青春の落とし穴 (5)
目も開けていられないほど激しい木枯らしが吹く午後だった。
「イーリス様…。」
「大丈夫、練習した通りにすれば6日間なんてすぐですよ。」
そういうイーリス様は筆記試験の点数がほぼ満点に近かったので30分も隠れていられれば進級できるらしい。
「イーリス様…そのお姿…懐かしいです。」
イーリス様はすぐにでも作業が始められそうなガーデナーの格好をしていた。知的なローブ姿も魅力的だがこの第二ボタンまで開いた白いシャツと短めのズボンの軽装姿から少し野性味が滲む感じもまた堪らない…。
「ええ…最近は色々と仕事を任せきりでしんぱ…いえ、リースさんも今日はメイド服にしたんですね。」
「はい…女性にローブ姿は珍しくて目立ちますから。」
隠れんぼ大会の服装ほ自由だった。魔力の消費を防ぐために鬼がいないところでは元の姿で行動することも考えられるため、なるべく目立たない服を選ぶ。
クラスの中では真面目なゼダ君だけが逆に目立ってしまいそうなアン先生お勧めの黒い忍者服を着ている…それをみて笑いをこらえる衛兵の格好をしたピホーリオ君の鎧がカシャシャと揺れていた…あれはあれで随分動きずらそうだけど…。
「それでは皆さんこれより進級隠れんぼ大会を開催いたします! 最後の一人が見つかるまで休講のため、私たちはバカンスに出掛けます! 皆さんを信じて世界一周旅行計画を立てていますのでせひがんばって下さい!!」
そういうとアン先生と、午後の授業担当のベム先生は両手を組んで人差し指を立てた途端現れた白い煙が風にかき消される内に二人の姿は見えなくなっていた…。
「あの二人…夫婦だったんですね。」
「ええ。知りませんしたか?」
まさか先生たちは自分達の旅行ためにこんな内容の進級試験にしたんじゃあ…。
「イーリス様…あの…」
「どうかしましたか?」
庭園に向かおうとするイーリス様の背中のシャツをそっと掴む。
「もっ…もし6日間以上隠れることに成功して無事に進級できたら…わたしと…わたしとデッ、デッ…デートして下さいませんかっ?」
どうしよう…最後声が裏返ってしまった。
フィリの入れ知恵でこのタイミングが一番YESと言ってもらえる可能性が高いらしく…実は呼び止める仕草までホリー相手に練習させられていたのだ。
しかし果たしてこんな時にデートのお誘いなんて…嫌われたらどうしよう…恥ずかしくて顔が上げられない。
「いいですよ。」
え? 今あっさりOKと言ったかな。思わず驚いてイーリス様を見上げる。
「その代わりと言っては何ですが…進級してからもリースさんの勉強の補修は私に任せて欲しい。」
「へ?」
「つまり必要なら週末もロド様ではなくあなたの補修は私だけにさせて下さい。」
「…イーリス様…だけに…」
嘘…まさかイーリス様ってばロド様に嫉妬を?! …これって俗にいう両想いってヤツじゃあ…。
「もちろんテストの点数も上がるようにより厳し…いえ、より濃密に指導させていただきます。」
濃密な…二人だけの時間…。
「も…もちろんです。ぜひよろしくお願いします…。」
これは夢なんじゃあないかしら…。
「よかった! では。」
爽やかな笑顔を残してイーリス様が庭園に消える…。
わき上がる甘い幸せな興奮を押さえきれず、まだ吹き荒れる風の中に思わず叫び出しそうになってしまった。
◇◇◇
「絶対6日間逃げ切ってやる…。」
鬼が動くのはあと一時間後…二年前はいつも迷子になっていた王宮殿の中も、今では決められた場所なら迷うことなく辿り着くことができた。隠れんぼ大会の極意はどこに隠れるかではなく、いかに己の気配を消すかということ。雑念を全て振り払い自分の肉体も…呼吸さえも意識せずにリースという存在自体を無にする…と…イーリス様は言っていた。
