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青春の落とし穴 (1)

「あら、遅かったわね?」


メイド部屋に戻ると既に帰省したリジェットは大量の本に囲まれていた。


「リジェット…もう戻ったのね。あれは?」


窓際には見慣れない鉢植えがいくつか置かれていた。


「最高級のナタラの苗よ。育てて糸を紡いでみようと思うの。」


「糸?」


「来年は裁縫があるでしょ? 参考にね。」


「そこからやるの?!」


ランプの明かりに照らされたリジェットは至って真面目な顔だった…いつもより濃い陰影が際立てるシャープな面立ちに少しつり上がった光るルビーの瞳に思わず見とれてしまった。リジェットならどんな縁談でも思いのままだろうに…。


「どうしてそこまで熱心になれるの?」


「いずれはメイド長になりたいからよ。」


リジェットは当然のようにサラリと言った。


「なぜメイド長に?」


「…わたしはレリア様のように自律して…全てを兼ね備えた素晴らしい女性になりたいの。」


でたグリーミュ…でもこんなセリフを聞いても以前のように辟易(へきえき)した…黒い気持ちはあまり湧いてこなかった。


「…あのね…リジェット」


「何?」


既に机に戻り本を開いていたリジェットは耳だけこちらに傾けている。


「わたし…わたしは宮殿の城門の装飾がしてみたいの…」


「?!」


驚いて振り返ったリジェットが声を出して笑った。


「最高だわ! あなたが宮廷魔術師筆頭になれるならわたしのメイド長なんてチョロいものね。リース! ぜひその夢叶えてちょうだい!!」


嬉しそうに歩み寄って握手まで求められた勢いに押されて魔術師の筆頭でなくてもそれが行えるようになったことは言いそびれてしまった…。

明日レリア様に魔術の研究生になると伝えにいかなければいけないと思うと何だか気が重くて寝付くまでに少し時間が掛かった。


◇◇◇


((王子視点です。))


聞きなれたヒールの音で誰かはもちろんある程度の気分のようなものまで読み取れるようになったのはここ2、3年だろうか。


「入れ。」


そろそろ来ると思っていた。


「失礼致します。」


一目では分からないがわずかに上がった肩からは多少の焦り…きつく結ばれた薔薇の唇には不満…サファイヤの瞳には固い意思が宿っている。


「どうした?」


「リースの件です。急に魔術師になりたいと…」


「うん…今朝ロドから誓約書を預かった。承認はこれからだが…止めに来たのか?」


「いいえ…きっかけは殿下の浅はかなお振る舞いだったとはいえ本人が望むならば反対はいたしません。」


今サラッと浅はかと言われたかな…これはまだ根に持たれているようだ。お茶会の後、多少責任を感じてもしメイドとして進級したいと言ったときは手を尽くそうと思っていたんだが…。それでも昨日『王宮殿の城門及び城壁の装飾は宮廷魔術師筆頭またはかの者が指名した者が行うこととする』という魔術法典の改正案を目にしたときからはきっとあの娘が望んだことだろうと何となく予想はついた。


「それで?」


軽く咳払いをして目を逸らす。


「一つご提案がございます。」


レリアが…提案というよりは、むしろ決定事項かのように淡々と示した内容には別の意味で驚いた。


「うん。わたしも全く同じことを考えていた。既に準備はさせてある。」


そう言うとレリアは少し目を見開いて驚いた後、やっと肩の力を抜いて二回も頷いた。


退出するレリアのいつもと変わらない凛とした佇まいを見送りながら、再びあの時の違和感が蘇ってくる。


昨日墓石の前で愛情がどうのと言って泣いていた娘は王宮殿に上がるにはあまりに未熟な人物だった。類は友を呼ぶ…とまではいかないが、私の周りは各大臣をはじめ優秀な役人と同じく己の秀でた能力を真摯に磨く魔術師たち、レリア然り使用人にいたるまで誇りと意識の高い者たちばかりだった。あのように頼りなげな…主人への恩よりも自分の感情を剥き出しにするような娘を…いくら魔力が高いからといってレリアが採用するだろうか…。

