嵐のお茶会 (1)
バッシャーンッ!!
ぎゃぁぁぁ~溺れる!! と思ったら足元に泥の感触がしてつまさき立ちするとかろうじて顔だけ水面に出た。
「殿下?!!…と、リースさん…ですか?!」
桟橋から驚いてこちらを見下ろす青年は何度も夢にみた愛しのイーリス様だった。
「ここがお前の辿り着きたい場所か。」
王子はずぶ濡れになりながら呆れた顔で振り返った。
「バ、バスティラの庭園をイメージしたんですけど…。」
どうやらイーリス様が勝ってしまったらしい…
「バ…」
ブクブクブクブク…。
急に目の前から王子の背中が消えてリースの周りを無数の気泡が包む。
「へっ?! で、殿下――?!」
血相を変えてイーリス様が湖に飛び込む。
「ゴホッ」
激しく波立った水面の水をリースは呑み込んでしまった。咳き込みながらやっとのことで顔を上げ息をすると桟橋に残されたオレンジ色の夕陽が斜めの水平線に歪みながら落ちていった。
◇◇◇
「もうよろしいのですか。」
陽が昇らない早朝から書斎の机に向かうヴァン王子はまだ夜着のまま黄色い眼鏡を掛けている。
「あぁ…お前にも迷惑をかけた、イーリス。」
「もう少しお休みになられは…。」
この王子は集中すると何日も寝食を忘れてしまうことがある。
「あの娘…リースが移動魔法を使ったぞ…かなり近距離だがな。」
「え?!」
移動魔法といえば、宮廷魔術の研修生の3年生が修練を積んでやっと身に付ける魔法の一つだった。一介のメイドが易々と使えるものではない。
「今まで何を見ていた。」
視線こそ書類から外さないが王子の声には明らかにイラ立っていた。
「申し訳ありません。」
…あの娘の魔力は明らかに微弱で、進級試験もほぼ難しいと思わるほどだった。
立場上、今まで目の前に姿を現すことは極力避けてきたが…水仙の庭園のベンチで泣いている姿をみたあの日はさすがに声を掛けようと思った…だが肩に触れようとした瞬間――
「あの日…突然彼女は私の目の前から消えたのです。」
「何?」
ヴァン王子は眼鏡を外してイーリスに視線を向けた。経緯を説明すると王子は左手で額とこめかみを押さえ、目線を机に落とし何か考えているようだった。
「その魔力は彼女自身のものなのでしょうか? それとも――」
「分からない…今回はポポラーの花も加えて湯浴みさせたが…何も見えなかった…全く何も…。」
黄金の実ウーデンは本人の過去、真紅の花ポポラーは周辺の人物を透視するのに効果がある。王子はとても悔しそうだった。幼いころから何事にも秀で全ての分野で負け知らずの王子にとってこのような事態は屈辱に他ならなかったようだ。
王家の始祖然り、王族にとって魔力は高ければ高いほど、その事実こそが、その者をこの国の王足らしめるものだった。魔力は戦となればそれがそのまま戦力となり、外交や内政でも相手の腹の底を見透かす能力となる。世界の情勢が平和になってからは権力を分散させるために公の場で国王自身が魔法を使わないことが暗黙の了解となっているが、実際、宮廷魔術師の筆頭ロドクルーン様さえ信用していないこの若い王子はこの国、いや、世界一高い魔力を手に入れたいと望んでいる。魔力に関しては並々ならぬ思い入れがある分、一介のメイドの過去さえ見えないのは由々しき事態のはずだった。
「…わたしはあの娘を甘く見過ぎていたのかもしれない。もし背後に誰かいるにしてもその者を炙り出さなくては…。明日の進級試験が終わったら結果はどうあれリースをここに連れて来い。」
「かしこまりました。」
イーリスの目元も自然と険しくなる。
◇◇◇
「急に絶好調じゃない。」
易々と3枚同時にお皿を下げるリースにフィリが驚く。
「ほんとにスゴイわ、リース!」
ナズナも一緒に喜んでくれた。
