憧れの場所 (12)
「目が覚めたようね。」
美女のドアップ。
「レリア様…。」
そうだった…。何故か倉庫が爆発して…
「そうだ!! フィリは?!」
慌てて起き上がると腕に点滴がされていることに気付く。
「まだ目が覚めていないけれど大丈夫、心配はないわ。」
よ、良かった…本当に良かった。無意識に涙が溢れ出す。
「マイムーとククルを混ぜたようね。」
レリア様がため息をつきながら椅子に座る。
「え?」
「最初に薬品の説明があったはずよ。」
「まさか…」
同じような緑色の液体があったから一つにまとめようとしてしまったんだった…そういえばその後爆発が起きた。
「私のせい…」
手が震え出す。
「そうね。それでもあの娘が直前で中和剤を掛けたみたいで被害が少なく済んだわ。」
レリア様は責める風でもなく淡々と話す。
「今日は休むとイーリスに伝えておくからまた明後日からまた庭園に出て。いいわね。」
レリア様はそれだけ伝えると颯爽と医務室を出ていく。
枕元には軽食と分厚い魔法の教科書と辞書…それに掃除用の薬品の説明書が置かれていた。
…まだここで学べということだろうか…私は宮廷メイドなんかじゃない。
その時ふと辞書に小さな紙切れが挟まっている事に気付いた。
これは…? 痛みが残る手でスッと引き抜く。
「あとは『ラ』の発音だけよ。口の奥の喉から思いっきり空気を吐いてみて。」
フィリの字だ…。ラルファモート先生は手出ししちゃダメって言ってたのに…。
「ラ…ララティプラウラニュエトリスカー」
シュッ!! みるみる内に教科書と辞書が小さくなる。
「あ、あはは…できた。できたわフィリ…。」
握りしめたメモにポタポタと雫が落ちる。薬品の説明なんて最初から聞いてなかった…何が「共同作業だから楽できる」よ…わたし一人で作業してわたし一人に災難が降りかかった方がよっぽど良かった…。
◇◇◇
翌日は珍しく朝から濃い霧がかかっていた。
「もう潮時だわ。」
決心したようにリースは医務室を後にする。もうこれ以上フィリに迷惑は掛けられない。昨日のような事態になればそのうち命まで奪いかねない。そもそも自分がこの宮殿にいること自体が間違いだったんだ。あのおばあちゃんに王宮殿に憧れているなんて言わなきゃ良かった。幸い医務室は1Fにあった。
バスティラの庭園までの道のりは大体覚えたから、とりあえずそこまで行って抜け道を探してみよう…ええとここを右かな…やっぱりまだ真っ直ぐだったけ…本当にフィリやナズナがいなければ道も分からない…何て情けないんだろう。
それでももう王宮殿にはいられない。それにしてもすごい霧。とりあえず一旦分かるところまで戻って…と振り返った瞬間――
ドンッ
「ごめんなさい!」
「申し訳ありません!!」
ん? 聞き覚えのある声…サァァァッと霧が晴れてシルエットだった人物の姿が現れる。
「グリーミュ!!」
言ってしまってからしまったと思った。でも何故ここにグリーミュが?! 訝しげにグリーミュはリースの顔とセルリアンブルーの制服を交互にみていた。
「リースさん…ですか?」
どうしよう…グリーミュと言ってしまった以上、別人だと誤魔化せるだろうか…でもこのままだと宮廷メイドでないことがバレて牢獄行きかもしれない…そうだ逃げよう…このまま走って逃げ…
「わざとだったんですか?」
グリーミュがぶつかった衝撃でズレた眼鏡の中央をクイッと人差し指で持ち上げる。
「え?」
リースは硬直したまま右の口角だけぎこちなく上げる。
「ウィンティート家を出たいけれど使用人は一人しかいない…そこへ都合よくあらわれた私に、わざと怠けものの振りをして家事の一切を押し付けて屋敷に残るように仕向けた。」
