再び王子様と…(3)
「ここに入りますけど…。」
無言のまま人混みを5分くらい歩いてそのお店に到着した。デディさんの言葉は決しておおげさではなく店の前には大行列が出来ていた。
「他の店ではダメなのか?」
男言葉のままヴァン王子は半眼になる。
「はい。」
現金の持ち合わせがないのだ。
「お疲れでしたら先にお戻りになられたら―」
と言った側からキッと睨まれてしまった。そんなに嫌なら帰ればいいのに…どうしたら敵意がないことを分かってもらえるだろうか。
「あの…自分でいうのも何ですが、私は魔法が全然ダメで…とても殿下に何かできるような器ではございません。」
「…。」
王子は難しい顔をしたまま何も言わなかった。店内は白とオレンジの曲線で音符がデフォルメされたとても可愛らしい内装だった。周りを見ると家族やカップルが多いのでヴァン王子がいてくれて良かったとちょっと思った。
「じゃあ、このペリソナの花のシチューのパ――」
「アップルパイを」
王子が注文を遮った。
「え? まだ食べるんですか? 私はこの券を使うんで、現金は持ってませんけど。」
さすがにリースもイライラしてきた…勝手に付いてきて偉そうに…いや、王子様だから実際偉いんだけど…でも…もう王宮殿を出ようと思うし臣下でも何でもないし…。
「何だと?」
王子は目を見開いた。
「まさか殿下も現金を持っていないんじゃあ…」
図星のようだ…。
「あのぅ…ご注文は…。」
「アップルパイを。」
王子は押し切った。くぅ~しょっぱい物が食べたかったのに…!
「あ~リース!! 来てくれたのね! あれ? 今日はお休み? 確かもうすぐ進級試験じゃあ…。」
「あっ、デディさん! えぇまぁ…。」
聞きたくない単語を耳にして明からさまに渋い顔をしてしまった。
「こちらの可愛らしいお嬢さんは?」
「あぁ…えーっとお友だちのヴァ…ヴァン…ナ…ヴァンナちゃんです! そう、ヴァンナちゃん! こちらは私の職場の先輩デディさんです。」
王子はデディさんに急ににっこりとおしとやかに挨拶し始めた。
「まぁ本当に可愛らしい。ごゆっくりね~。」
その豹変ぶりは見事なものでしばらく呆気にとられて固まってしまった。
「進級試験でつまづいたのか?」
王子はまた元の無愛想な表情に戻り、デディさんがサービスしてくれた紅茶を啜った。
「なぜそれを…」
王子様はメイドの進級試験なんて気にも留めてないと思ってたけど…
「そんなところだろうと思っていた。」
「え?」
カップを置きながらヴァン王子がわずかに微笑んだような気がしたのは…見間違えだろうか…
「…魔法が思うように発動しないんです…このままじゃ進級は絶対無理だし、みんながんばっているのに最後にお茶会の場を壊したくないんです。」
リースはうつむいた。
「話にならんな。」
王子はまた無表情のままナッツとクリームがたっぶり乗った焼きたてのパイを崩す。
「殿下のような生まれつき恵まれた方には私の気持ちなんて分かりません。」
現ゼウエ王が病に伏せってから、事実上の政務を取り仕切っているのがこの若きヴァン王子様らしい。そんな大層なお方に…生まれも容姿も人並み外れた魔力さえ手にしている人に…こんな落ちこぼれの惨めな気持ちなんて分からないだろう。
「まだ付いてくるんですか?」
確かにデディさんのお店のアップルパイは最高だった。ただ店内の幸福感に満ちた温かい雰囲気と目の前の存在がやけに眩しくて、何だか心の置き場所がなかった…道行く人から宮廷メイド服姿の自分向けられた羨望の眼差しも今や不快な違和感でしかない…もう一人になりたい。
「あ…。」
目の前を巨大なシャボン玉が通り過ぎ、前方にいつかの王立公園の広場が現れた。
「今日は休日だったか…。」
ヴァン王子がふとため息混じりに呟いた。多国籍な露店が立ち並び、辺りは大勢の人々で埋め尽くされている。目の前のカオスの中、やがて中央の噴水広場の前では雑踏に紛れてやっと空間を設けた大道芸人がパフォーマンスの始まりの合図に白い鳩を飛ばした。
懐かしい…ちょうど一年前、ウィンティート家を離れた時にここに来た…。
「あれは魔法ですか?」
ライトグレーのスリーピースの男が無数のカラフルな輪を宙で泳がせている。
「あれは違う…。」
そういうと王子は人だかりから一歩下がり、左腕をクルリと回すとさっきのデディさんのお店で食べ損なったペリソナの花のシチューパイを出した。
「うっそぉ…。」
黄色い花の鮮やかさまで見事にそのままだった…。
「これが魔法だ。」
王子は顔色一つ変えなかった。
「これ、温められますか?」
「…。」
噴水のヘリに座って熱々のパイを2人で分けた。こうしていると本当に仲のよい女友達に見えるだろう。
「…あの天井絵も殿下が?」
ヴァン王子は一瞬何のことか分からないような表情をしたが、数秒の間のあとすぐ理解したようだった。
「まぁ一応。」
「!!…じゃああれも…天井絵と同じいつかの城門の装飾も殿下が生み出されたのですか?!」
王子は一瞬目を目開いて驚いたような顔をした。
「…あれは違う。そもそも城門と城壁の装飾は宮廷魔法使いの筆頭が行うものだ。今でこそ意味合いは薄れたが、あれは他国に我が国の魔術のレベルが最高峰であることを知らしめる役割があったからな。私の部屋の天上絵はほんの一部分の小さなレプリカのようなものだ、本物には到底及ばない。」
