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里帰り (3)

「ちょ、ちょっとお化粧が濃くないかしら…。」


「こちらのドレスに合わせるならこのくらいがベストです。」


そういうものなのかしら…。王宮殿では薄い化粧で済ませていたからなおさら別人のようにみえる。細かいダイヤとエメラルドが散りばめられた赤いドレスは身体のラインが所々にくっきりと現れて姿鏡の前で顔を覆いたくなった。短い髪を金と珊瑚の(かんざし)まとめて、いつもは隠れているうなじの辺りには見たことのない植物の香油をたっぷりと塗り込まれた。


「ベタベタして気持ち悪いんだけど…。」


「すぐ気にならなくなりますのでご安心下さい。」


今日の侍女達は質問にも全て完結形で答えてきてこちらの付け入る隙を与えない…それにしてもこの甘過ぎる匂いは一体…。


ドアをノックする音が少しぎこちなく聞こえたのは気のせいだろうか。


「ハロックル様。」


個人的なディナーにしてはきっちりと正装したハロックル様のタイは私のドレスと同じ色だった…どうせお母様の仕業だろう。


「?…そろそろ参りましょうか?」


「え? ああ…そうだね…。」


ドアに立ったまましばし固まっていたハロックル様は本来自分から言うべきセリフを聞くと我に返って左腕を差し出してくれた。高いヒールはとても歩きずらかったが上手にエスコートしてくれたので問題なく夕食のテーブルに着くことができた。一番顔を合わせづらいお父様は既に席に着いている。