それでもふいに浮かんだもう一つの可能性はすぐに頭から打ち消された…それは絶対あり得ないだろう…レリアとて人間だ…机上の大量の書状に我に返った後、まず一番に誓約書に承認のサインを走らせる。


◇◇◇


セルリアンブルーのメイド服から今朝届いたばかりのこげ茶色のローブに着替えると、また随分と地味な出で立ちに見える。しかし魔術師は六年制でそれぞれの学年で色が決まっているそうなので文句が言えない。いつか目の前だけ通ったことのある「117」番の扉を開けると予想よりも遥かに広い教室にはまだ誰もいなかった。


「あれ…間違えたかな…」


ロド様から直接渡された桃色の手帳にはご丁寧な案内図や今後のスケジュールがこと細かに記載されていた…日付も時間も教室の番号も間違ってはいない。

ふと3分前になってから教室の右斜め前に蜃気楼(しんきろう)が見えたかと思ったら同じローブ姿の青年が5、6人一斉に現れた。


「ま、魔法…。」


まだ一年生のくせに入室から魔法を使うのか…先が思いやられる…。

メイドの講義室より大分広い教室の階段状の座席はありあまるほどあった…が、それにしても自分のまわりだけ何故か誰も座らない。後ろの方の席を選び過ぎたかしら…少し前の方で集まって座る彼らに目をやるとチラチラと警戒したようにこちらを見返してきた。全員ではないがなかなかの美形揃いだ…が…それにしてもせっかくの紅一点なのに全然誰もちやほやしてくれる気配がないではないか…いや…別にもともと期待していた訳じゃないけど…ただ魔術師を目指すと報告した時にフィリがそんなニュアンスのことを言ってきたから妙に浮き足だって早めに入室したというのに。

そういえば特にナズナは寂しそうだったな…メイドの同期三人との教室が懐かしく思い出されて急に心細くなってきた始業1分前のことだった。


「リースさん、お隣よろしいですか?」


「イッ…イーリッ…」


驚きのあまり上手く声が出ない…隣に現れた男性は確かにガーデナーであるはずの愛しのイーリス様だった。


「ど、どうしてこちらに?」


「もともと魔術に興味があったので試験を受けて編入したんです。今日から同級生ですね。よろしくお願いします。」


そう言って微笑むイーリス様は同じローブ姿ではなく光沢のある紺色のマントに艶やかな長い黒髪を細い三つ編みで横に流してシャープな黒淵の眼鏡を掛けている。そう…このどこか物憂げなパープルブルーの切れ長の瞳…上品で妖艶…おまけに今日は知的なクールさまで醸し出している。もう会えないと諦めかけていたのに…久々のしかもこんな至近距離にもう卒倒しそうだ…。


「お集まりのようですわね。」


背後からドアが開く音がしたかと思ったら柔らかい光が差して教室の中央階段を降りてくるのは稲妻のような青いラインが走る白いドレス姿の女性だった…オレンジ色の波打つ髪は今にも床に付いてしまいそうだった…とういうか後ろに扉なんてあったけ…。


「みなさん初めまして。アンと申します。一年間午前中の講義を担当します。よろしく。」


挨拶もそこそこにすぐ授業に入る…姿形は若く見えるがロド様と同じように雰囲気は随分老成したような…これも魔法だろうか。

先生がしゃべっているのはこの国の言葉だし教科書もトントリアの古代語と現代語訳が併記されているので読めるには読めるが…内容が…魔法工学なんて聞いたこともないし…専門用語に知らない単位の算術…一割も理解できない…。


「リースさん…大丈夫ですか?」


グチャグチャのノートと、もはやどこがポイントなのかも分からない印だらけの教科書を前に固まっているリースの顔をイーリスが心配そうに覗き込む。


「はっ」


相変わらず端麗なお顔のドアップに急に我に返った頃には既に授業は終わり教室には誰もいなかった…。

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