青春の落とし穴 (3)
「ナズナ!」
編入してから半年が過ぎた週末の夜…久しぶりにフィリとナズナとホリーのお店で待ち合わせした。リジェットとは部屋が同じなので特に夜は顔を合わせることが多いけれど二人に会うのはちょうど3ヶ月ぶりになる…今まで一回もすれ違ったこともないのでそれだけ王宮殿は広いのかも知れない。
「リース!」
ナズナは嬉しそうに駆け寄ってきた…相変わらず小動物のようで可愛らしい。
「あれ? フィリは一緒じゃないの?」
「ええ…少し遅れてくるので先に始めてていいそうです。」
「いらっしゃいませ! リースさんにナズナさん…あれ、フィリさんは?」
少し躊躇いがちに聞いてきたホリーは、若干痩せたようにもみえるが男性らしい黒いコスチュームを身に付けていても相変わらず少女と見違うような麗しい容姿だった。
「少し遅れてくるそうよ。」
そういうとホリーは安心したような笑顔になっていつもの席へ案内してくれた。
「ナズナ…その指は?」
秋の新メニューを嬉しそうに眺めるナズナの手元をよくみると両手合わせてほぼ半分の指に傷テープが巻かれていることに気付く。
「うっ…これは…」
ナズナは急に半泣きになってキョロキョロと辺りを見まわした。
「…進級してからリースがいないせいか…フィリとリジェットの間の空気が去年よりもピリピリしていて…お裁縫で…二人の間の席で作業しているとつい緊張して…」
「そう…去年も相当だったと思うけどね。」
あの二人の中にナズナを一人にしてしまって少し申し訳ないような気持ちになる。ふと注文をしようとした時、岩壁の隙間から見覚えのあるロイヤルブルーが目に付いた。
「ハロックル様!」
別に親しくもないのについ呼んでしまった。
「これは…リースさん。」
ベルベットのモスグリーンのローブはちょうど三年生の色だった。
「…あのもしよかったら今度ご一緒にいかがですか? いつもご馳走になってるので次は私たちが…。」
魔術の研究生の給金は実務をほとんどしていないにも関わらず予想を越えてすこぶる高かった。去年はさんざん奢ってもらったし、しかも値段もよく見ず頼んでいたらケタ違いに高い料理まで食べていたし…ナズナに話しても気にしなくていいと言われていたのだが、いつかはとフィリとも話していたのだ。
なぜか婚約者なのに少し警戒したような視線を向けるナズナをハロックル様は残念そうな顔で一見した後、ため息をついてこれまたなぜか彼女を安心させるように頷いた。
「ではお言葉に甘えて、今少しだけよろしいですか? このあと予定があるので…。」
「え? えぇ…どうぞ」
まさか今とは思わなかったけど。
ハロックル様は店を出るところだったらしく同席していた同じ色のローブの青年達に先に行くよう手振りで合図した。
「魔術の授業はどうですか?」
ハロックル様は相変わらず誠実で人柄の良さそうな雰囲気をしている。例のお茶会のことは何も言わなかったのであえて蒸し返さなかった。
「ええ…毎日復習して何とか…」
授業というか今ではイーリス先生の補修がほぼ一日のメインイベントとなっている。
「随分勉強熱心ですね。僕は一年生の頃は午後の授業の後は疲れて何もできなかったな。」
「はぁ…。」
それで授業についていけるハロックル様って一体…。
「ハロックル様の専攻は何ですか?」
「僕は攻撃よりも防御やヒーリングの光や水魔法が得意なので、今は医術を中心に勉強しています。」
「それは…具体的にどういう?」
あんまり意識していない分野だった。
「こんな感じです。」
ハロックル様は右手の手袋を外すと抵抗する暇も与えずナズナの両手を取り、薬指で優しく撫でながら呪文を唱えると…みるみるうちにナズナの両手は光に包まれて指からテープが剥がれ切り傷が消えていった。
「すごーい!!」
