王子様と…(3)
「あれ、確かウィンティート家の使用人のお名前もリースさんじゃなかったですか?」
ラスティート様がエミュレーをみる。
「あ…え、ええ。今は別の者ですが。」
「そうですか、いつお辞めに?」
「ええ…つい最近ですが。」
エミュレーはいつになく歯切れが悪い。
「そうだったんですか! 今はどちらのお屋敷に?」
ラスティート様が何故か急に興味を示し出す。
「いえ、実は…お恥ずかしい話ですが、突然屋敷を出ていってしまったようで行方が分からないのです。」
「ほぅ。」
王子の視線がリースに落ちる。
「そうですか…それは心配ですね。私の方でも手の者を使って探してみましょう。」
ラスティート様が俄然ハリキリ出す。
「い、いえそんなっ。お仕事がお忙しいのにラスティート様のお手を煩わせる訳には参りません。」
エミュレーの声が大きくなる。きっと自分の本性を知っている唯一の使用人が現れて、今までの素行の数々を暴露されるのが怖いのだろう。
「確かにそれは心配だ。わたしもいつでも協力しよう。早速配下の者に命じようか?」
王子はにっこりと天使のように微笑む。
「い、いいえ…使用人に逃げられたなど世間に知られたらウィンティート家の恥です。心当たりを探しておりますのでどうかもう少しお待ち下さい。」
エミュレーの手がみるみる汗ばんでいく。
「そんな…何か事情があるのでは。さらわれた可能性はないのですか? もちろんその辺りは内密に進めますが。」
ラスティート様が身を乗り出す。
「も…申し訳ありません…ちょっと気分が優れないので今日はこれで…失礼いたします。」
エミュレーがふらりと立ち上がる。
はぁ…やっと膝から解放された。
「それは大変だ。少し部屋で休まれてから…。」
「いいえ…大丈夫です。馬車を」
ラスティート様が立ち上がってエミュレーの身体を支える。広い屋敷を移動するためのまん丸い車が到着してゆっくりと走り出した。やがて2人の姿が見えなると…
ポンッ
元の姿に戻った。
「これは偶然かな?」
王子は左手の人差し指と中指でリースのメダイを挟んでいた。
「あっ」
王宮殿の湖に捨てたはずなのに…なぜ…? どうしよう…上手く誤魔化すことができるだろうか…。
「…。」
時が止まったような平和な午後の庭園に不穏な空気が漂う。
「やっぱり殿下の魔法はすごいですね~。人を一瞬で犬に変えちゃうなんて!」
ラスティート様が呑気に戻ってくる。…どうせ嘘をついてもすぐバレるだろう。国を上げて大捜索されでもしたらたまったもんじゃない…。
「お察しの通り、わたしが元ウィンティート家の使用人リースです。」
王子とリースの間に生暖かい風と共に一羽の蝶が舞う。春はもう少し先なのに何故この庭はこんなに暖かいのか…
「ええっ?! あなただったんですか!」
「何故急に屋敷を出た?」
発光するような王子の瞳の碧が美しくて恐ろしい。
この際、「エミュレーに虐められたからだ」と言ってやりたかったが、何故だか言えなかった。私のクビを決めたのはルリアル様だ。あの日のことはあまり思い出したくない。
「まぁ…とりあえず座りましょう! 私も殿下も黙っていますから大丈夫ですよ。殿下のお好きなアップルパイも焼けたことですし。」
王子は不満そうに席に着くと無言で目の前のパイを崩してレーズンを取り除き始めた。
「あっ、申し訳ございません。お嫌いでしね…もう一度焼き直し…」
「かまわない。」
王子は何か考えている風だった。
「申し訳ありません。さっ、よかったらリースさんもどうぞ。」
ラスティート様がいてくれて本当に良かった。エミュレーにはもったいない優しいお方だ。
「リースさんに庭を少し案内しても良いですか?」
沈黙に耐えられなくなったのか、ラスティート様が口を開く。
「ああ。」
王子は腕を組みながら目を閉じたまま頷いた。
「ささっ、こちらに。」
ラスティート様が建物の反対側へと促す。さっきの庭と違ってこちらは冬らしい寒さでラスティート様が暖かい羽織を渡してくれた。よく手入れされた広大な芝生では各種スポーツを楽しめるのでこのくらいの気温が調度良いらしい。遥か遠くに見えるのはテニスコートだろうか。
「随分立派な木ですねぇ。」
芝生の小道には恐らく同じ種類の大木が各所に植えられていた。
「桜という木です。品種によりますがだいたいは春に花が咲くんです。」
ラスティート様が木に優しく触れる。
「それは楽しみですねぇ。」
「ええ。」
そういえば、この力強い枝振りはどこかで見た記憶があった。
「そうだ! この桜という花の枝をいつかウィンティート家に送っていただきませんでしったけ? ピンク色の可愛らしいお花で。」
ラスティート様の肩が微かに揺れる。
「…ええ。」
「あのお花は確かルリアル様用の花束として送られて――ぶっ」
ラスティート様の歩みが急に止まったので広い背中に顔をぶつけてしまった。
「…そうです。ルリアル様が桜を見てみたいとおっしゃたので東の島国から取り寄せました。そして手に入る限り全ての品種をここに植えさせました。」
後ろを向いて立ち止まったままラスティート様がうつむいて小さな声で言った。
「へ、へぇ…わざわざ…」
というか二人は知り合いだったのかな。というか…とてつもなく嫌な予感がする…というかこれ以上は何も聞かないでおこうっと…
「リースさん! 協力して下さいっっ!! 僕は――っ!!」