リジェットはお茶会の足を引っ張る不安がなくなったリースに安堵のため息をついた。
「ほほ。何があったか知りませんが大分自信がついたみたいですね。」
ラルファモート先生も普段以上の実力を発揮するリースにとても満足そうだった。
昨日、突然湖に沈んだヴァン王子の容態が気になったが、今朝イーリス様が無事目を覚まされたことを教えてくれた。そして「明日はがんばって下さい。」と久しぶりに見る甘く優しい笑顔で励ましてくれた。それに成り行きだったとはいえ、強い結界がある王宮殿の外でも魔力を行使できたという事実はとても自分の自信になった。
「では、今回はオーダーがあるか分かりませんが、リースも飲み物を魔法で出せるように練習しておきましょう。」
「はい。」
何だか出来る気しかしない。
「やけに調子がいいわね。加点でも狙うつもり? 残念だけど4番では招待客もほとんど残っていないし、加点は私がもらうつもりよ。」
普段はあまり話さないリジェットから急に対抗心のようなものを燃やされてしまった。
「ううん。私はみんなと一緒に進級ができればそれで十分だわ。当日は協力して素敵なお茶会にしましょうね。」
普段では考えられないようなセリフが自然と口からこぼれて、自分が爽やか主人公にでもなったようで気分が良い。
リジェットは笑顔を引きつらせて腕に湧いた鳥肌を撫でていた。
◇◇◇
進級試験当日。冬にしては暖く、ほどよく日差しを隠す雲がプカプカと浮かぶまさに絶好のお茶会日和だった。この日は午前中は休講となり午後15:00からお茶会がスタートする。お昼の最終的な打ち合わせも終わって後は本番を待つばかりとなっていた。
「15:00からスタートなんて…朝からずっと緊張しててもう吐きそうだわ。」
水仙の庭園近くで簡易な天幕の下に4人は待機していた。
「まぁお茶会は普通午後からだからね。リース、タイが曲がってるわよ。」
メイド服の紺色のリボンタイをフィリが直してくれる。
「わたしなんて昨日から緊張して…あんまり眠れなくって。」
ナズナの顔色はどこか青白く、さっき行ったばかりなのにもう一度お手洗いに行くと宮殿に走っていった。
招待客は最終的に全部で28人になった。ナズナの父親含む大臣以下の高級役人、宮廷魔術の講師達にそこの研修生のナズナの婚約者ハロックル様、あとはメイドの裁縫・清掃・料理など各部門のトップの大先輩たち、それにメイド長兼王妃様付の侍女レリア様…といった非常に胃が痛くなりそうな面々だ。
「4番の私でこんなに緊張してるんだから…リジェットはトップバッターで緊張しないの?」
「私はこの日が待ち遠しくてたまらなかったわ。もう一度会場をチェックしてくるので失礼。」
本番前に話し掛けられたくないのか、リジェットも2人の元を離れて行ってしまった。
ナズナ情報によると、このお茶会では各部門のメイド長が将来自分のところに引き入れたいメイドをある程度選定しているらしい。さらに年頃の息子がいる大臣の場合、気に入ったメイドをぜひ花嫁にと後日声を掛けられることもあるそうだ。
「さすがリジェットね。」
今日ばかりはあのファイトが羨ましい。リジェットのピリピリした空気とは対象的にフィリはどこかゆったりと構えていた。
「フィリなんて実力があるのに3番だから余裕でしょ? いいなぁ。」
リースは机に突っ伏してフィリを見上げた。
「どうかしら…。ところでその青いボールは何?」
「お守りよ、お守り。」
この際、大臣のお目に留まろうなんて贅沢は言わない…というか4番の時点では既に退席していていないだろうし…。
メイドの2年生に進級さえできれば構わない。
リースはもう一度青いボールを胸元で握り締めて大きく深呼吸した。




