臨時休暇 (2)
「おばあちゃんごめんなさい、このご恩は忘れません。
お金を返すあてはないけど…。」
呟きながら、リースは今日の夕方改めて城門を見学にいこうとまたワクワクした気持ちになっていた。
裏通りの店はまだオープンしていないようだったが、どこからともなくパンが焼ける匂いが漂ってくる。
身体もすっかり元気になって、匂いを嗅いだら急にお腹も空いてきた。
冷たい空気をなるべく吸い込まないように鼻をピクピクさせながら匂いの元を辿っていく。
すると予想以上に店構えは小さいが、山盛りに積まれたパンが何種類も置いてある一軒のパン屋に辿りついた。まだオープン前だが十数人並んでいる。
店の看板は異国の文字で記されており、リースには読めない。
「すみません。ここのお店は有名なんですか?」
先頭から3番目に並んでいた気弱そうな中年の男性に尋ねてみる。身なりからすると中流貴族の使用人といったところだろうか。
早い時間から並んでいたのか、鼻を真っ赤にして眠たそうな顔をしている。寒さで強張った筋肉を確かめるように口をモゴモゴさせながら、
「この辺りでは一番の老舗になります。
わたくしどもの奥様は自宅で焼くパンではご満足されず、ここのパンしかお召し上がりになりません。
そのためわたくしが毎朝こうして買いに参っている次第で…で…ッ」
ブワッっクションッ~~クソッ!!
話し声の何倍ものボリュームの大きなくしゃみに2、3歩後退りする。
キレイに禿げ上がった頭のてっぺんに残った数本の毛が北風に靡いて余計寒そうだ。
リースは何だか彼が気の毒になってきた。
そのパン好きの奥様とやらのために、雨の日も風の日も雪の日もこうして毎朝並んでいるのだ。
自分が食べられる訳でもないパンを買うために。
本当に使用人なんてつまらない。
なぜ母がそんな仕事に侍女頭になるまで邁進していたのか全く理解できない。
「失礼いたしました。」
男は何事もなかったかのように澄ました顔にもどる。
「あと4分ほどで開店するはずです。」
話をしている間にも人は増えて、気が付くと行列は20人になろうかというところだった。
「ありがとうございましたっ。」
軽く会釈しあわてて列の最後尾に並ぶ。肝心の値段のことが聞けなかったが、既に3日分の宿代は浮いた訳だから、少しくらい高くてもとびきりおいしいものを食べよう。
あの男の言葉通り、お店はきっちり4分後にオープンした。
狭い店内に人々がごった返す。
しかしそのほとんどが購入するパンを決めていた上に、大分買い慣れているようで、思ったほどの混乱はなくスムーズな人の流れが出来上がっていく。
リースはその流れに逆らってパンを吟味する。
何かの果物を材料にしているのか宝石のようにキラキラと輝く粒々が乗っているもの、真っ黒でやけに平べったいもの、見た目とは裏腹に匂いはとても芳しい。
また、なだらかなクリームを纒い渦を巻く真っ白いフワフワしたそれは…口にした瞬間にとろけてすぐなくなってしまいそうだ。
まだ何種類もの焼きたてパンが並んでいる。値段は1つでも最低通常の3倍くらいはする高値だったが、リースは思いきって4つ購入することにして会計の列に並んだ。
しかし、いざ支払いをしようとすると、財布の残金がちょうど手持ちの4/7ほどになっていることに気付いた。
「あれ?!