ラスティート様は急に振り替えって頭を下げた。もっとも背が大きいので頭を下げるといっても、リースの目の前にツンツンした短髪黒髪が迫っただけだった。
「うわぁっ、どうかその先はおっしゃらないで下さいっ!!」
リースは耳を塞いだが男は止まらなかった。
「僕はっ…僕はルリアル様をお慕いしていますっ!! 本当はルリアル様との縁談をお願いしていたのですが、何故かこんなことになってしまって…そもそも平民だったわたしが貴族になったのはルリアル様と釣り合う立場を得たいからであって、ルリアル様と一緒になれなければ、僕にとっては貴族なんて何の意味もない地位なのです!!」
ルリアル様ルリアル様と忘れたい名前を何回言ってくれるんだろうこの男は…。聞きたくなかった…聞く必要もなかった。
「わたしはもうウィンティート家を勝手に出た人間ですから何もお手伝いできることはないかと。」
というかそんな恐ろしいことに巻き込まないで下さい。
「王宮殿でのことを教えていただきたいのです。」
骨格のしっかりした男の顔が目前にせまる。不覚にも細く下がった目尻が一瞬可愛らしく見えてしまった。
「王宮殿でのこと? 確か今日はルリアル様が王妃様に呼ばれたようだったけど…。」
「!!」
ラスティート様は驚愕していた。
「やはり王太子妃候補に…。」
少し涙目になっている。
「他に呼ばれた方はいないのですか?!」
祈るように両の手を合わせてラスティート様は身を乗り出す。
「し、知りませんっ。そんなのヴァン王子に直接聞いたらいかがですか? お親しいようですし。そもそもメイドは宮殿内のことはどんな些細な事でも決して口外してはいけないと言われているんですからっ。」
さっきつい言ってしまったけど…レリア様からキツく言われていたんだった。
「…殿下は何故か平民上がりの私と親しくして下さいますが、あくまでも主君と臣下です。妃選びなんてデリケートな問題を私の口から申し上げることなんてできません。」
そういってしゅんと肩を竦めた大男をまた可愛いと思ってしまった。
「でも困りますっ。」
宮殿をもう抜け出そうと思っていたところだし、こんな問題に巻き込まれたらエミュレーに叩かれるだけじゃ絶対済まない。正直ルリアル様だって怖い。
「それなら、なぜすぐ断らずにエミュレー様と婚約までされたのですか?」
少し口調が強すぎたかしら…
「…リースさんも知っての通りウィンティート家はかなり生活が厳しいようでした。失礼ですが一部の平民よりも貧しい暮らしぶりに見えました。わたしはとにかくそんな状況を何とかして差し上げたかった。いつか伝えようとしている内にこんなことに…自分が情けない。」
それであのプレゼントの山だったのか。そういえば使用人の私にも紫陽花の香水瓶をくれたんだったっけ。
「困らせてしまってすみません、無理なお願いでした。もう戻りましょう。」
男はくるりと方向を変えてトボトボと歩き出す。この人は「協力しなければウィンティート家に居所をバラす」などとは言わなかった。こんなに気が弱くてよくここまでの大富豪になれたものだなと思う。目の前まで伸びた枝にはびっしりと冬芽がついていて、触ってみると随分固かった。
◇◇◇
「待ちくたびれたぞ。」
王子はゆったりと背もたれに身を預けて足を組んで座っていた。テーブルの上にあった沢山のお菓子は姿を消し、ティーカップがいくつか並んでいる。
「お待たせして申し訳ありません。」
ラスティート様が頭を下げる。
気がつくと陽は大分落ちて、黄金色の光が空の低い位置からから3人を過剰に照らしている。
「そろそろ宮殿に戻らないと。」
眩しさに目を細めながらリースが言う。
「…いや。もう一ヶ所付き合ってもらおう。」
王子が立ち上がる。
「え? でも、もう暗くなりますし…」
出した声が思いがけず掠れていたのでリースは立ったまま紅茶を口に含む。
「さっき何でもすると言っただろう。では邪魔したな、ラスティート。」
ラスティート様が深々と頭を下げる。
「…。」
リースが一歩後退る。
「早く来い。」
王子が眉を潜める。
「…。」
二人きりになってまた首を絞められたらどうしよう。またあの恐怖が蘇ってちびってしまいそうだ。まだ死にたくない。
「あ、あの、そうだ! せっかくだからラスティート様も一緒に行きませんか? 二人より三人の方が楽しいでしょうし! ええ、それがいいわ、そうしましょう!!」
リースの渇いた笑い声が力なく響く。
「え?!」
ラスティート様が驚いてリースを見る。
「一緒に来てくださったらさっきの件、協力しないこともないです。」
リースがラスティート様に耳打ちする。メイドの掟より命が大事だ。
「本当ですか?」
ラスティート様の細い目が少年のように輝く。
「ヴァンテリオス王太子殿下、大変恐縮ながら私もお伴させていただいてもよろしいでしょうか?」
「…。」
ぎこちない表情で微笑む二人を冷めた目でヴァン王子が見つめる。
「…いいだろう。馬車を頼む。一旦都まで戻りたい。」
「はっ、ただいま。」
良かった。何故だろう…初めて会ったばかりだけど、ラスティート様が一緒にいてくれれば危険な目に合わなくて済む気かする。
金の組子細工の装飾が珍しい馬車に揺られながら、王子とラスティート様が難しい貿易の話をはじめると、リースはいつの間にかウトウトと…心地よい眠りに落ちていた。




