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里帰り (6)


「極楽…。」


快適な空間に一度身を(ゆだ)ねたら最後…人混みの街中を歩く気にもなれず、午前中にはネイルサービスや疲労回復の香油でマッサージなんかを受けたりして午後からまた宿のカフェでゆったりとくつろぐ…時々思い出したように大通りを行き交う人々に目を移してもおばあちゃんらしき人物もいない…


「…もう一泊しちゃおうかな。」


…残金を確認するために手元に視線を戻す途中で目の前に見覚えのある女の子が座っていることに気付く…


「ヴァ…ヴァン…ナちゃん…」


「何をしている?」


「きゅ、休暇中ですので…ちょっと…そう…英気を養いに…」


手元の虹色の少々華美な爪に王子は無言で目をやった…


「か、かわいいでしょう…殿下もいかがですか?」


「…。」


昨日の魔術師といい人のプライベートタイムに勝手に目の前に現れて…。

しかし努めて穏やかな表情をつくる。こんなに可愛らしい見た目でも相手はあくまでも王太子殿下だ…。


「魔術の研究生になりたいのか?」


そう言って王子がまっすぐにこちらを見た…お茶会以来この瞳の黄金がますます怖い…思わず視線を逸らす。


「分かりません…。」


紅茶に映った自分の表情が思いの外たより気ない。


「そうか…念のため気持ちだけ聞いておこうと思ったんだが…。」


「?」


「茶会ではすまなかったな…」


「え?」


思わず顔を上げると王子は腕を組んで決まりが悪そうに下を向いていた。

え…何だろう…今謝られたのかな…王太子がメイドに謝るなんてことあるのかな…聞き間違いかな…


「ウィンティートには顔を出さないのか?」


王子は軽く咳払いをして紅茶を啜った…さっきのは空耳だったんだろうか…


「…はい。ここから少し距離もありますし…。」


ルリアル様からお誘いはあったがエミュレーにも会いたくないし色々面倒臭そうだったので断った…たまの手紙のやりとりではルリアル様は王妃様の招待で何回か宮殿に召されてヴァン王子とも会っているようだった。


「随分優秀な侍女だったそうじゃないか…貧しい中でも主人達の不便がないように尽力したとか…確か家庭菜園に型紙の少ないドレスの仕立てに…」


「!!」


ルリアル様か…恐らくグリーミュのことをわたしのこととして王子に話しているんだろう…。


「行ってみるか…」


「え?」


「一瞬で着く。」


「は…」


細い手に肩を捕まれて急に吹いた風に気を失いそうになった。


◇◇◇


見慣れた庭はちょうど屋敷を飛び出した一年前ともだいぶ違い、食用の植物は少なく観賞用の花々が品よく並んでいた。王宮殿の庭園の華やかさには遠く及ばばないが配色や全体の景観の所々に心が和むような奥ゆかしさがある。