突然のことに驚いて固まるナズナをよそに惜しみ無い拍手を送る…やっぱり魔術の力はスゴい。
「ちょ…もうお離しくださいっ!」
赤くなるナズナの手を名残惜しそうに手放すハロックル様は爽やかに微笑んだ。
「リースさんは専攻はお考えですか?」
「わたしは…城…いえ、壁の…創作とか?…デザイン関係みたいな…」
まさか単に城門の装飾がしたかっただけとは言えなかった。
「そうですか…もうイメージがあるのは素晴らしいですね…建築関係なら友人がいるので必要ならいつでも紹介するので言って下さい。」
そういうとハロックル様はノンアルコールの黄緑色のカクテルを一杯だけ口にしてから席を立った。
「あら…ハロックル様!」
一層輝く照明をバックにフィリが到着した。
「フィリさんですね、いつもお世話になっています。残念ですが私はこれで。」
残念というハロックル様よりも残念そうな顔をしたフィリは短くため息を付いて席に付いた。
「フィリさん…いらっしゃいませフィリさん。」
「今二回言ったね。」
「言いましたね。」
ホリーは少し緊張しているようにもみえたがまるで主人の帰りを待ちわびた忠犬のように…浮き立つコウモリのコスチュームの全身から…いや店内全体の照明がクルクルと眩く光ってその喜びを表現していた。
「いつもの青いサングリアでいいですか?」
「ええ…あ、いえ…ビールでいいわ。」
フィリはそんなホリーと目も合わせずに上着を脱いだ。
「外にいたの?」
「ええ…ちょっとね。」
週末のせいかフィリは少し疲れてるように見えた。
「それより見たわよ…ハロックル様の左の手袋…あれナズナが作ったやつでしょ?」
フィリがいつもの柔らかな表情に戻る。
「そうだったの? 実はちょっと左だけ大きいなと思ってたのよ。」
あえてそういう作りなのかと思って言わなかったけど。
「うっ…あれは難しくてまだできないっていったのに…どうしてもって言われたから…」
ナズナは赤くなってうつむいた。
「いいな~両想い。」
「羨ましいわ~。」
フィリと笑っているとあっという間にメイド時代に戻ったような気持ちになる。
「ち、違います…それよりリースはどうなんですか? イーリス様と。」
ナズナが目の前の蒸し器を開けると視界が薄いオレンジの煙で覆われて何も見えなくなった。
「う~ん、それなりのアピールはしてるんだけどね。」
昨日も情熱的なお味の焼き菓子をプレゼントしてみたんだけど…食べてくれただろうか。
それにしてもさっきのナズナをみるハロックル様の眦の温かさ…イーリス様は確かにどんな時もお優しいけれど、どこかわたしの踏み込むことのできない壁がある。それが何なのかはよく分からないけど。去年は一目姿が見られるだけでもいいと思っていたのに…毎日お側にいながらイーリス様との確かな距離を感じるのは会えない日々が続くのよりもなかなか切なかった…。
「リ~ス~!」
フィリが目の前で手の平をパタパタさせていた。
「はっ」
我に返ると随分な品数の料理がテーブルに並んでいた。
「まだ半年でしょ? これからよ。」
「そ、そうよね…研究生の期間はあと5年以上あるんだもの。がんばるわっ。」
久しぶりのホリーの料理を味わいそびれないように遅ればせながら食事に参戦する。
「いいわね…わたしはあと一年半…。」
フィリはいつの間にかナズナが頼んだワインを一瓶開けていた。
「へ? 何か言った?」
「お待たせしました~。」
ホリーはフィリが好みのピンク色のビールとそれによく合うハーブと旬の野菜のフライを持ってきた。
「…ありがとう。」
少し困ったように微笑むフィリに感激してホリーは泣き出さんばかりだった。
結局その日は閉店までいた後、ホリーも誘ってさらに地下の薬草スイーツの店まで行ったのだが最後の方はあまり覚えていない…。




