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憧れの場所 (11)


「そんなにステキだったんですか?」


昨日のガーデナーの格好良さを興奮気味に伝えるリースに押されながらも、ナズナはフンフンと相づちを打ちながら話を聞いてくれた。

3人は今日も昨日と同じく秤売(はかりう)りの食堂に来ていた。ホリーのお店は美味しすぎてみんな食べ過ぎてしまうのだ。


「イーリス様というの。ナズナは知らない?」


無職透明なスープをスプーンで(すく)いながらフィリがナズナの方を向く。いい匂い…そういえばスープがどこにあるのか聞きそびれてしまった。


「う~ん…聞いたことがないわ。宮廷の要人は大体父に覚えさせられたんだけど。」


ナズナは焼きたてのクラッカーにたっぶりとチーズとフルーツを乗せて頬張る。量は少ないけれどけっこう食べることが好きなようだ。


「そう…。でもどんなにガーデナーが格好良くても午後いっぱいの掃除の後にまたあの作業は身体がキツイわ…。」


いくらイーリス様がステキでもデートという名の肉体労働では身がもたない。


「フィリはどうしてできたの?」


「そうねぇ…それが私にも分からないの。魔法はもちろん特別なことは何もしていないし…道具もみんなと一緒よ。」


フィリが首を(かし)げる。


「そんな…」


その様子だと本当に分からないようだ。


はぁ…筋肉痛に効く野菜を食べたって身体は(なまり)のように重い。たいして内容もよく分からない授業に重たい教科書…いつまで経っても綺麗にならないパウダールームの掃除…切った側から伸びてくるような木の剪定作業(せんていさぎょう)なんてやっていられない。

エミュレーやグリーミュは(うと)ましかったが、ウィンティート家にいた頃の方がマイペースな家事ができただけまだましな生活だったように思えてきた。そろそろいつでも宮殿を抜け出せるように準備しておいた方がいいかもしれない。リースは宮廷メイドの証の小さなメダイを握り閉めた。


◇◇◇


「ひぇぇぇぇ~」


パウダールームを開けると強烈な甘い匂いと共にパープルピンクのドロドロとしたゼリー状の液体が流れ出てきた。


「ドアを一旦閉めましょう!」


2人がかりで押してやっとパウダールームの扉が閉まる。メイド服も既に腰の辺りまでゼリーがベットリと付着してしまっている。フィリの表情が強張る。


「ど、どうしましょう…。」


「とりあえずデディさんを呼んで来るわ!」


フィリが大広間へ駆け出すと、まもなくマスクをしたデディさんとリジェットとナズナまでやってきた。

リジェットは表情を崩さないが、ナズナはマスク越しでも届く不快な匂いに眉を(ひそ)めて口を押さえる。


「ベジベツツリィリィー!!!」


デディさんは見た目を裏切らないすごい声量で呪文を唱えると慌てる様子もなく指示を出した。


「扉を開けて。」


「あ、開けていいんですか。」


「ええ、開けたら少し下がってね。」


こ、怖いな…でも状況的に私が一番ドア近くにいるから開けなきゃいけないんだろうな。目をつぶって恐る恐るドアを引くと一気に大量のゼリーが流れ出て椅子に化粧台に鏡も迎い部屋に流れ出てきた。5人の身体は空気の壁に包まれてフワフワと宙を舞い、ちょうどゼリーの流れが止まった大広間の手前で下ろされた。


「う~ん今年はヒドイワ…さすが最大級の宴ね。そんなに玉の輿がよいかしらねぇ。お相手にもよるけど私の同期は随分肩身が狭そうよ…。」


目を細めてデディさんが呟く。


「あっ」


みるみるうちにゼリーはパチパチと音を立てながら消えていく。


「リジェットとナズナ! 磨いてご覧なさい。」


例のブルーの液体と布を渡された2人は言われるがまま椅子を磨く。すると他の部屋でブルーの液体を使った時と同じようにみるみる透明になっていった。


「すごい、デディさん…。」


あんなに何時間もかけて磨いても透明にならなかった液体がものの5分でキレイに消えた。


「ふふ、じゃあフィリとリースも磨いてみて。」


早速2人で磨き出すと…あ、あれ? 透明にならない。フィリも狐につままれたような顔をしている。


「デディさん、これは…?」


たまらずフィリが口を開く。


「まず一つ学んでもらいたいのは王宮殿は普通のところではないということね。外界と違ってここは魔力が国中で一番効きやすい土地と言えるわ。逆にそのような土地に王家の始祖(しそ)は宮殿を築いた。」


