不気味なライバル (1)
「あらお早いお帰りね。」
ドアを空けるといきなり一番会いたくない人物が立っていた。
皮肉たっぷりな言い様だったが、長年一緒にいた感でリースは思った。
今、エミュレーは機嫌が良い。
「ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。」
様子を伺いながら上目遣いで頭を下げる。
「リースお帰りなさい!」
ルリアル様が玄関先まで迎えにきてくれた。
明るいルリアル様の声にはほっとする。
入りずらそうにしていると、リースの手を引いてリビングまで連れていってくれた。
「よく戻ったわね。」
長女ターネットが表情一つ変えずに口を開く。
そのままの意味なのか皮肉が交じっているのか全く読み取れない。
「これを。」
ターネットからシンプルな香水瓶が渡される。
「ヘッ?!」
リースは驚いて間抜けた声を出す。
「わ、私にですか?」
「そうよ、ありがたく受け取りなさい。」
横からエミュレーが得意げに口を挟む。
急な展開に頭が追いつかない。
わたしは確か失態をして追い出されていたような…。
「あれを見て」
ルリアル様が指した先には豪華な香水瓶が3つ並んでいた。
淡いグラデーションの色ガラスに細かい切り子の紋様と、蓋と飾りの取手は象牙と螺鈿を組合わせた美しい装飾が施されている。
月や蝶、花などが象られたそれは、3つそれぞれ微妙に風合いも違っていた。
しばらく何も置かれていなかった飾り棚が急に華やいで不思議とそれだけでこの屋敷が貴族のものであるということを知らしめているかのようだった。
しばらく見とれていると、
「リースのも中身は同じ成分みたいなの。」
ルリアルが口を開く。
「全くお優しい方だわ。」
ターネットがため息を吐く…これは本心からの言葉のようだ。
リースは手元の香水瓶に目を落とす。確かにシンプルだが透明な瓶に紫陽花が彫られていてとても可愛らしい。
「もしかして…」
リースは確信した。
「エミュレー様っ…おっ、おめでとうございます!」
思わず声がひっくり返ってしまった。
「ふっ、ま、やだわこの娘ったら!
私はまだ返事をしていなくってよっ、ふっ」
やっぱりお見合いが成功したんだ…!
エミュレーは自分がものすご~く喜んでいることを悟られないようにくるりと後ろを向く。
しかし少し屈めた背中はぷるぷると震えていて笑いを堪えているのがありありと伝わってくる。
リースはこの間の失敗が帳消しになってほっとすると同時に、何だか面白くない気持ちになった。
エミュレーは使用人に手を上げる意地悪な人物だということをお相手にバラしてやりたいような気がする。
でもそんなことをしたら今度こそ本当に追い出されるだろうけれど。
「お姉様ったら嬉しいくせに!」
ルリアルがいたずらっぽく笑う。
「ほほっ、ま、キープってとこね。いくらお金持ちでも所詮は田舎の貴族だもの。それにこれからが本番よ!!」
そう言ってエミュレーが親指と人差し指でひらひと宙を泳がせたものは見覚えのある封書だった。
「あっ!!」
「な、なによ急に大きな声を出して…」
エミュレーが後退る。
「す、すみません。あまりに美しい手紙だったので…」
とっさに自分のコートの左胸を触ると確かに手紙の感触があった。
ではエミュレーが手にしているのは…。
「そう、美しいでしょう!これは王宮殿への招待状よ。」
「ヴァンテリオス王太子殿下の誕生日の宴への招待状なの。」
ルリアル様が嬉しそうに付け加える。
「ウィ、ウィンティート家に?!」
言ってしまってから、しまったと思った。
「相変わらず無礼な娘だわ。」
機嫌がいいから、エミュレーからはぶたれる素振りだけで済んだ。
「しょうがないわ。我が家は忘れ去られていてもおかしくないもの。」
ルリアル様がフォローしてくれる。少しの沈黙の後、
「これがどういうことか分かるかしら。」
ターネットが徐に口を開く。とその時――
「ただいま戻りました。」
分厚い眼鏡の太った女がリビングに入ってくる。
両手には光沢のある華やかな色の生地をいくつか抱えていた。
「丁度よかったわ。こちらはグリーミュ、主に宴のドレスの仕立てをしてもらう予定よ。」
「グリーミュ、こちらはリース。母の代からこの家に仕えているの。」
「よろしくお願いいたします。」
女は丁寧にお辞儀をする。表情は眼鏡で読み取れない。
リースは目まぐるしい展開に付いて行けずポカンとしたまま立ち上がり、言葉を発する前に…
「下がって良いわ。」
ターネットがグリーミュに指図する。女はまた一礼して生地を持ったまま別の部屋に去っていった。
「お姉さま、私達は生地を見てきても?」
ルリアル様がウズウズしている。
上目遣いがとても可愛らしく、焦げ茶色な瞳はいつもにも増してキラキラと輝いて見える。
「お行きなさい。」
ターネットが許すとエミュレーとルリアルは子供のようにきゃあきゃあと騒がしくリビングから消えていった。
◇◇◇
ターネットとリースだけになったリビングにしばし沈黙が流れる。
6日間居なかっただけなのにすっかり取り残されたみたいだ。
リースは左胸に手を当てながら先に口を開いた。
「…お妃様選びでしょうか。」
「そうね、だからウィンティート家のような貴族にも招待状が届いた。」
リースは恐縮して下を向く。
「国王陛下はもう何年も病気で伏せっておられるから、ヴァンテリオス王太子殿下に早く伴侶をと焦っているに違いないわ。
でもね、それだけではないの。
今回の宴は王妃様のお計らいで名家の男性貴族も大勢参加するそうよ。
だからエミュレーはともかくルリアルにとってもまたとない機会なの。」
普段寡黙なターネットがこんなにも言葉を発したのは何年ぶりだろう。
しかもその言葉はどんどん熱を帯びてくるようだった。
「リース、分かるわね。
この間のドレスの件はルリアルから事情を聞いたわ。
でも今度の宴はどんな事情があろうと絶対に失敗はできないの。」
リースは目を伏せたまま頷く。
「良いお相手が見つかればきっとこの家もかつてのように…
いいえそこまでは望まないわ…
それでも一介の貴族としてこの家をもう一度蘇らせなければ…。」
リースを見ていた視線はいつの間にか空を見つめていた。
両親亡き後のウィンティート家を守る。
それが自分の今生の使命だと再確認しているようだった。
ほどなくしてターネットはハッと我に返り、視線をリースに戻す。
「これはあなたのためでもあるのよ。
この家が豊かになればあなただってもっと楽な暮らしができるわ。」
こんな真剣なターネットの顔を見るのは初めてだ。
やせた面長の顔に細い目は、眼鏡ごしではあるが今は大きく見開かれ、ルリアル様よりも薄い茶色の瞳には光が差してガラス玉のよう。
化粧はしておらずソバカスだらけの肌だが、高揚してピンク色になった頬とスッと通った鼻筋が彼女を美しくみせている。
リースは圧倒されてただただターネットの指示を頭に叩き込んだ。
その光景はまるでスパルタ家庭教師と出来の悪い生徒のようだった。




