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憧れの場所 (5)

「目が覚めたようね。」


わっ、いきなり美女のドアップ!!


「あっ、あなたはレリア様…!」


「具合はどう?」


「えっ、はぁ…。」


やっぱり昨日起きたことは夢じゃなかったみたいだ。


ここは具合が悪いことにして寝ていた方が賢明かな。


「あのぅ、あんまり良くな…」


「眠いだけなら起きて。」


サボろうとしているのが瞬時にバレて食い気味に言われる。


「は、はい…。」


急いで着替えた服は昨日のドレスワンピースとは違い、薄いセルリアンブルーのメイド服だった。妙に動きやすい。


「ついてきなさい。」


レリア様に(うなが)されて重い足取りで後を追う。


確かに王宮殿の中には入ってみたかったけど、こんなところでメイドとしてやっていける訳がない…仕事を与えられたらすぐにバレてしまうだろう…早く抜け出そう。

そんなことを考えながら、随分年季(ねんき)が入った木目調(もくめちょう)の長い長い廊下を渡り、小さな滝を越えると一気に視界が開けて緑の芝の庭園が見える。既に何十人ものメイドが綺麗な正方形に整列していた。


「あなたはここ。」


一番最後尾に並ぶよう指示される。


「あっ。」


隣にフィリがいるが、チラッとこちらを見て表情は変えずにすぐに正面に向き直る。心なしかまわりの空気がピリッとしている。

レリア様が一段高いところからゆっくりと話しはじめた。


「皆さん昨日はご苦労様でした。宴は無事に成功しました。セレーネ王妃様並びヴァンテリオス王太子殿下からも(ねぎら)いのお言葉をいただいております。」


するとホッとしたのか、まわりのメイド達は安堵(あんど)の表情を浮かべている。


「ですが、細かい問題点が()()りになったのも事実です。大きくは3つ…」


レリア様は淡々(たんたん)と話し始める。それにしてもよく通る美しい声。こうして見るといかにも王妃様に相応(ふさわ)しい風格(ふうかく)を備えている。しかし昨日の隣国の姫君たちの(あで)やかだったこと…。でもルリアル様だってお可愛いらしさという点では負けてはいなかった。そもそもレリア様は王妃様になりたいんだろうか…。結局あのおとぎ話からそのまま飛び出してきたような超絶完璧なルックスの王子様は一体誰が気に入ったんだろう。


「…宴の間、あろうことか持ち場を離れた新人がいます。フィリ、リジェット、リース。この3人は午後の仕事が終わってからメイド長室へ来なさい。」


「はいっ。」


となりでフィリが顔を強ばらせて返事している。


え? 今名前が呼ばれたっけ?


「リース!!」


レリア様の怒りの声が青空にこだました。


◇◇◇


「具合はもういいの?」


朝礼の後フィリが話しかけてくれた。


「あっ、昨日は迷惑かけてごめんなさい。もうたぶん大丈夫。」


するとフィリがクスクスと笑い出す。


「昨日も驚いたけどあなたって不思議ね。今朝も全然レリア様の話聞いていなかったでしょ。」


「う、バレてたのね。昨日は色々あってちょっと胸がいっぱいで…」


その時、ふいにどこからともなく懐かしいような芳しい香りが立ち込めてきた…


「この香りは…」


「あぁ…パン屋のノースアプリコットね。王宮内にはいくつもカフェや食堂があるのよ。どこかに王族や重臣の方々が利用する豪華なレストランもあるそうよ。ってあれ?」


「やっぱり! あの時のパンと一緒だわ!!」


忘れもしない、一ヶ月ほど前に都で食べたおいしいおいしいパンと同じだった。まさか王宮内にお店があるなんて。


「そ、そんなに食べたいの?」


ショーウィンドーにへばりつくリースに後ろからフィリが尋ねる。


「え、ええ! でもお金が…。」


「あら、そのメダイをお会計で見せればお給料から天引きされるシステムだったでしょ。」


「あっ、そ、そうだったわね。」


メダイ…そんなものが胸に付いていたなんて気づかなかった。確かに左胸にスズランの花と双頭(そうとう)のオオカミのような王家の霊獣(れいじゅう)シーオンをモチーフにしたシルバーゴールドの小さな飾りがついている。裏には飾り文字で『リース』と記してあった。

おばあちゃんも芸が細かいな…。こんなの(あつら)えるんだったら貴族の令嬢のドレスを着せてくれさえすれば良かったのに…。ともあれあの美味しいパンがまた食べられる。できる限り王宮殿に留まるのも悪くないかなと思えてきた…