王子は空を見てため息をついた。
「そうですか…そのお方は今どこに?」
毎日が忙しすぎて忘れていたが一度お会いしてみたかった…そもそも一年前、あの装飾に憧れて王宮殿に来たのだ。
「もう亡くなっている…なぜ現在と違う者だと分かった?」
王子はこちらに視線を合わせた。クリクリとした瞳がやけに可愛らしい。こういう娘がタイプならルリアル様がドストライクなはずなんだけど…。
「だって…全然違うじゃないですか。」
「そうか?」
「よく分かりませんけど。誰がみてもきっと分かると思います…あれは…あの装飾は素晴らしかった…息をするのも忘れるくらいです…『繊月の夜、真紅のミザリーの花が散りゆくなかで黒いダーラの群れの大移動がはじまる…陽の光を乱して灰色に街を映す濃霧の中、朝露に輝く蜘蛛の巣に捉えられたモルフォ蝶の横で黄色い巨大なオーヒメランの綿毛が一斉に青空へと駆け上がる…』」
左手にパイを持ったまま思わずリースは立ち上がる。
「『…オームルワシの旋回…嵐の海のうねりと古代トントリアの儀式のダンス…』」
王子の声が風に乗ってふと聞こえてくる。
「そうっ! それです!!」
リースは興奮して王子を振り替える。王子は驚いた顔をしてから少し困ったような顔で微笑んで、目を逸らしてうつむいた。
「羨ましいです…高い魔力を持つとあんなに素晴らしいものまで生み出せる…。私なんて一年魔法を学んでもお皿一枚まともに下げられない…。」
またふと我に返って暗い気持ちになってきた。お祭りムードの賑やかな音に取り残されてしばらくの沈黙が流れる。石畳の床に落ちたパイの食べカスを数羽のハトがつついていた。
「…まず動かすものを自分だと思うことだな。」
王子は思いがけず遠い空へと舞い上がってしまった赤い風船をその手元に呼び戻し、持ち主の泣きじゃくる少女の元に返してみせた。
「え?」
「あの風船は自分。だからどこへでも行きたいところに移動できる。身体の一部でもあるから割れるなんて起こりえない。一枚の皿とて同じこと。」
「は、はぁ…。」
どういうことだろうか…。王子はリースの目の前に立った。
「深呼吸。」
可愛い顔をして有無を言わせぬ命令口調…。さすが王子様だ…。
「すぅぅ~はぁ~」
身体の力がふわりと抜ける。
「目を瞑れ」
急に周りの雑音が遠くなった。
「意識を広げて」
何故か空と大地が頭に浮かぶ。
「目を開けて…あの青いボ=ルをこちらへ。」
「え?」
王子が指差したのは大道芸人が宙に浮かせていたカラフルなボールの一つだった。
「余計なことは考えるな。あの青いボールは既にこちらへ来ることが決まっている。正しくイメージしろ。それができたら呪文を唱えるんだ。」
あの青いボールは私の手…こちらに既に来ることが決まっている…。もう一度深呼吸して頭にイメージする…。
「ロ…ロイタラミカウリニスカ~」
するとクルクルと横に回転しながらリースの手元に収まった。
「でっ、できた!!」
信じられなくて青いボールを固く握りしめながらウルウルしてしまった。
「このくらい子供の魔力だってできる。」
ため息混じりに王子の面倒臭そうな声が漏れた。
「でも…嬉しい…ありがとうございます!!」
泣き顔のまま振り替える。
「あ、あれ?」
再び噴水のヘリに座っていた王子はリースの驚いた顔に眉をひそめた。
「お姿が元に戻ってますけど…」
「?!」
目を見開いて自分の手元を見つめる王子と同時に周囲の声が自分達に向けられ始めた。
「何あれ? 王子様と王宮メイド様の格好で宮廷コスプレかしら…。」
「それにしても衣装も本物のように良くできてるわね。」
「王子様なんて…超格好いいじゃない…まさか本当に本物なんじゃあ…。」
「バカね、本物の王子様がこんなところにいる訳ないでしょ。」
「あんなに高貴な雰囲気のお方みたことないわ…」
「噴水広場の近くだし何か出し物でもやるのかしら…。」
だんだん大道芸を見ていた周囲の人々が、1人、2人とこちらに流れ出す。
「ちょ、ちょっと殿下…早く変身して下さい…!」
薄ら笑いを周囲に振り撒きながらリースが後退りする。
「もう魔力がない…。」
王子は腕を組んだまま固まった。
「ど、どうするんですか…どんどん囲まれてますよ…何か…何か一曲歌っときますか?」
次の瞬間、王子に肩を捕まれ口元に耳を引き寄せられる。
「へっ?!」
「…よく聞け。ここと王宮殿とは目と鼻の先だ。宮殿内の辿り着きたい場所をイメージしろ。」
「えっ?」
「早く」
「は、はいイメージしました。」
やっぱり何度も通ったバスティラの庭園…イーリス様にもう一度お会したかった。
「私と同じように唱えるんだ。」
これから王子が試みようとしている事の無謀さに愕然とする。
「はっ?! まっ、まさか…無理ですよ! 移動魔法なんて習ったことがありません!!」
怯んで逃げようとした矢先に身体を引き寄せられてマントごとくるまれてしまった。
「あわわっ」
暴れてみたが首根っこと腰をがっちり固定されてビクともしない。
「さっきと同じくらい魔力があれば誰にでもできる。」
「そ、そうなんですか?」
「お前にならできる…リース。」
耳元で囁かれる低い声は脳の奥までよく響いた。