「ナズナちゃんてばハロックル様がいらしてくれたのにずーっとお部屋寝てたのよ。」


お父様の視線が痛い。


「進級試験が終わって疲れていたんでしょう。」


フォローの言葉かと思いきやハロックル様は思い出したくない単語を一つ口にする。


「申し訳ありません。おっしゃる通りちょっと疲れてしまいましたので…それにこれからに備えなければいけないと思いまして…。」


ハロックル様が床にフォークを落とす。


「失礼。」


来年度からは魔法の講義はほぼなくなり、実践を通してメイドの仕事に当たっていくのだ…ある意味体力勝負なところもあるので身体に疲れは残せない。


「お茶会では立派だったようだね。私も君の勇姿を見たかった。」


お父様はわたくし…ではなくハロックル様の方をみて満足そうに微笑んだ。


「そうですわ。ハロックル様が嵐から宮殿を守ったと…社交界でもそれはもう評判になっておりますのよ。」


「いえそんな…。」


「本当にハロックル様のような素晴らしいお方が息子になって下さるなんて鼻が高いわぁ。」


お母様は少し身を乗り出してハロックル様をみた後にこちらに視線を移して同意を求めてきた。


「私の方こそ…このような素敵なご家庭に温かく迎え入れて下さって幸せです。」


朗らかな三人の笑い声が食卓を包む…。お父様はわたくしの進級試験の結果に関して一切何も触れてこなかった。


「赤い龍を呼んだという…お前の同期のリースというメイドはどういう娘なんだ?」


少し眉を潜めてお父様はこちらを見る。


「…とても素直で話やすい良い子ですわ。メイドとして一緒に進級する予定です。」


「大丈夫なのかしら?」


お母様はお父様とハロックル様を交互にみた。


「ロド様が魔力を制御する腕輪を渡されていますから…それに…」


ハロックル様は(あご)に手を当てて一瞬空を見た。


「それに?」


「あの龍も…呼んだ当人がそうであったようにこちらに敵意は全く感じられなかった…きっと先生達や私が魔術を使わなくても被害はほぼなかったと思います。」


そう…リースに敵意なんてある訳がない。思わず大きく頷く。


「ほぅ…そこまで分かるのかね。」


「さすがはハロックル様ね。でもナズナちゃんも気を付けなさいよ。何でも随分親しくしているとか…」


「リースが危険な訳ありませんわ。」


顔を覗き込むお母様と目を合わさずに答えた。


「ナズナ…あの宮廷魔術師の筆頭ロドクルーン様さえ過去が視えなかった娘だ。それがどういうことかわかるね? 不用意に近づいては…」


頭の固い両親にイライラして軽くテーブルを叩いて立ち上がる。


「…ワンパターンね。」


一気に不機嫌になるお父様の横でお母様が何か言った気がしたが…ふと横に気配を感じて振り替えるとハロックル様がこちらに手を差し出した。


「一曲踊っていただけますか?」


「え?」


このタイミングで…と思ったがハロックル様なりに父の怒りを沈めようとしてくれたのだろう。こういうところが嫌いだ。


何度も踊ったことのある曲なのに高いヒールのせいで上手く動けない。


「すみません…足が(もつ)れて…」


「大丈夫…僕に身を任せて」


この人の胸はこんなに広かっただろうか…握られた手は長くてゴツゴツした指にすっかりと包まれている。身長だって…いつの間にか見上げる角度がこんなに急になってしまった。かつて子供の頃によく遊んだ幼馴染(おさななじみ)みが大人の男の人になってしまった。

正直に言うとハロックル様の発動させた魔法で宮殿もろとも水のドームに包まれたとき、惚れ直した…というよりは…何だかとても誇らしい気持ちになった。婚約者というよりは幼馴染みとして皆に自慢してやりたいという気持ちが湧いた。しかしそれと同時に彼がとても遠くに感じた。この気持ちを何というのかまだ自分にはよく分からない。


「ステキだったわぁ。」


ダンスが終わるとお母様は目を細めて拍手した。お父様はまだ一言も進級について何も言ってはくれない。


「ナズナ…とにかくリースというメイドとは距離を置きなさい。いいね?」


「…。」


「返事は?」


ハロックル様が何か言おうとする瞬間を横目にみて先に口を開く。


「嫌です。」


「何だと?」


ハロックル様がこちらをみて身を乗り出した。けれどももう止まらない。


「もう息ができません…」


「何?」


「そうやってお父様が何でも命令で縛り付けるから…!!

お兄様だってお父様がそんなだから家を出て行ってしまったん…」


パシーンッ!!


手を挙げたのはお母様だった。はじめて叩かれた頬を押さえながらボロボロと一気に溢れ出した涙が止まらない。


そのまま屋敷を飛び出したらまだ少し寒い庭園のライトアップが妙にロマンティックにアレンジされていた…。折れた片方のヒールの足がいつもの目線に戻してくれる。


「ッカみたい…。」


わたしにはそれはそれは優秀な兄と姉が一人ずついた。父は若くして大臣を勤めるほどの人物だったし母も才女と唄われた良家の子女だった。だから何故自分だけが何をやっても人並みだったのか不思議で仕方なかった。兄はパーフェクトに父の期待に応え続けていたが、外交官として赴任していた隣国ロデンフィラムで平民の町娘と恋仲になってしまった。しかもロデンフィラムでの永住を望んだ兄に激怒した父は強制送還しようとしたが、その前に兄は既に姿を消していた。

駆け落ちというやつだ。既に出来の良い姉は望まれて高位の魔術師の家に嫁いでいたから、何故か一番出来の悪い末っ子の自分だけがこの家に残ってしまった。

兄が行方不明になってからの父はひどく荒れた。どれくらい荒れたかというと母が離縁状(りえんじょう)をしたためたくらいだった。母や私が何を言っても父の耳には届かず、当時は姿すら目に入っていなかったかもしれない。見かねたかつての旧友のロゼット大臣が三男のハロックル様を婿(むこ)に出すことを決めてから父の心身は次第に落ち着きを取り戻していった。