「でも午前中の講義まであと15分よ。」


「えっ講義?! 何それ出なきゃダメなの?」


「ふふ、いい度胸ね。新人は1年間はずっと午前中講義だから一度休むと、後付いていくのが大変よ。とはいえ昨日徹夜だったからもう眠いわ。」


フィリがあくびを()み殺しながら小さく呟く。


どうしよう、今すぐ抜け出すのは不可能だし、とりあえず講義には出ざる負えないかな。パンも食べたいし…。


「ちょっと待ってて。」


以前食べた宝石のパンと初めてみる惑星みたいな球体のパンを2つ買ってその場で食べ始める。もう少し種類を吟味(ぎんみ)したかったけど時間がない。


「おっ、美味しい!!」


感動して振り返るとフィリが()き出していた。


「ふっ、そんなことしてまた怒られ…っ、あぁお腹痛い。あははっ。」


フィリみたいな上品なお嬢様でも口を開けて笑うことがあるんだなぁ、と思うと何だかつられて可笑(おか)しくなってきた。


◇◇◇


講義の部屋は思ったより狭く、生徒は4人しかいなかった。『最初は今後の講義全てに関わる説明だから聞いておいた方がいいわよ。』と、フィリが言ったのでそこの部分だけ聞こうと思っていたけど、これじゃあ全体的にサボりようがない。そもそも何の講義なんだろう…。


妙な沈黙のなか、講義の時間ピッタリに扉が勝手にスウッと開き、現れたのは細身の男性講師だった。


「みなさん、ごきげんよう。ラルファモートと申します。これから第一回目の講義を始めます。合格者ゼロの年も珍しくない中、今年は4人のメイドが選ばれるなんて、なんて喜ばしい年でしょう!」


口角は上がっているが、細めた瞳の奥には異様なまでに鋭い光を感じる。


「…と思っていましたが、あろうことか昨日の宴で(ほま)れ高き宮廷メイドの責務(せきむ)を忘れ、持ち場を離れた者がこの中に3人もいるなんて真に遺憾(いかん)です。」


急に場の空気が凍りつく。何だか実際の空気まで冷たくなっているみたいだ。あまりの張り詰めた空気に、さっき食べたパンが逆流してきそう…


「…ですので、基礎的な魔法を学んでもらう前に、まずこの王宮殿について説明しておきましょう。」


 まっ、魔法?! これは魔法を学ぶための講義だったのか…。魔法は魔法使いだけが学ぶものかと思ってた。不安しかない…。


「お気づきの通り、この王宮殿には見取り図や案内表示が一切ありません。32年と1ヶ月勤めている私でもこの城の全体像は不明なのです。それは簡単に言ってしまえば国家の(かなめ)である王族のお命や国家の機密(きみつ)文書を守るためです。そのため、城の内部は毎日魔法で刻々と部屋数や廊下の位置が変わっていくのです。とはいえ皆さんが往き来するような場所は変化もさほど複雑ではないのですぐ覚えられるでしょう。」


何それ…この教室だっていくつかの廊下を曲がったりして…フィリがいなければここには来られなかった。こんな巨大な城に目印がないなんて…どうやって抜け出そう。


「ただし…昨日の皆さんのように王宮内で勝手に動くと、中には一度踏み入れたら2度と出ることが叶わない扉のない部屋や、ゴールのない闇の地下迷路に落ちてしまうこともあるのです。そうなったら2度と戻ってはこれません。毎年残念ながら1、2名はそのような者が出てしまいます。」


何それ何それ…。憧れていた王宮殿がいきなりホラーだわ。どうしよう、ノースアプリコットのパンで喜んでいる場合じゃなかった。背中を冷たい汗がつたう。

まわりのメイドも心なしか表情が青ざめている。


「ですからこちらの言いつけは必ず守って下さいね。」


生徒たちの反応を見て満足したのかラルファモート先生はにっこりと笑った。


「はいっ、注意事項はここまで。それでは皆さん、自己紹介から始めましょう!」


先生だけ急にテンションが高くなったが…何とも重たい空気の中1人ずつ口を開く。


「ナズナと申します。よろしくお願い申し上げます。」


金髪ショートカットで目がくりっとしていて可愛らしい。昨日新人で唯一持ち場を離れなかっただけあって大人しそうだ。


「リジェットです。よろしく。」


髪色も瞳も珍しい紅で、とびきり美人だがつり目で気が強そう…。


「フィリです。よろしくお願いします。」


あんな話を聞いた後でも微笑を浮かべるフィリが少し怖い。


「リースです。よろしくお願いします。」


「では、授業を始めます。といっても魔法は基本的に今から3000年前のトントリア地方の言葉を使います。文字は象形文字(しょうけいもじ)で全部で500種類ほど。では今日はそれらの文字の成り立ちと発音から勉強していきましょう。教科書と辞書を配ります。」


げっ、何この厚さ…これを1年で勉強するなんて。そもそも持ち運べるかしら。


「それで3か月分です。」


うげっ、嘘でしょ…。ふと周りを見るとフィリとリジェットは顔色一つ変えていないが、ナズナはこころなしかため息を付いたように見えた。


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