臨時休暇 (3)
帰り道ではずっとうつむいて誰とも目を合わせないように早足で歩いた。
部屋に入るとホッとして思わずそのまま床に座り込んだ。
そっと例の手紙をコートの胸の内ポケットから取り出して机の上に置いてみた。
狭い部屋とすり減って傷ついたような家具の中、それだけが場違いに浮き立ってみえる。
「でも…たかが手紙だもの」
そっと封を空けようとした瞬間…
「お前!!ダメだよそりゃ~~!!」
と下品でボリュームの大きな男達の笑い声がする。
宿の一階が酒場になっているのだ。
リースはビクッとして何秒間か固まったあと、深呼吸をして慎重に封を破く。
すると…見たことのない複雑な、しかし美しい書体の飾り文字で書き記された書状が現れた。
紙は薄いシルバーホワイトにゴールドの金粉がかかっている。文末には王様の直筆のような堂々たるサインがしてあった。
「うわぁ」
みたこともない豪華な手紙にリースは手が震えた。
ええと…内容は…リースは興奮を抑えながらゆっくりと読み進める。
使用人には読み書き不要と言われていたが、幼いころ母に教え込まれたから大体の文字は読むことができたのだ。
宛先はスチュワート家に向けてのもので、来月ヴァンテリオス王太子殿下の誕生日に行われる宴への招待状のようだった。
「スチュワート家…」
聞いたことはないが、まさかこの国の王子様の誕生日に宮殿へ招待されるなんてよっぽどのお家柄なんだろう。
リースは次の瞬間…
「この招待状があれば王宮殿の庭だけでなく、城内にも入れるかもしれない…。」
そう気が付くとまた手紙を持つ手や身体がどうしようもなく震えだして両腕で自分の身体を抱き締めた。
その夜は下の酒場が静かになってからもなかなか寝付くことができなかった。
リースは手紙を2重に布でくるんで、コートの左胸の内ポケットにしまい込んだ。
◇◇◇
次の日、目覚めたのは昼を過ぎてからだった。
「お腹が減った…。」
召し使いの仕事は一切していないのに、きちんと一人前にお腹だけは空く自分の身体怨めしい。
むしろ今の方が自由な時間が増えた分食べ物のことを考えている時間が増えたような気がする。
昨日のパンがまた食べたいけど何しろお金がない。ウィンティート家に1日早く帰ってその分美味しいものを食べようか…。
リースは首を横に振る。目的の城門は見たけれど約束は一週間だったしまだ帰りたくない。
一番安いもの一つだったら食べられるかも…。でもいくら美味しくてもパン一つでは1日持たない。
あぁ、あんなにおいしいパンを毎朝お腹いっぱい食べられる貴族の奥様が羨ましい。
◇◇◇
その日は露店が立ち並ぶエリアに足を運ぶことにした。
宮殿から少し離れた場所にある王立公園には国内外から出稼ぎにきた商人達で溢れている。
「うわぁ」
リースは初めて見る光景に目を丸くする。
露店の安い食べ物が目当てでやってきたが、それだけでなくそこには大きな劇場や人工の湖があった。
露店には食べ物だけでなく珍しい動物や書物、骨董品や絨毯、騎士が身につける武具まで並んでいる。
近所で月に1回立つ食材が中心の市場とはスケールがまるで違う。
ここなら1日中見て回っても時間が足りないだろう。
「まずは食べなきゃ。」
リースはよく効く鼻でおいしいものを探し始めた。
歩いて数分後、何ともいえない香辛料の香りに足を止めた。平べったく大きな生地にたっぷりと茶褐色のソースか掛かっていて食べごたえがありそうだ。値段もちょうどよかった。長い髭の異国人から購入して広場で口に入れると、
「っ!!!」
リースは驚いて吐き出す。
辛いものには慣れていなかったから、涙と鼻水が溢れ出て身体からも拒否反応が現れる。
近くの噴水の水を構わず飲むと、髪の毛や洋服がビショ濡れになってしまった。
何人かが驚いたあような呆れたような視線をリースに向けた。
咳払いをしながらその場を離れる。
こんな時誰かが側にいてくれたら一緒に笑ったり心配してくれたりするのにな…。
そう思うと急に心細さが湧いてきた。ふと周りを見回すと小さな子供連れの家族やカップル、友人同士が沢山行き交っている。
「今日は休日だったんだ。」
ウィンティート家の使用人が1人きりになってからリースには休日というものがなかった。
不思議なもので慣れてしまうとその事自体何とも思わない。
ほどなくして近くで大道芸人のパフォーマンスが始まりリースの周りにも人だかりができていった。
それを楽しそうに眺める人たちはみんな笑顔で嘘のように幸せそうだ。
ビショ濡れのリースに目を止める者は誰もいない。
自分の存在意義のなさ。1人だけ世界に取り残されたような…こんな感覚は人生で二度目だろうか。
◇◇◇
宿に戻って今にも壊れそうな軋む扉を開けると、ひび割れた小窓から西陽が差し込み机上に置いた封書を柔らかな光が直線上に照らしている。
埃がきらきらと宙を舞って美しい。
リースはベッドから身を起こしてそのままクルクルと見よう見まねのダンスを踊ってみた。
かつてはウィンティート家でも接客用の大広間があって、お祝いの席ではダンスが踊られたものだった。
特に当時の当主であるミシェル様とその奥様マリー様のファーストダンスは素晴らしく、何ともいえないお二人だけの雰囲気に子供ながらにドキドキしたものだった。
「あっ」
次の瞬間机に足が引っ掛かり、もつれて床に倒れ込んでしまった。
背中に強い痛みを感じるのと同時に封書が空を舞ってリースの顔にポトンと落ちる。
「フッ…」
急に笑いが込み上げてきて止まらなくなる。
王宮殿に憧れてここまでやってきたけれど、どうだろう…今いる部屋はウィンティートのそれより古くて酷い。止まない空腹に着替えのない洋服はいつの間にか埃まみれになっていた。
こんな無様な自分…。
何故こんな自分の手元にこの国の王子様の宴の招待状なんかがあるのだろう。
そう思うと可笑しくて悲しくて惨めで笑いと涙が止まらなかった。
その夜は休日だけあって夜通し階下の酒場がうるさくてよく眠れなかった。
真っ暗な部屋に目が慣れてきて、天井の無気味な木目が見えてきた頃、明日ウィンティート家に帰ろうとリースは思った。