「ふっ…ふふっ…。」
ダ…ダメだわ…さっきのやりとりが嬉しすぎて何度も頭の中でリプレイしてニヤけてしまう…6日間逃げ切らなくてはデートはおろか進級すらできないのに…。
「しっかりしなきゃ。」
でも絶対途中でお腹も空くし一日くらいシャワーも浴びたいし…こんな雑念だらけで大丈夫かしら…。
小さなポシェットにはナズナが作ってくれた携帯食がいくつか入っているがこれだけでは足りそうにない…。
「地下56階…。」
階段やエレベーターを乗り継いでギリギリ自力で戻れそうな階数で降りると、ガラスケースの向こうはスローモーションのように泳ぐ魚や、風も吹いていないのに揺らめく植物が発光して、雲に覆われた今日の地上よりも明るいくらいだった。
ふとガラスの向こうににピンクジュゴンに変身してその群れに紛れようとするラッフル君がみえる…。
「ダメ…まだここではみつかってしまうわ。」
どうしよう…でもこれ以上知らない領域に足を踏み入れたら完全に迷子になってしまう…ん? 待てよ…どうせ最後はみつけてもらえるんだから道が多少分からなくなっても連れて帰ってもらえるわよね…。
あと1分程で鬼がスタートする時間だった…迷っている暇はない。
◇◇◇
「ここは…。」
勢いに任せて王宮内を上がったり下がったり潜ったり転がったりしながら辿り着いたのは何もない真っ暗な空間だった。
歩いても歩いても終わらない暗闇にふと不安になり…最初はためらった魔法で小さな光を灯してみる。
すると辛うじて地面の石畳は確認できたが周りは壁さえ見当たらなかった。
「何もなさすぎてちょっと怖いけど…できるだけここにいれば当分は見つからないかも…。」
早速気配を消すことに集中しようと目を閉じる。
◇◇◇
どれくらい経っただろうか…何回か眠ったり起きたりを繰り返したが相変わらず一向に暗闇に目は慣れず、自分の呼吸の以外の音は全く何も聞こえない…。
固くて冷たい床に身体中が痛くてこめかみがジンジンと重い…。
「げっ。」
手元を照らすといつの間にか時計の針が止まっていて時間もわからなくなってしまった…。携帯食もあと高カロリーグミが数個だけ…。そろそろ本格的に出口を探した方がいいかもしれない…なるべく息を潜めてゆっくりと歩き出す。
◇◇◇
「ロド様、いかがですか?」
「…どこにもリースの気配がありません。」
「ではまさか…」
「落ちましたね…地下迷路に。」
「!!」
「あれほどヘリオルス城周辺にだけは近づくなと言ったのに…。」
「残念だわ…勉強はいまいちだけどこれからが楽しみな人材だったのに。」
「もう絶対に戻って来れないのでしょうか?」
「私の知る限りあそこに落ちて王宮殿に戻った者はいませんね。」
「そんな…。」
「あ、これお土産のミューオン公国のお菓子ですわ。」
「おぉ! これ一度食べてみたかったんですよ…。」
「「「 殿下! 」」」
進級試験の開催から3ヶ月を過ぎた頃だった…最後の一人が見つからないと鬼全員がギブアップしたのと同時に魔術の講師達の間で緊急会議を開くとの知らせを受けた。
「お待ちしておりました!」
重い石の扉の向こうには魔術師筆頭のロドクルーンを中心に講師達が全員集まっていた。
「…やはりか。」
「申し訳ありません。」
立ち上がり頭を下げる一同を通り抜けてロドが空けた中央の席に座る。
「どういたしましょう?」
「どうするといっても…。」
王宮殿の闇の地下迷路は国家の重要機密に関わる部屋や王族の住まい、一部重臣の執務室周辺に張り巡らされいる極めて強い魔法だ。最も落ちる闇の深さは個人的なものなのだが…。
「なんと浅はかな娘だ…。」
ため息を吐きながらヴァン王子は頭を抱えた。