へ…? 何それ…どうしてそんな発想になるんだろう。あっけにとられていると、ふと左胸の辺りに視線を感じた。グリーミュは王家の霊獣シーオンとスズランのメダイをジッと見つめているようだった。誰もが憧れる宮廷メイドの証。そうか、この絶対的な証を疑う者なんていないのかもしれない。宴の日、わたしを罵りひどいやり方で貶めたグリーミュ。その彼女が今、喉から手が出るほど欲しがっている勲章が確かに私の左胸で輝いている。
「…バレてしまっては仕方ないわね。そういうことよ。あなたは私を追い出したつもりでしょうけど残念だったわね。ウィンティート家なんてこちらから願い下げだわ。全てわたしの計画どおりよ。」
右腰に手を当て左足を一歩踏み出して、胸の飾りを思いっきり見せびらかしてやった。グリーミュは何とも悔しそうな顔をして自分のスカートの裾を握りしめている。いい気味だわ…さんざんコケにしてくれた仕返しよ。
少しの沈黙の後、グリーミュは小さくため息を付くとズイっと一歩前に出る。
「なっ、何よ…」
つい以前の癖でたじろいで一歩後ずさりしてしまった。
「王妃様から直々にルリアル様にお会いしたいと招待を受けて今日は参りました。」
「ルリアル様が?!」
ルリアル様が王妃様に呼ばれた!
す、すごい!! 本当に王太子妃になるんだろうか。
「きっとわたしも宮殿に上がってすぐあなたを追い抜いてみせます。では今日はこれで失礼いたします。」
グリーミュの声は少し震えていたがいつもの表情で足早に立ち去っていった。
◇◇◇
いつの間にかすっかり霧は晴れてふと前方にバスティラの庭園が現れ眩しい日差しが降り注いでいた。
もう着いてたんだ…。人の気配のない迷路のような小路を抜けると部屋の窓から見えた巨大な湖が現れた。シーオンを象った少し遠くの噴水の裾には太くて小さな虹が架かっている。
「キレイ…。」
吸い寄せられるように水際まで近づくとまだわずかに緑を残すミザリーの木のギザギザの葉が水面に落ちた。広がった波紋のせいか、湖に映る自分の顔は酷く疲れているようにみえた。
グリーミュの悔しそうな顔を見た時はそれはそれは気分が良かったけれど、それもほんの一瞬で、後はすぐ虚しさでいっぱいになった。フィリをあんな目に合わせておいて…何やっているんだろう。宮廷メイドでもないくせに。何でこんな服を来てこんなところにいるんだろう。
「バッカみたい…。」
王宮殿に憧れているなんて言わなければよかった。おばあちゃんは何で貴族の令嬢にしてくれなかったんだろう。どこへ行ってもお前は一生使用人だと分からせるためにこんな事したんだろうか。胸の飾りを外すとやわらかな陽射しを受けて、メダイはほんのり熱を帯びて光の筋を走らせる。裏返すと間違いなくリースという名が美しい飾り文字で刻まれている。
「バッカみたい。」
何がリースよ。こんなの欲しければいくらだってグリーミュにくれてやる。実力が伴わない勲章なんてただの荷物だわ。荷物どころか鉄の足かせに繋がれながら歩かされているようなものかもしれない。こんなものいらない。ここから自由になりたい。目をつぶってメダイを湖に投げた瞬間――
ゴォォォォォォォォ―――!!
激しい風が吹く。
な、何?! この感じは?!
◇◇◇
目を開けると一面が青空だった。
鳥の囀りがやけに近くに聞こえる。ふと人の気配がして振り返ると――
肩まで掛かった白銀の髪…切れ長の澄んだ紺碧の瞳の虹彩には王族の証であるというイエローゴールドが混ざっている。
「ヴァン王太子殿下?!」
間違いない…目の前で表情なくこちらを見つめている男は宴の日に見たこの国の第一王子その人だった。