嵐のお茶会 (3)
大勢の招待客に囲まれるヴァン王子とふいに目が合う。
「リースと申します。よろしくお願いいたします。」
声が途中から裏返ってしまった。
「うん。存分に一年間学んだ魔法を発揮するがよい。」
笑顔こそ柔らかいが、この妙に澄んだ鋭い瞳が怖い。早々に目を逸らして深々とお辞儀をしてその場を離れた。ちょうど隣のテーブルに空いたお皿があったので呪文を唱えて片付け始める。緊張はしていたが想定よりも招待客の人数が多い割りには上手く動けていると思う。何より他のメイド3人のサポートも心強かった。それにフィリの派手な演出とヴァン王子の登場のお陰でお茶会自体はとても盛り上がっており、招待客の笑い声が絶えない。
よかった…周りもほとんど自分を見ていないし…ミスさえしなけば最後まで問題なくいけそう…地味パートの4番バンザイ!! と思った時だった…
「ライスミルフィーユとショコラトルテを。」
レリア様の声が聞こえた気がするが中央テーブルは遠いし…聞こえない振りをした。すかさず近くにいたリジェットが中央テーブルに向かっているのが横目で見える。
「いや、せっかくだから魔法でお願いしよう。」
ヴァン王子はわざとこちらに聞こえるくらいのボリュームで言った…が、もう一度聞こえない振りをしてみた。
「…リース、こちらへ。」
レリア様の圧の物凄いこと…
「レリア様、申し訳ありません。もう一度お伺いしてもよろしいでしょうか?」
「…ライスミルフィーユとショコラトルテを。」
げっ…スイーツ2種類か…同時にいけるかな。
「かしこまりました。」
ヴァン王子をちらりと見るが、こちらを見向きもせず大勢と談笑している。くっ…なんでわざわざ魔法で…別に加点なんていらないのに…。でも昨日練習しておいてよかった。
「ベスリム~ルバーレガルニ~」
確実に呪文を唱えればゆっくりとだが注文のスイーツが中央テーブルへやってくる。よ、よかった…。
「抹茶を。」
王子は会話のついでのように言った。
「え?」
「あ、ではわたくしも抹茶を。あとこちらはタルトタタンとチェリーザヴァイオーネ…あ、あとラズベリーリーフティーも。」
「へ?」
ちょ、ちょっと4番パートにそれはないんじゃあ…。周りを振り替えると3人は全くサポートに入る気がなさそうだった…く、くそ~王子が魔法でなんて言うから。どうしよう…4種類同時は無理だからまず身分の高い人から優先して抹茶から…抹茶はすごく難しいのに…
「リクリクヘジユンウジブレニグ~」
ほっ…無事に運べた…よし、次はラズベリー…カチャーン―――――!!
白金とピンク色の美しいテーブルクロスがどんどん鮮やかな深緑に染まっていく。
「あぁ…すまない。確かこういう片付けも魔法の課題の範囲内なのかな?」
「え?」
王子は固まるリースからレリア様の方へ顔を向けた。
「…まぁそうですわね。こういうことは想定内のはずですから。」
レリア様はサファイヤの大きな瞳で真っ直ぐにこちらを見つめている。
隣の王子の口許が微かに嗤っていた。
え? 何これ…今わざと溢したでしょ…絶対わざとだよね…何? 何のために…?
3人も例のごとく助けには来てくれない…
「ではこれを魔法で片付けてくれたら私の持ち点は全て君にあげよう。」
「おぉっ。」
王子の発言に次第に周囲の注目がリースに集まり出す…
何それ…王子の持ち点? そんなのいらないのに…こんな…こんな見世物みたいなこと…
あまりの衝撃に動けずにいるとラルファモート先生が遠くで両の手の平を上に向けて動かしているのが見えた。
「あっ!」
大きな声に周囲の人々が一瞬驚く。
そうだ…授業で一度だけ習った。液体を一瞬で気体にして空へ還す。えーっと確か足を肩幅に開き、手の平を上にして
「ピュ~ロンドゥークタツチュシエ!」
みたいな言葉だったような…。
「あれ?」
魔法が発動しない…やっぱり一回の授業じゃあ無理だったかな…。
「ん?」
その時会場に大きな影が掛かった。
「きゃぁぁぁぁぁ~!!!」
大勢の人が空を見上げて悲鳴を上げる。頭上には何と巨大な赤い龍が現れ空全体を覆っていた。
「ハロックル君っ!!」
宮廷魔術の講師に指示されてハロックル様は招待客を宮殿に避難させた。
「ひぇぇぇぇ~。」
リースも慌てて逃げようしたところを立ち上がった王子に腕を捕まれその場に引き摺り戻されてしまった。その強い力と勢いにそのまま芝生に倒れ込む。
「ぎゃっ。」
嵐のような風が会場を襲う。
「殿下も早くこちらへ!!」
ハロックル様がヴァン王子に駆け寄るのを制して王子はリースの目の前に立ちはだかっていた。ハロックル様はやむなく宮殿へと走り何やら詠唱を始める。ラルファモート先生や宮廷魔法の講師達も円になって大きな魔法陣を描き始めた。
「なっ…。」
恐怖で腰が抜けて立ち上がれない。
吹き荒れる風の中、目の前の王子は微動だにせずこちらを見下ろしている。辺りが暗いせいだろうか…その瞳の黄金色が光が浮き立って見えた。宮殿はハロックル様の魔法によってどんどん水のドームに包まれ、ラルファモート先生達が描いた魔方陣が動き出し黒雲が次々に現れる。
「お前何者だ。」
放たれた言葉はリースの全身を突き刺す。
怖い…今度こそ…今度こそ殺される…
「い、嫌だ…。」
頭上で龍が渦を巻きだし始めた。
「まずいッ!!」
ラルファモート先生達の声が遠くで聞こえる。その時王子の背中を白い影が一瞬横切ったかと思うと空に王家の霊獣シーオンが現れた。
「なっ…。」
二つの頭は狼のような顔で白銀の胴体からは虹色の羽が生えている。
上空は風と炎と七色の光でとんでもないことになっていて上手く目が開けていられない。
「で…殿下…。」
その時、一気に龍の頭が王子の目前に迫って一瞬で消えた。ほぼ同時にシーオンも姿を消して、ラルファモート先生達が呼んだ黒雲がワンテンポ遅れて空を覆い、嵐が静まった宮殿にポツポツと雨を降らせ始めた。
「殿下―――!! お怪我は?!」
宮廷魔術の講師達と駆け付けて来た護衛兵達に一斉に王子は囲まれる。
「大事ない。」
既にずぶ濡れのヴァン王子は額に掛かる白銀の髪の間から鋭い視線をリースに向けた。
「その者を捕らえよ。」
それだけ言うと、全てが吹き飛んだ会場を後にするヴァン王子の背中は取り巻く人々に隠れてすぐ見えなくなった。護衛兵に手錠を掛けられ両脇を引き摺られながら…リースは思いの外近くに飛んできた青いボールを囲うように出来た濁った水溜まりをぼんやりと眺めた。