「あら…リース?…よく顔を出せたものね。」


花木の陰からは一番会いたくない人物が顔を覗かせる。


「エミュレーお嬢様…ご無沙汰しております。」


まじまじと全身を見つめられた後、最後には左胸のメダイに目を留めてから隣の女の子に視線が移る。


「そちらは…」


「あぁ…こちらはヴァンナさんです…えぇと…メイドの同僚で…」


「お初にお目にかかります。突然申し訳ありません。」


もともとが男性とは思えないほどの優雅なお辞儀や所作にエミュレーの背筋が少し伸びた。


「こちらはリースと私からです。」


王子が手渡した花輪と白檀(びゃくだん)の香で忘れていたことを思い出す。


「まぁ、リース! お母様の命日だから来てくれたの?」


玄関の奥からはターネットが現れる。


「ターネットお嬢様…。」


通された室内は以前より調度品も増えて狭いながらも華やかだ。見知らぬ大人しそうなメイドが二人控えていた。


「あの、グリーミュは…」


「あぁ…グリーミュはファルレード大臣のお屋敷へ移ったの。」


そうだったのか…どうせ会うのも気まずいから都合がよかった。


「午前中に3人で墓所には行ってきてしまったの…ルリアルは午後から出掛けているわ。」


「そうでしたか…。」


出された桜染めの茶器もきっとラスティート様からの贈り物だろう。


「王宮殿のメイドになったって本当だったのね…。この目で見るまでは信じられなかったけど…。」


エミュレーはため息を付いてこちらを見た。近くでみても残念ながら痩せたのに血色も良く相当キレイになっている。


「…急に屋敷を飛び出して申し訳ありませんでした。」


またクビになった宴の当日を思い出して苦々しい気持ちになる。


「宮廷メイドになるくらいだもの…さぞうちのようなところでは働きがいがなかったことでしょう…」


ターネットはそう言いながら相変わらず嫌みとも本音とも読み取れない表情をする。


「さすがかつてのウィンティート家の侍女頭の娘だわ…」


「いえそんな…」


「でも、うちでは本当酷かったわ…ふき掃除なんてこっちからお尻を叩かなきゃやらなし仕立てたドレスは一日で破れるし…極めつけは10年越しの使い回しのスープよね…朝晩ほぼ毎日あれとパンだけだったものねぇ…。」


「もっ、申し訳ありません。」


青くなってヴァン王子をちらりと見るとティーカップに近づけた口の左端がわずに上がっていた。


「冗談よ…でも毎日食べていたせいかたまに食べたくなる時があるのよねぇ…あんなに不味かったはずなのに不思議だわ。」


そう言って少し笑うエミュレーの表情に敵意はまるでなくて懐かしさと親しみさえ感じられて…それだけ彼女は今は幸せなのだろうなと思った。


「リース…ルリアルが今、王宮殿に(おもむ)くことがあるのは知っているわよね?」


「…はい。」


「実を言うとね…私は恐れ多くて最初は反対したのだけど…」


ターネットはちらりと王子の方をみて言い(よど)んでから意を決したように再び顔を上げた。


「万が一殿下がルリアルを王太子妃候補にとお認めになるようなことがあれば協力してあげて欲しいの。うちは旧家だけれど名ばかりで表舞台からは長い間遠ざかっていたから…人脈も内情はさっぱりで…」


ターネットは娘を想う母親のような思い詰めた真剣な瞳を向けた。


「ターネットお嬢様…」


思わず横目でチラリと王子をみたが表情どころか眉一つ動かさない。


「一介のメイド風情ですが…ご協力できることがあればなんなりとお申し付け下さい。」


ターネットの真剣な眼差しにつられて不思議と胸の奥が熱くなる…


「驚いた…。」


リースの発言にエミュレーは大きく目を見開いて、ターネットは涙目で大きく頷きリースの両手を握った。


◇◇◇


「先にお戻り下さい。」


屋敷を出て田舎道を少し歩いて小さな商店に差し掛かったところで王子を振り替える。


「墓所に行くのか?」


「ええ…帰りは馬車を頼むので大丈夫です。」


「…。」


少し暖かな風が春の匂いを連れてくる。


「…殿下。」


「何だ?」


「私は(まつりごと)のことはよく存じませんが、早くご婚約者様をお決めになられては…」


つい立場もわきまえず口を付いて出てしまった…ターネットの切実な瞳が脳裏に浮かぶ。


「…うん。わたしもそうしたいのだがな…。」


王子は少し呆けたような表情になり頭を掻いた。


「出過ぎたことを申し上げました。本当にもうここで結構ですから…奥さまに花輪をありがとうございました…それにまた途中で魔力切れになっても困りますし…」


そう…今回はロド様のリングでわたしの魔力も制限されている。人前で急に元の姿に戻られてもわたし一人では王子を(かば)いきれない。小さな商店に着いて花束を2つ購入しようとすると王子が強引に支払いを済ませ左手を掴まれた。


「あ、あの…」


「見くびられたものだな…」


愛らしい唇は悔しそうに歪んでから歌うように呪文を唱えた。

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