運んでくれるホリーも、そんなフィリの様子を察知してかどことなく元気がなくみえる。
ナズナも来年にメイドのカリキュラムを終えたらハロックル様と結婚して実家に戻るみたいだし…そう思うと少し寂しい。
「リースもよかったわね。二年生に編入できるんだって?」
「ええ…。」
そう…ロド様の補修の効果は絶大だった。去年のイーリス様は苦手な算術や理論を図書館で丁寧に教えてくれたがロド様は実践中心というか…安全装置がついた一番広い教室を貸しきってどんどん魔術を発動する練習をさせてくれる。
「ロデンフィラムの言葉をリースに習おうかしら?」
フィリは半眼で宙をみた。
「わたしが勉強してるのは同じロデンフィラム語でも魔法に特化した地方の言葉だから…。」
ロド様は補修以外にもみんなに追い付けるように二年生で習うロデンフィラム語も教えてくれた。魔法語はトントリア以外にもまだ数種類の言語があるらしい。
「それにしても王太子妃殿下はレリア様かと思っていたけど…。」
セレーネ王妃からの絶大な信頼と身分も関係なく誰もが認める一切の振る舞いの素晴らしさ…何よりヴァン王子の打ち解けた態度は王宮殿にいるものなら誰もが知るところだった。
「そうなのよねぇ…でもあのお方なら当然かもしれないけど顔色一つ変えず…そう、この前ファルーナ姫がお泊まりになるお部屋のいくつか下見したけれど…調度品や衣服、寝具や香と化粧品に至るまでお好みをしっかり網羅されていて…むしろかなり前から準備していたかのように完璧にみえたわ。」
フィリが首を傾げた。
「聞いた話ですけど…ロデンフィラム国にあるエトーナ海はこの国にはない温暖な気候で資源も豊富な上に世界でも有数の貿易の拠点ですから…そこを奪うために現ゼウエ王は戦争も止むなしというお考えだったとか…恐らく今回の婚姻もそこで有利な条件を得るためのものではないかと…」
ナズナが珍しく食べるのを中断して小声で話す。
「おぉ~さすが大臣のお嬢様!!」
「それやめて下さい。」
ナズナは口を尖らせて海老の殻を剥き始めた…。
「フィリさん…」
後ろから光沢のあるダークグレーのローブ姿の青年が現れる。
「ライヴェル様! 申し訳ありません。いつの間にこんな時間に…ごめん皆また今度ね!」
そそくさと立ち上がって店を出るフィリを見送るホリーの背中を見たせいだろうか…この日は布団に潜ってからもずっと胸がモヤモヤしてなかなか寝付けなかった…。
ルリアル様から至急会いたいとの手紙を受け取ったのはそれから一週間後のことだ。




