憧れの場所 (9)
「一ヶ月に300ピオも支払わなきゃいけないの?!」
個室を利用するには追加で料金が必要らしい。フィリに聞いたところそれは宮廷メイドの初任給の3分の2程もする値段だった。個室にはシャワールームやトイレ、大きな化粧台にバルコニーまで付いているらしい。うぅ…いいなぁ。
「昨日夕飯はどうしたの?」
朝礼に向かう途中、遠慮なしにグーグーとお腹を鳴らすリースを見かねてフィリが尋ねる。
「我慢したわ。食事と…それにトイレも。迷子になって闇の地下迷路に落ちたくないもの。」
「まぁ。」
フィリが気の毒そうにリースを見る。
「フィリはどこか食堂に行ったの?」
「いいえ、私も昨日は疲れてしまったから軽食を部屋に届けてもらったわ。」
部屋に食事が届く?! まるで貴族と一緒ではないか…いくら王宮殿とはいえあくまで使用人なのにそんなことしていいんだろうか…。
「フィリ…あなたってどこの貴族のお嬢様なの?」
逆に自分の出身も聞かれそうで何となく避けてきた話題だったが、ついにたまらず聞いてしまった。
「いいえ、私はただの地方の商家の娘よ。残念ながら貴族ではないわ。」
「そ、そう。」
でもこんなに美人で有能でお金持ち…しかも性格までいい…。神様って本当に不公平だと思う。
フィリが朝礼後に部屋から一番近い売店とトイレの場所だけ教えてくれることになって、メモをとって必死に覚えた。ラルファモート先生の言っていた扉のない部屋や闇の地下迷路は、恐らく王族や国家の機密事項に関わる部屋の周りに張り巡らされている魔法だから、レリア様のように王族付の侍女にでもならない限り、宮廷メイドの行動範囲内で近づくことはまずないという。早く教えてよ…。
◇◇◇
「ララティプラウラニュエ…くっ」
今日もリースだけ教科書と辞書は小さくならない。
「ほほ、それではまた明日~。」
ラルファモート先生が消えた。もう少しだったのに…。正直授業の内容より一番ここに集中していただけに悔しさが増す。でも明日には何とかなりそうな気がする…。
「惜しかったわね。今日はナズナさんがまた違う食堂を教えてくれるって。」
フィリは宮殿探検が楽しそうだ。今日のランチにリジェットも誘おうかと話していたが講義が終わるといつの間にかリジェットは消えてしまっていた。
ナズナは相変わらずスタスタと複雑な廊下を進んでいく。昨日は付いていくのに必死でよく分からなかったが、周囲に意識を向けると…楽団室からハープの音色が聞こえてきたかと思えば…あっ、ノースアプリコットのパンの香りがする。ここでランチでもいいのに…。カラフルに番号が振られている部屋からは耳障りの悪い機械音がして思わず耳を塞…っと教科書と辞書を落としそうになってしまった。何だろうあの嫌な音…頭がグラグラする。ふと腐った卵の臭いが鼻を掠めたと思って振り替えると…あっ、あれは温泉マーク!…おっと、ナズナとフィリに置いていかれそうになってしまった。
甘いお菓子みたいなふんわりとした丸い形の乗り物に乗れば、右へくるくると回転しながら進んでいるようだ。
「ここで降ります。」
ナズナに言われるがまま降りる。
「おえっ」
くるくる回ったせいで気持ちが悪い…。何で右に進むのにくるくる回る必要があるんだろう。
「8・7Fね。」
フィリがニコニコしている。
「今日は上がったのだろうか下がったのだろうか、そもそも講義室は何階だったんだろう…。それにしても「・7」って何だ…。
「今日はあまり重たすぎない食事が良いかと思って。」
ナズナはバツが悪そうに微笑む。昨日の宙吊りパンダ柄を思い出してしまった…。
目の前にはパン数種類と、パンに挟む肉や魚、野菜やフルーツが数十種類並んでいる。自分で組み合わせて最後に秤に乗せた重さによって値段が決まるらしい。
「すごい、市場でみたことない食材がたくさん。」
「本当ね。」
フィリは興味深そうに野菜コーナーを眺めている。
「ここに味と効能が全部書かれています。」
ナズナがお店の用紙を渡してくれた。
「あっ、ありがとう。」
リースは全てには目を通さず、とりあえず目のついた「方向音痴が改善するお米」と「筋肉痛に効く野菜」を選び、その他は適当に選んだ。
「おいしい!!」
王宮殿に胃袋をつかまれて逃げ出せなくなったらどうしよう。
「ふふ、筋肉痛の野菜はみんなとってるわね。」
フィリが笑う。
「ええ、噂には聞いていたけど宴の後の掃除があんなに大変だなんて。」
ナズナがため息をつく。お皿は随分控えめな内容になっていた。カップには美味しそうなグリーンのポタージュが添えられている。いいなぁ…それ、どこにあったんだろう。
「大広間はどう?」
フィリが尋ねる。
「…リジェットさんのお陰でシャンデリアと窓は終わりました。後は細かい調度品とダンスフロアです。」
「すごい、順調ね。」
リースはフィリには悪いが掃除に関してはリジェットとペアでも良かったかななんて思う。
「ええ…。でも足を引っ張ってしまって申し訳なくて。」
ナズナはしょんぼりしている。
「ナズナさんが一生懸命やってるんだからそれでいいのよ。」
フィリが励ます。
「そうよ、ナズナさんまでリジェットみたいだったら怖いもの。」
本当にそう思う…。新人4人のうちグリーミュが1人で本当に良かった。もし3人ともグリーミュだったらその日の内に逃げ出していた。
「こっちはパウダールームが全然なの。」
フィリがため息を付く。
「思い出しただけであの甘い匂いが蘇るわ。」
リースは口元をおさえる。
だんだん胃がムカムカしてきたので話題を変えてみる。
「そういえばここに来る途中カラフルな番号の部屋が見えたけどあそこは?」
「あぁ…あれは魔法使いの研修生がよく使う部屋です。わたし達とは比べ物にならないくらい高度で強力な魔法を使うから安全装置が付いてるんです。」
「へぇ。さすがナズナさん、よく知ってるわね。」
しっかり者のフィリに物知りのナズナ…この2人がいれば王宮殿に長く留まれるかも。
「えぇ、まぁ…。」
「魔法使いは適正によって武術や医術…建築なんかに分かれるのよね。男性がほとんどのエリート集団でメイドの先輩たちも憧れている人も多いとか。中でも人気はラスピアラ様とかミデルテ様でしょ、あとハロッ…」
「ゴボッ」
フィリが少し興奮気味に話している最中、ナズナがローズティーを吹き出して咳き込んでしまった。
「大丈夫?」
フィリがナフキンを渡してあげる。
…あの城門をつくった魔法使いはそこにいるんだろうか…そんなことを考えながら食堂を見回してみるが、よく見ると周りは女性客ばかりだった。
物知りナズナはその後も、温泉は実際にポーリンから源泉を運んでいて入浴料がかかるが誰でも入れること、ノースアプリコットは週一回メイド部屋の近くに現れることなどを教えてくれた。
楽しい時間はつかの間…三人は重い足取りで掃除をするために宴が行われた壮麗な殿堂へと向かった。