き、急に歴史の授業が始まったんだろうか…。


「あなた逹も今、魔法の基礎の基礎を学んでいるわよね。その土地や個人の能力にもよるけれど、残念ながらメイドクラスの魔力では外界で同じことをしても魔法が発動しなくなってしまうことがあるのはよくある話だわ。」


初耳…あんな分厚い教科書を勉強しても王宮殿の外では魔法が使えないなんて。ますますやる気なくすわ…まぁ元々やる気なんてないけど。


「あなた逹ステキな貴族の男性でも見つけて幸せにしてもらおうと思っているでしょう?」


フィリとリースの方を見てデディさんがニヤっと笑う。


「へ?」


意味がわからない。もちろんそれはそうだけど…そう、わざわざこんなハードな仕事の王宮殿にいるのは何とか3年…とまではいかなくても1日でも長くいた方がよい嫁ぎ先が見つけられるのではないかという下心70%と、美味しい食事が食べられるというメリット30%の理由に他ならない。


共振(きょうしん)波動(はどう)…」


フィリが(つぶや)く。え? 何て?


「そうそう、まぁ簡単に言うとあなた達の心がパウダールームのご婦人方の心と同じだったから、どうしてもそれを打ち消すことができなかったって訳ね。それどころか返って状態は悪化していたはずよ。」


確かに最初から()せかえるような甘い匂いだったが、3日目の今日は喉が焼けそうなほどの臭気(しゅうき)を放って味覚までおかしくなりそうだった。でもまさか…


「そんなバカな…」


リースは思ったことがそのまま口からこぼれた。


「そう、そんなバカなことが起こるのがここ王宮殿よ。強大な魔力の副作用といったところかしら。仕事をしているとたまに心の内が(あぶ)り出されるような事態が起きる。だから長く勤めているレリア様や私はそういうのも全部クリアしてここにいるのよ。まぁ、宮殿が人を選ぶと言ってもいいかしら。ほほほ~!」


デディさんは自慢げに腰に手を当てている。宮殿が人を選ぶ…? 何それ…建築物のくせに何と生意気な…。しかし改めてとんでもないところに来てしまったと思った。


「まぁ大広間ももう終わったし、今日のところはリジェットとナズナに任せて、2人は薬品の在庫確認でもしておいてもらおうかしらね。」


ふと作業を続けるリジェットを見ると勝ち誇ったようにフィリをチラッと見ていた。どうやら昨日の庭園の作業以来、フィリはめでたくリジエットのライバルに認定されたらしい。


◇◇◇


「今回は参ったわ。」


フィリが在庫確認のボードにペンを走らせながら倉庫でため息を付く。


表情はよく見えないが声のトーンが低い。いつも完璧なフィリでもそんなに落ち込むことがあるんだと思うと、こちらまで居たたまれない気持ちになる。


「ほんと王宮殿て恐ろしいところね。頭の中まで暴くなんて立派な人権侵害だわ。」


リースは適当に薬品を並べながら口を尖らす。


「ふふっ、大げさね。リースって本当に面白いわ。」


「そう?」


笑われているのだが不思議とフィリだと嫌じゃない。つられて同じようにふふふっと笑ってしまう。


「でもきっと今回はフィリのせいじゃなくて私のせいだわ。フィリはお金持ちの商家だけど、私はもともと根っからの使用人だから玉の輿は大歓迎だもの。」


そう…もともとフィリの家はお金持ちだし、宮廷メイドにならなくたってモテモテだし、そこまで欲があるようにはみえない。


「いいえ…そんなことはないわ。」


フィリはうつむいていたが、ふと顔を上げてリースを真っ直ぐみた。


「わたしね…」


その時フィリが驚愕(きょうがく)してボードとペンが床に落ちる。


「待ってそれは!! リーッ」




ドォォォォォォォン!!!!!




「うぅぅ…っ」


床に倒れた状態でかろうじて目を開けると一面煙で視界も歪んでる…隙間から倒れて流れ出た薬品と崩れた倉庫の瓦礫(がれき)が見えた。


「ゴホッ」


息ができない。身動きがとれない。


「フィ、フィリ…。」


手探りで探すとリースを庇うように半身自分に(おお)(かぶ)さるフィリの姿に気付く。


「フィリ…!フィリ!!」


呼び掛けても身体を揺すっても気を失ったまま動かない…ま、まさか死…どうしようまさかこんな…


「リース!! フィリ!!」


デディさんが現れる。


「デディさん! フィリが!! フィリが…」


次の瞬間、強烈な耳鳴りと共に急に視界が真っ暗になった。


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