まだお金は使ってないのに…。」
まさか倒れた時に盗られたんだろうか…でもこんな中途半端に残すだろうか。
もしかして助けてくれたおばあちゃんが?…
でも宿代なら全財産でも足りないくらいだしそれも考えにくい。
しばらく固まっているリースに会計のおばさんが怪訝そうな顔で覗き込む。また並び直したくないし何よりどれも食べてみたい…
えいっと銀貨を取り出して支払いを済ませた。
お昼を抜けばいいや。それにしてもせめて3つにしておけばよかった…。
◇◇◇
なるべく温かいうちに食べたくて、人ごみを掻き分けて通り沿いの街路樹の下のベンチまで小走りする。
パンは美味しさはさることながら、それぞれ食感も味もまるで違って、食べていてずっと楽しくて幸せな気持ちになった。
これなら毎日でも食べたい。
少しだけあの中流貴族の奥様とやらの気持ちが分かる気がした。
いつもは冷たく固くなったパンをスープに浸して胃に流し込むように食べていたから、感動もひとしおだった。明日もぜひ食べたいんだけど…
お金はどこに消えたんだろう。
リースは早速安宿を探しに裏通りのさらに裏通りを歩いた。
◇◇◇
同じ日の夕暮れ前、やっと念願の城門を見るために宮殿の目の前までやって来た。
辺りを見回してもまだ誰もいない。もう少し時間が経てば見物の人々も増えると思うのだけど。
リースは少し興奮気味に辺りを行ったり来たりしてはため息をつく。
城門も王宮殿も子供の頃よりは小さく見えるかと思っていたがそんな事はなかった。
相変わらずスケールの大きい荘厳な姿をしている。
むしろ以前より迫力は増しているようにも感じるのが不思議だった。
お庭なんてどんなに素晴らしいんだろう…
門の僅かな隙間を覗き込んだ瞬間…
ギギィーッ!!
重そうな鉄の扉が勢い良く開門したかと思うと、
背の高い白馬車が次々に何台も飛び出してきた。
「キャー!!!」
目を瞑りを慌てて屈みこむ。
馬車はかなり急いでいるようだった。リースに気づいた風もなく、馭者は激しくムチを打ち大通りに向かって突進していった。
砂埃が立ち上る中、そうっと目を開けると目の前に1通の封書が落ちていた。
拾い上げて見てみると、素材は布地のように厚く、手触りは絹のように滑らかだった。裏返すと黄金色の丸い詮で封簡がされている。詮の中央には王家の紋章であるシーオンという双頭の霊獣が描かれている。
「これは…何だろう。」
ふと視線を感じると少し離れたところにいる門番がこちらに気づいた。
リースは目が合いそうになるや否やとっさに封書を胸元に隠してしまった。
なぜそうしたのか自分でも分からない。
ともあれ砂埃のお陰で門番に封書は見えなかったようだ。
ほどなくして見物に訪れた人々が城門の周りを取り囲んでその時を待った。気が付くといつの間にか、その人数は千以上になっていた。
陽が落ちかけて空が少し暗くなった瞬間、まず宮殿から強い光が放たれ、そこから同心円状に外に向かい明かりが次々に灯されていく。
それだけでも息を呑む迫力で、訪れた人々からは拍手が沸き起こった。
少しの間の後、城門にはダイヤモンドのように輝く無数の光の粒が現れて、糸のように一本の線を描いたかと思うと、雪の結晶のような美しい幾何学模様が次々に生み出されていく。それは大きくなったり、小さくなったり、また別の模様へと絶えず変化しながら、ついには城を取り囲む城壁を全て埋め尽くしてしまった。
人々からは歓声が上がり、皆口々に
「国王陛下万歳!!」
などと惜しみ無い称賛を送っている。まるでこの王国の繁栄を物語るかのような絢爛豪華なイリュージョン。
「やっぱり初日に見た模様だわ。」
リースはその様子を少し離れた場所でぼんやりと眺めていた。
せっかく最前列をキープしていたが、門番の目が気になって仕方がなかった。
封書を拾ったことを隠したら罪に問われるだろうか…。そう気にしながらどんどん城門から離れていって、遂には人ごみから少し遠ざかった場所まで後退りしていた。
今からでも門番に返して来ようか…。
「でも、たかが手紙だもの。
そうよ。とりあえず今日は持って帰ってみよう。」
まだ大勢の見物客は光の魔法を目を輝かせながら楽しんでいるようだったが、
リースは早々にその場から逃げるように離れて、裏通りの裏通りのさらに裏通りの安宿へと戻った。




