なまけものだけど、王宮生活 (3)
「お疲れさま~。」
やっと一週間が終わって明日は休みだ。バスティラの庭園の作業も終わったし随分肩の荷が軽い。
「さ、どうぞ~。新作のパエリアです。」
ホリーが大きな平鍋を抱えてやってきた。最も黄色い湯気が激しく立ち込めて顔は見えないが。
「うわぁ、いい匂い。」
3人の目が輝く。熱さと戦いながら、それでも黙々と食べ始める。最近は沈黙の時間も当たり前のように過ごせるようになった。
「庭園の作業が終わってよかったですね。」
ナズナが思い出したようにリースに言った。
「ええ。イーリス様に会えないのは残念だけど、終わって本当に嬉しいわ。」
先の見えない作業だっただけに喜びもひとしおだ。
「でもフィリはさすがね。ちゃんと今に集中して木の声を感じてたなんて。」
「大袈裟よ。確かに作業中は無心だったけど私にも雑念は色々あるわ。」
フィリはそう言いながらホリーの青いサングリアを口に含む。
「明日庭園で王妃様のサロンがあるみたい。というかそれで作業を終わらせたみたいなものなの。」
リースは鍋のおごげをつつく。
「サロン?」
フィリが口に入れようとしたスプーンを一瞬止める。
「…ここだけの話ですけど。」
ナズナが辺りを見渡し少し前のめりになる。
「さきの宴でセレーネ王妃様の目に留まった女性達が呼ばれているそうですよ。」
「まぁ、じゃあお妃様候補が一同に集まるということ?」
フィリが小声で興奮している。
「…恐らく。」
「覗いてみたいわ。」
カニの殻を向きながらフィリが呟く。
「難しいと思います。給仕は選ばれたベテランメイド数人だけですし、下手に近寄れないはずです。」
と言いながらもナズナも少し興味があるようだった。ナズナは会ってからしばらくは引っ込み思案で臆病な性格だったが、最近はフィリの好奇心が伝染したかのようになる時がある。
「レリア様はどうなのかな?」
リースはふとヴァン王子とレリア様の宴でのファーストダンスを思い出した。ビジュアル的にもあんなに完璧なカップルはいない。
「レリア様は王妃様付きの侍女でもありますしね。席に付くかは分かりません。」
「…。」
3人の勝手な妄想が膨らみ始めた時、
「デザートお持ちしました~。」
ホリーが巨大なバニラのババロアを運んできた。
「中に色々入っています。味は食べてみてのお楽しみで~す。」
ホリーはそう言うとまた温かいハーブティーをサービスしてくれた。恐る恐るフォークでつつきながら七色に変化する味を楽しんでいたらいつの間にかババロアも消えていた。
◇◇◇
翌日、早春の澄んだ空に細く薄い雲が流れていた。雪が降る心配はなさそうだ。小さな窓から見える陽の高さからすると午前中いっぱいは眠ってしまったみたいだ。約束の時間まであと15分だった。
「皆さん、どちらへ?」
「イーリス様!」
3人で何食わぬ顔をしてバスティラの庭園に向かっていた途中に現れたのは一昨日別れを惜しんだばかりの美青年だった。ナズナによれば見つかることはまずないだろうという裏道だったのに…
「あ、えっと、ギュネタタちゃん達は元気かなぁ…なんて…」
リースは明らかに声が浮わついてしまった。
「…今日は王妃様のサロンが開かれていますからここから先は入れませんよ。」
「そ、そうですか~、失礼いたしましたぁ…また出直します。」
3人は頭を下げてそそくさと立ち去る。
「庭園まであと少しだったのに…!」
フィリは早くもゲームオーバーになってしまった状態に、悔しそうな顔をした。
「やっぱり無理でしたね。」
ナズナは誰かが止めてくれて少しホッとしているようだった。
それにしても意外な人物に見つかってしまった…。でもやっぱり気になる。リースは2人と別れた後、メイド部屋に帰る振りをしてしばらくして一人Uターンして歩きだした…
「リースさん。」
「い、イーリス様?!」
ぜ、全然気配がしなかったけど…
「いけない娘だ…またペナルティをもらってしまいますよ。それともまた私の指導を受けたいのかな?」
「あ、あぅ…」
このしたたる色気は何なのだろう…
イーリス様がその長い指でスローモーションのようにリースを手招きをする。
「ふぇ?!」
身動きが取れなくなって頭がクラクラすると思ったら、次の瞬間目の前は湖だった。
「あれ? ここは?」
「王宮殿の東南です。」
では左奥はバスティラの庭園のはずだ。
「申し訳ありません、つい…」
一応謝っておこう。イーリス様はお優しいはずだけれど、グリーミュ然りヴァン王子様然り魔法が使える人は何をするか分からない。
「サロンが気になりますか?」
「…はい。」
ルリアル様もいらしているだろうか…
「何故ですか?」
「ええと…みんな気になってますし…そう、特にレリア様はメイドみんなの期待の星ですから!」
わざとらしかっただろうか。
「それにしても王太子妃は王妃様がお決めになるのですか? ヴァン王子様ご本人は…」
「そうですね…もちろんご本人のご意向もありますが、周囲の承認は必要です。特に王妃様のご実家は有力な貴族の一つですから。」
…じゃあご自分だけでは決められないのね。
「ヴァン殿下は聡明な方と聞いておりますから、きっとみなが納得するような妃をお選びになるでしょう。」
「はい…。」
それからイーリス様は王宮殿の常緑樹の森のこと、湖の渡り鳥のことを分かりやすく教えてくれた。内容よりも弦楽器のような低く心地の良い声のトーンにずっと聞いていたい気持ちになった。
ふとバスティラの庭園の方向から白と黒の斑模様のハトが飛んできて、イーリス様の目線もそちらの方向に動いた。
「終わったようですね。貴重な休日に拘束して申し訳ありませんでした。戻っていいですよ。」
そんな…ずっと一生このまま拘束されていてもいいくらい…。
「どうかしましたか?」
「あ、いいえ。あの…。」
「いずれまた。ステキなメイドになって下さい、リースさん。」
イーリス様はそう言うと付き合ってくれたお礼といってのオレンジ色の可愛いらしいストールをふわりと首に巻いてくれた…胸のドキドキがメイド部屋に戻ってもしばらく収まらなかった。
◇◇◇
「あらイーリス、珍しいわね。」
湖のほとりにライトブルーのドレスの貴婦人が現れる。
「これはレリア様…いかがでしたか?」
男の肩に止まっていた鳩が飛び立つ。
「そうね…。これであきらめて下さるといいんだけど。」
レリアは軽く首を回しながら白いオペラグローブを外した。
「…。」
「疲れたわ。ああいった席は得意ではないわ。」
「そうでしょうね。」
微かに親しげな笑みを浮かべた男にレリアはわざと恨めしげな視線をとばす。
「庭園は相変わらず見事な仕上がりだったわ。」
「恐れ入ります。」
いつの間にか黒雲が空を覆い、沈みかけた太陽まで呑み込んでますます暗いグレーのトーンが辺りを包んだ。