「ナズナ…。」


ハロックル様は広い庭園でいとも簡単にブランコに座るわたしをみつけた。


「ハロックル様…。」


「…前から言おうと思ってたんだけど、二人の時は『様』はいらないよ。」


そう言うと叩かれた方の頬を撫でてから片膝をついて靴を脱がせると魔法でヒールの高さをいつも履く靴と同じくらいにしてくれた。


「ありがとうハロックル…あは…ハロックルだって…そう呼ぶと子供の頃に戻ったみたい。」


「ナズナはブランコが好きだったもんなぁ。」


後ろから背中を押されて風を切る身体がひんやりと心地よい。


「…巻き込んでごめんなさい。」


こんな家庭に…完璧すぎるハロックルがいつか兄のようになってしまうのではないかとずっと不安だった。


「…王宮殿で友達と食事している時の君は本当に楽しそうだった…お義父様には僕から説明しておいたよ。」


だから完璧な婚約者を演じるこの人が嫌いだ。


「お義母様も…」


「わかってる。」


母に叩かれた頬は全然痛くなかった。父が手を挙げる前にわざと叩いたんだろう…。


「ハロックルはどうしてこんな家に…」


親同士が決めた結婚にこんな野暮なことは本来聞いてはいけない。


「僕が望んだんだ。最初は養子の予定だったんだけどせひ婿になりたいとね。君が好きだったから。」


「え…。」


ハロックルの手が止まる。からかっているんだろうか…突然のことに驚いて…勝手に顔が熱くなって振り返れない。


「実を言うとね…ご両親からはお許しはもらっているんだ。」


「お許し…。」


『何でもOK…』なぜかこのタイミングでお母様の言葉が頭をグルグルと廻りだす。


「ナズナさえよければすぐにでも結婚しても良いとね。」


後ろから愛おしそうに頭を撫でられれば肩に緊張が走って背筋まで熱い。


「ナズナはどうしたい?」


ハロックルは隣のブランコに座った。子供の頃はよくこうして並んでどちらが高く上がれるか競争したものだ。


「わたしは…」


赤くなった顔を見られないように自分でブランコをこぎだして大きく深呼吸する。


宮廷メイドになんてなりたくなかった一年前だったらこの話に飛び付いていたかもしれない。


「メイドの二年生ではお裁縫…三年生では宮廷料理を学ぶの…お裁縫はきっと苦手だと思うんだけど…お料理は勉強してみたい…だから…まだわたし…」


「うん。」


ハロックルは少し目を細めて口角を上げた。


「ナズナは昔から食べるの好きだったもんなぁ。僕の分まで食べてただろ。」


そういうとハロックルもブランコをこぎ出す。


「やだ…あれはくれるってハロックルがいったのよ。」


「…そういうことにしとくか。」


「嫌な感じ。」


二人で同時に笑ってから、あの頃のように全力でブランコを()げば今にもキラキラと瞬く星空に吸い込まれそうになる。


「それに王宮殿の食堂めぐりは本当に楽しいの。コウモリのお店知ってるでしょ? 女の子みたいにキレイな男の子が店主の…今はあそこが一番かな。」


一週間の仕事が終わった後、想像も及ばないような料理が出てくるあの店でフィリやリースと過ごす時間が楽しい。


「…うん。あそこは僕も好きだ。でも何回誘ってもナズナには断られってぱなしでさ…幼馴染みにしたってひどいよなぁ。今度一度くらいは僕と一緒に行ってくれる?」


子どものように()ねるハロックルの表情が昔と重なって思わず頬が緩んだ。


「わかったわ。今度一緒に行きましょう…そう、おすすめのデザートがあるの! きっとハロックルも好きだと思うわ!!」


いつかの七色の味がするババロアを思い浮かべて満面の笑みで微笑むと急にハロックルは視線を逸らした。


「やっぱり…今日は部屋を代えてもらおう…。」


「え? 別にいいわよ。わたしが追い払ったみたいで悪い…」


――――――?!


急にブランコごと引き寄せられたかと思ったら目の前が真っ暗になり柔らかいものが唇に触れた。


「ごめんナズナ…僕が耐えられそうにない。」


ワントーン低い声と熱を帯びて(うる)むロイヤルブルーの瞳にやっと冷めた頬が急にまた熱くなる。そのまま立ち去る幼馴染みの背中が見えなくなっても、いっこうに鳴り止まない胸の鼓動を押さえながらまだわずかに揺れる隣のブランコをぼんやりと眺めた。

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