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里帰り (7)


「殿下…現金持ってきてたんですね…。」


墓石には既に三姉妹の花輪が供えられていた。


「隣は…?」


並びの小さな墓石にも花束を置くリースに王子が尋ねる。


「わたしの両親です…奥様が特別につくって下さって…ウィンテートの奥様と私の母は身分は違えど大親友でした…。」


「…。」


「父はわたしが産まれてまもなく亡くなって…母も幼い頃に馬車の事故で…なので正直両親の記憶はあまり多くはないのですが…ウィンテートの奥様は私をとても可愛がって下さって…それはお優しい方でした。だから私は…」


それを実の母の愛情と勘違いしてしまった…。


「わざと仕事を怠けていたのか?」


「…。」


王子はまだ私が宮廷メイドの試験を正式に通ったと思っている。

それでも…それでもあの頃はなぜ自分だけが冷たい水に凍えそうな手で洗濯しなければならないのか…なぜ蝋燭(ろうそく)の暗がりで自分が着るでもないドレスを眠い目をこすりながら仕立てなければいけなかったのか…使い馴れない包丁を落とした時に切れた指先の痛み…なぜわたしだけが一人…奥様達と同じベッドで眠ってはいけなかったのか…身分の違いも忘れて不満だらけだった…。

ウィンテート家が貧しくなっていったせいもあるが、見かねた奥様は私を叱るでもなくその内家事を手伝うようになっていった。ますます甘えて仕事を怠ける私を一体どう思われていたのか…


「その通りです。わざと怠けて…奥様を困らせて…それでも母親のような愛情を注いで欲しいと…わたしを実の子のように愛して欲しいと…」


息が苦しくて詰まって言葉の代わりに涙が溢れ出る。

奥様の最後を思い出すとまだ胸の奥がジリジリと焼けるように苦しくなる。


「でもそれは無理な話でした…奥様は最後…頭の病でしたから…亡くなる前の数ヵ月は私のことを親友の母だと思い込んでいたようです…一度…一度だけ(たま)らなくなって…私は母じゃない…リースだと声を荒げてしまったことがありました…その時の奥様の顔は今でも忘れられません。」


傾きかけた日差しに穏やかな春風が頬をなでる。


「奥様が亡くなる直前に私の手を取って呼んだのも母の名前でした…。」


奥様にとって私は親友の子という以外の何者でもなかった…それだけの話だ。

それでも大好きだった奥様を失った悲しみ…最後の瞬間まで私の名前を呼んでくれなかった憎しみ…自分の存在意義のなさ…世界に一人だけ取り残されたような感覚…もう静かに消えてしまいたいような…絶望という言葉は大袈裟だろうか。


ふと風にはためくマントの音と墓石に伸びた影に違和感を覚えて振り替えると元の姿のヴァン王子がこちらを無表情で見下ろしていた。


「あの…」


「今は誰もいないから魔力の消費を抑えるために戻ったまでだ。」


「…。」


本来の姿は威圧感がすごいのでできれば女の子のままでいて欲しかった。王子の回した右手の端から飛び去った黄色い蝶がリースの手のひらでレースのハンカチに変わる。


「ありがとう…ございます。」


「…実に不思議だ。」


王子は腕を組んで少し首を傾げた。


「時間がないからもう一度聞くがお前は本格的な魔術を学びたいか?」


思いの外澄んだ声は、まるで先程の話を聞いていなかったように無機質な響きだった。


「…。」


改めて聞かれてもよくわからない…レリア様は反対で…ロド様はぜひにと言っていた…どうしよう…。


「お前自身はどうしたい?」


「…。」


私自身?…わからない…何でだろう…あぁそうか…いつからか自分で考えることさえ怠けていたから…。


「…タイムリミットだな。」


沈みゆく夕日の中で王子はシーオンの懐中時計を開いてため息をついた。


「いいか。打算や現実逃避を捨てろ。余計な一切の感情もいらない。自分の本音で決めるんだな。お前の意に沿うようわたしもできる限りのことはしよう。」


王子に肩を掴まれて突風に目を瞑った次の瞬間、元のカフェのテラス席に一人だけで座っていた。


◇◇◇


どうしよう…どうするかもう決めなければ…私自身の本当の気持ち…。


「寒っ。」


考えている内にすっかり暗くなった辺りを見回してから肩を(さす)って室内に入ろうとした時、正面の大きな窓ガラスをすり抜けて一人の魔術師が姿を現す。


「リース。」


「ロ、ロド様?!」


男がその長い指でトンと一つのテーブルを叩くと一瞬でそこだけ白いベールを纏い上品なディナーの席に変わる。


「中へどうぞ。大丈夫…周囲からは何も見えていません。」


耳障りのいい声に恐る恐る中へ入るとまた随分と暖かい。

席に着くとロド様は少しの間黙ってじっとこちらを見ている。表情は変わらないが左下の薄い涙袋がピクリとわずかに動いた気がした。


「昨日の件は議会を通りましたよ。これで君にも城門の装飾が可能だ。」


そう言いながらリースが手に取ったワイングラスに自分のそれを合わせてカチンと鳴らし満面の笑みで微笑む。


「この素晴らしき出逢いに…!」


「…。」


どうしよう…豪華な料理の味もわからない…。


「あとはここにあなたのサイン一つで最高の自分を発揮できる素晴らしい未来が開ける。」


ロド様が空を切った手の先からマゼンタ色の光沢を帯びた黒鳥の羽ペンが現れふわりとリースの手元に舞い降りる。


「わたし…」


ペンを握り締める右手が汗ばむ…どうしよう…わたしはどうしたいか…私自身の本音…妙に渇いた喉だったがグラスにも手を伸ばすこともできずごくりと唾をひと呑みしてから震える手でペンを走らせた。

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