里帰り (2)
ナズナ編です。
「お帰りナズナ!」
あれ…帰る家を間違えただろうか。それともこれはまさか未来の光景だろうか…見慣れた大理石の玄関の奥の緩やかな螺旋階段から降りてくるロイヤルブルーの髪と瞳を持つ青年は片手にバスティラの花束を抱えて満面の笑みでこちらをみつめている。
「な、何で…。」
まだ結婚した覚えはない。
「進級おめでとう!!」
渡された花束は淡い大きなピンク色のリボンにバスティラの花はハロックル様と同じ青色と私のそれと同じイエローが溶け合うように混ざっている。
「おえっ…」
「ん? 何か言った?」
瞬時に隣の侍女に受け取った花束を預ける。
「い、いえ。ありがとうございます。今日は何故こちらへ?」
「僕も今日と明日は休暇なんだ。お義父上からお誘いがあって今日は泊まらせていただくよ。」
「!!」
いくら婚約者だからと言って嫁入り前の娘の屋敷に泊めるなんて…!
お父様のお気持ちは分かっている。宮廷魔術の研究生の中でも特に優秀なハロックル様を絶対に逃したくないのだ。
「そうですか。ではごゆっくりなさって下さい。わたくしはちょっと疲れているのでこれで。」
あらさまにミスしたお茶会以来お父様とは会っていない。それだけでも気不味いのにせっかくの休暇にハロックル様まで現れるなんて…まだ王宮殿で働いていた方が気が楽だ。
何か言おうとするハロックル様を背にして2階の自室へ向かい一年ぶりに大きなベットに倒れ込む。
「はぁ…まだ午前中だしもう一眠りしようかな…」
二度寝なんていつぶりだろう…やっぱり子供の頃から慣れ親しんだ自分の部屋は居心地が良い。王宮殿から馬車で20分と掛からない実家なのであまり故郷に帰ったという大袈裟な感じはない…気心の知れた侍女達は大好きなミュースの香を炊いて温かいゆずのお茶を入れてくれた。そして先ほどの「もう一眠り」を聞いていつの間にかさりげなく着心地の良い寝間着を用意してくれている。
幼い頃から侍女がいて当たり前の毎日だったから王宮殿での生活は心細かったし最初は自分で髪をとかすことさえ戸惑った。侍女がいるものと思ってふいに話しかけたら誰もいなくて一人ごとのようになってしまった瞬間が何度もあった。一人になって始めてそのありがたみを痛感したし、自分も同じような仕事をしたお陰で彼女達の苦労もそれなりに分かって感謝の気持ちが湧いた。
「ナズナちゃ~ん。」
着替えようとしたところにお母様が現れた。
「あれ? お母様…今日はお出掛けでは?」
「ええ。もう用事は済んだから。」
「そうですか…。」
メイドが2人分のお茶とお菓子を用意する。
「ハロックル様は?」
「さぁ…。」
母は出窓に飾られたバスティラの花をみて目を細めたあとすぐに厳しい顔付きになった。
「…ナズナちゃん、ハロックル様からのデートや夕食のお誘いを全部お断りしているって本当なの?」
そう言って自分に向けて勢いよくテーブルに置かれた扇子が尋問の合図かのようにピシッと渇いた音を立てる。
「へ? まさかぁ…。あの…まだ宮廷メイドになりたてで…たまたま疲れてた日と重なってしまっただけですわ…。」
ゆず茶を口に含んで視線を逸らす…
「ナズナちゃん…女の先輩として言わせてもらうけど、男性は女性が逃げれば逃げるほど追い掛けたくなるものなのよ…。」
「はぁ…。」
以前は男の人は繊細だからプライドを傷つけたらすぐ遠退いていくと言っていたような気がしたけれど…断り続けるという行為はそれには当てはまらないらしい。
「悪い結果は考えたくもないけれど…どちらにしても一度はちゃんと向き合わなきゃお相手に失礼よ。案外何でもOKしていたら向こうから飽きて去って行くかもしれないわ。」
「…。」
それはちょっと名案かもしれないと思った…今の自分には先に進む勇気もなければ思い切って破談にする勇気もない。ならいっそフラれてしまえば気兼ねなく自由になれる。
「優等生で男前…おまけに性格まで良くて火の打ちどころのないハロックル様なのに…婚約者がいる今でさえモテモテでお母様は心配だわ…。あ、もしかしてナズナちゃんすぐ飽きられるのが怖くて避けてるの?
それともわざと気を引くための作戦とか?」
何でそうなるんだろう…軽い頭痛がしてきた。
「…お母様…わたくし疲れておりますのでもう休んでもよろしいでしょうか?」
遅ればせながら反抗期がきた娘のようにテーブルを軽く叩き勝手に立ち上がって着替えはじめる。メイドとして働いた一年のお陰でリジェットやフィリの気の強さが多少自分にも移ったのかもしれない。
「んまっ!」
お母様は驚いて目を見開き何故か関心したようにマジマジとこちらを見ていた。
「…新しいドレスを仕立てたからディナーには必ずそれに着替えてきてね。進級おめでとうナズナちゃん。」
本来一番最初に聞きたかったセリフを付け足したように最後に言い残して母は部屋から出て行った。
わざと部屋の中央に置かれた赤いドレスと高いヒールは今さらやっと反抗期がきたような自分にはいささか大人っぽすぎると思った。
◇◇◇
一眠りして目が覚めてもカーテンの隙間から西日が差し込んでいるのがみえた…まだ夜にはなっていないようだ。そのままバルコニーに出てあくびをする。
「おはようナズナ。よく眠れたみたいだね。」
あれ…まだ夢の中なんだろうか…ハロックル様がうちのバルコニーで天涯付きの椅子にもたれて分厚い本を読んでいる。
「ハロックル様?」
視線は落としたままパラリとページを捲る音がやけにリアルだ…。
「案内された部屋がここだったんだけど、まさかナズナの隣だったとはね。」
「?!」
両親は何を考えているのだ…! 信じられない!! 最低っ!!
一気に目が覚めた瞬間にすかさず侍女が羽織を渡してくれる…しまった…こんなだらしない格好をみられて…と思ったらハロックル様は何故か目線を本に落としたままだった。隣の部屋といっても広いバルコニーで部屋同士が繋がっるのだ。今までは2部屋とも自分が使っていたがまさかそこにハロックル様を泊めるなんて…我が親ながら信じられない。
「両親が申し訳ありません。」
何だかハロックル様にまで恥ずかしくて申し訳ない気持ちになってきた。
「…僕は構わないけれどナズナが嫌なら部屋を代えてもらおうか?」
「…。」
『逃げれば逃げるほど…』何故かこのタイミングでお母様の言葉が頭をグルグルと廻りだす。ここで頷いては何かに負ける気がした。
「いえ別にわたくしは構いません。」
そう言ってバルコニーを後にした瞬間バサッと本が床に落ちる音がした。




