8回目のお見合い (2)
「リース!早く出てきなさい!!」
昨日よりもヒステリックな声が響く。
エミュレーだ…時計は午後の3時、まだ2時間しか寝ていない。
訳もわからすヨロヨロとリビングに向かってドアを開けた瞬間…
バシッ…
廊下に身体は投げ出され、顔面を激しい痛みが走る。
頭がグラグラして立ち上がれない。
頬を押さえながら何とか顔を上げると、
足からお尻にかけてビリビリと破れたドレスを来たエミュレーが顔を真っ赤にして泣き腫らしていた。
「全部あんたのせいよ、何もかもこの娘が悪いのよ!
いくら家が貧乏だからって何でこんな出来の悪い娘がうちの召し使いなの?!
こんな娘が召し使いだからわたくし達だってバカにされるのよ!
お母様と私たちは関係ないわ!!」
そう言ってエミュレーが今度はガラスの花瓶を掴んで腕を振り上げた瞬間、
「おやめなさい!!」
ターネットが後ろからエミュレーを押さえ、叫び声で跳んできたルリアルに素早く目配せする。
エミュレーの手から花瓶がすべり落ちて、ガラスの破片が飛び散りリースの頬を掠め…
ルリアルはすぐに状況を把握して頷く。
「リースこっちへ。立てる?」
リースはルリアルに引きづられるように別の部屋に連れていかれた。
◇◇◇
「少し落ち着いた?」
ルリアル様が新しい湿らせた布を持ってきてくれた。
まだ頭は混乱しているし、胸がどうしようもなく苦しかったが、ようやく何とか上手く呼吸ができるようになったと思って小さく頷いた。
「ごめんなさいね、あなたは何も悪くないわ。
お姉様ったら無理にあのドレスを着続けるものだから、もともと生地も限界だったのよ。
お見合いがずっと上手くいかなくてあんなことをしてしまったのね…
でも許されることではないわ。」
黙ったまま首を横に振る…
今できる精一杯の謝罪だった。
言葉は出てこない。
確かに仕立て直す度にあのドレスかなくなってしまえばいいと誰より願っていたのは自分だった。
それに特に今回は手を抜いたところもたくさんある。
「…それでね。」
ルリアル様が言いづらそうに口を開く。
「ターネットお姉様とも話したんだけど、エミュレーお姉様はきっとしばらくはあなたに辛く当たってしまうと思うの。
それでね、それで…本当に申し訳ないんだけど…
一週間ほど外で宿とってくれないかしら。」
「えっ」
驚きのあまりようやく声がでた。
急に1週間も…今まで生きてきて一度もウィンティート家を離れたことがないのに…。
戸惑いは隠せなかったがそれが一番良い方法だという事は明らかだった。
追い出されるのがエミュレーではなく当然自分だということが分かっていても、家族ではない自分を改めて認識させられた気がして、負けた様な…何とも惨めな気持ちになった。
しかし同時に、心底ほっとしている自分がいるのが不思議だった。
数日間でもここではないどこかへ行ける。
ごくりと唾を飲んだらひどく血の味がする。
腫れた頬は熱をもっていよいよ熱い。
◇◇◇
渡されたお金は、ちょうど中の下くらいの宿に六日間泊まれる金額きっちりだった。
いつからだったか、食事を三度食べさせてもらう代わりにお給料をもらっていなかったから、自分で自由にできるお金を手にしていることにワクワクした気持ちになった。
時刻は夕方の5時を過ぎていて、明日からでもとルリアル様は言ってくれたが、リースはすぐに屋敷を後にした。
エミュレーと顔を合わせたくなかった。
そして早くこの場から逃げ出したかった。
「どこへ行こうかな…。」
辺りは、北風に美しく色づいた葉っぱの大半を落とされて寒々とした姿の木々がそびえていた。
人気はほとんどなく、遠くで猟犬の遠吠えがする。
もうすぐ日も落ちるし、あまり遠くへ行けないことは分かっていた。
まして徹夜明けでその後もろくに眠っていないのだ。
屋敷を出て数分で二股に別れた道に差し掛かった。
王宮殿へ通ずる道と、ポーリンという小さな町へ続く道だった。
ポーリンは都から近い上に温泉も湧いていて人気の高い保養地だ。宿もピンきりで滞在しやすいし、南西へ歩いて一時間半もあれば十分到着できる。
お金はあまりないけれど都よりも物の値段が安いから、少しくらい美味しいものが食べられるかもしれない。
王宮殿へは最低でも北東へ歩いて5時間はかかるし、宿と食事は最低限になるだろう。
今日はひとまず、ポーリンへ向かおうと身体を向けた瞬間、
どんよりと厚く垂れ込めた雲の隙間から恐ろしいほど鮮やかな夕陽が顔を除かせた。
何故だか急に胸が締め付けられたように痛んで、咄嗟にそれに背を向けて歩き始めていた。
涙が溢れ出して止まらない。
◇◇◇
どのくらい歩いただろうか…。陽が落ちてからはみるみる気温が下がったらしく、いつの間にか手足の感覚がなかった。
北風が強まって今にも雪が降ってきそうな冷たく湿った空気の匂いがする。途中何度引き返そうかと思ったことか。
ただ、毎日眺めていた光の玉が、少しずつ大きくなっていくことがどうしようもなく心踊らせて歩みを止めることが出来なかった。
一度歩みを止めたら再び歩き出せなくなってしまうと思った。
「あそこへ行きたい…。」
現実が苦しくなればなる程その思いは強くなった。
子供の頃に見たあの夢のように美しい城門…その中では一体どんな華やかな暮らしがあるんだろう。
きっとルリアルお嬢様のような上品で優しく美しい人達が大勢いるに違いない。そして毎日綺麗なドレスを着て美味しいものを食べて、花のように笑って暮らしているんだろう…。
それは自分とは関係のない世界で、お城の中に入ることさえ無理だということも分かっている。
それでも何故か身も心も吸い寄せられるのだ。
もしかしたら何かの拍子に庭園にくらいは入れるかもしれない。
突然魔法使いが現れてドレスを着せてくれるかもしれない。
「まさか…ね…」
リースはそんな淡い期待を打ち消すように首を横に振る。
「とにかくあの城門だけでも見に行こう。それだけでもまた幸せな気持ちになれるかもしれない。」
気が付くと霙混じりの雪が降っていた。
朦朧とした意識の中で、遠くの山峰のように、確かに在るけれどなかなか辿り着けない光をひたすらに求めて歩いた。
◇◇◇
ようやく城下町に着いたころには夜の12:00を廻っていた。
北風のせいで随分進みが遅くなったみたいだ。
さすがは城下町で、まだ店の明かりもたくさん灯っていた。
街の中央を走る一本の大通りの先に王宮殿はあった。ホロスウィアと呼ばれる大通りには等間隔に白光が灯されていてここまで訪れた者をあたたかく迎え入れてくれているようだった。
このホロスウィアは国内外の全ての主要都市に通じている。しかし今は人の気配はあるものの、ほとんどが馬車のため、雪の中で道を歩くものはリースだけだった。
ここまで来ると城から放たれる光もより一層強くなり、まるで光に呑み込まれていくようだった。
「…はぁはぁ。」
凍るような冷気を吸わないように最小限の呼吸をする。
頭は割れるように痛み目も霞んでよく見えない。
…が、雪の結晶のような幾何学模様が大小次々に浮かんでは形を変えているように…みえ…
と思った瞬間にはもう目の前が真っ暗で何も見えなかった…。